パーソナリティ障害をもつ娘とともに

大学休学中の娘がいます。カウンセリング・薬物療法を行い、親子共々苦しい生活を送っています。

もういいかあ

2008-03-28 10:19:42 | Weblog
今日は娘の主治医と面談の日。一ヶ月はあっという間だ。復学願いを出したけれどやっぱりもう大学には行きたくないという。
あえていうなら、最後の1年間は母親の私のほうが大学という存在に一番こだわっていたかもしれない。
それでもまだ潔く、辞めればとは心から言えない意気地なしの自分がいる。
昨晩はいろいろとあって娘のメールや着信に応えられなかった。午後4時あたりから音信不通になった母親に不安になったみたいだ。娘のメールの反応しないことはほとんだなかった。
娘はパパや私の母にも連絡したらしい。夫も忙しさから電話には出ず、母は何も聞いていないという返答をしたらしい。
それで娘は、ついにママは倒れたというように思い彼女なりに心配し続けていたようだ。

22歳の娘なら親のことを心配するのは普通のことだろうが、こうやって親のことも心配するのだといまさらながら感心した。

しかし体調は悪い。それでもなんの希望も見出せないが主治医と娘と会うために上京する。さあ気合をいれて駅まで歩こう。おばのこともあって仕事に穴を開けている。でも仕事があるからまだ気がまぎれる そう思ってがんばろう。

大学かあ、やっぱり行って欲しいなあ(親のエゴだとしても)

こんなにいろいろ重なると~

2008-03-24 10:25:54 | Weblog
この10日間は激動だった。人間は失ってみないとわからないもんだね。
娘の事と自分の家庭のことだけで悩んでいられるってことは幸せなことだったのかもしれないとまで思えるような感じだ

それはまず兄嫁の脳腫瘍のオペ、これは大成功術後の経過も良くて一安心、それにまつわる様々な厄介ごとはあったけれど

その後うれしいこと、甥の結婚式、しかしそういう場は娘に凶と出るか吉とでるか、やってみないとわからない。とりあえず凶とはでなかった。
しかし、その会場で倒れた方がおり招待した親戚として救急車に乗り込んだ。
そこから私たち夫婦の救急生活は開始。
その方のご家族が到着されるまで2~3時間披露宴の礼装で病院まち。娘は振り袖姿だから自動車で待ち

それから私の携帯が鳴る母から、母の妹(独身・一人暮らし)
転倒し4日間たっても起き上がれないえ~ずっと黙ってたの?どうして?いったいどうしたの?母のいうことも支離滅裂。今の私たちは自宅から車で2時間離れた場所にいるんだよ~

そして着替えて駆けつけると、ものすごく悲惨な状態、意識はもうろう。失禁状態年寄りが年寄りを見てるとこんなことになるんだね。叔母と母は一緒に住んではいないから、どうやってここまで連れてきたんだろう?

とにかく救急車要請、詳しいことを聞かれててもこちらは答えようがない。救急の医師やナースには(特にナースは私が娘と思い、叱責する)まあ仕方がないけれど、ちょっと、数年間も会っていない叔母のことでいろいろ言われても対応はできかねる(私には兄が3人いるけど、みんな遠くに行ってしまった)そして、地元に残った私に良い感情を持っていない。親も近くにいる私には面倒をかける気はないからと兄達に言い、兄たちは現状をしらないから親は一人で迷惑をかけずに生活していると思っている。5年前に父を看取り葬儀をしたけれど、なんだかな~という感じだった。彼らは浮世離れしたことを言っている。それはそれでいいけれど、地元に残された私はそうはいかないんだよね。

叔母は認知症というのではなく、若い頃は働いていたけれど、人と争うことはないけれど、普通の人間関係や社会生活を送れていなかった。私の母の庇護のもとに生活していた。母が存命中はよいけれど金銭的にきついことは目に見えている。
そしてもう自立歩行は望めないかもしれない。
勤務しながら、娘を安じながら毎日病院に通う。そしてこれからの方策や受けられるサービスを調べている。夫も協力してくれるが、私の心身はそろそろ限界だ、限界を超えても代わりはいないのだから

心で思う、物事の嫌な面をみても落ち込んでも1日、良い面をみて生きても1日
自分の生きている時間をどうせなら楽しくいきる方向に力を使おうそう思いつつ、ここで弱音を吐いている

反応

2008-03-12 00:11:40 | Weblog
相変わらず、行動化は続いている。主治医からすれば行動化は本人がもっとも危険な行為(自殺とか)から身を守るために行っているの可能性もあるとのこと。
いわば一種のアレルギー反応で、一度くしゃみがでたら1回では収まらず何回かくしゃみが出てしまう。そんなものだと捕らえることもひとつの考え方だという。
おりしも花粉の季節、確かにくしゃみは1度では収まらないかもなどと妙に納得してしまう。
このところ兄嫁の手術も近くあわただしい毎日だ。相当なリスクを伴うものと主治医から告げられている。でも彼女はくよくよしていないように見える。心のうちはわからないけれど、結構前向きだ。確かにくよくよしたところで事態は好転しないだろう。同じ状況なら物事を明るく考えるこということを彼女から学んだ気がする。祈ることしかできないが、心から成功を祈っている。

私も2ヵ月後には検査が待っている。最初のころよりかなり気持ちが落ち着いた。
自分のことより娘の境界反応、行動化に苦しんでいる。これは私の努力ではどうにもならないからだ。
しかし、これだってくよくよ考えても事態は好転しない。それどころか私の体調に悪影響だ。昨晩はほとんど眠れなかった。仕事も今佳境に入っていて今日の会議は本当に疲れた。なかなか自分の本意を伝えることは難しい。

娘のくしゃみはいつごろ治まってくれるのだろう。

またまたトラブル

2008-03-08 23:52:31 | Weblog
4月から大学に復学すると決めて復学願を提出、これから前向きに頑張る、人のペースト自分のペースは違うことに気がついたから、と言っていた娘。今までの経験から鵜呑みにはできないけれど、少し希望を持てた気がしていた。
ミクシーで知り合った同じ大学でしかも同郷の先輩に2~3回ほど会って励まされていた。もちろん男性だから娘の彼は会うことに対して反対いていた。
昨日は4月からの大学復帰について、特に勉強から離れていた娘は授業の不安、単位の修得の不安について相談するつもりでその人に会う約束をしていた。しかしこのところ不安定だった娘はミクシーに自分のこだわりの強い日記を書いていた。
その人からしたら娘のためを思った助言だったかもしれないが、この障害を持つ娘にとっては耐えられない暴言にきこえたのだと思う。
しかも娘は面と向かってその時点で反論できず、黙って聞くタイプだ。だからその人からすれば娘は納得して帰ったとおもったに違いない。

娘は着信拒否をして罵詈雑言のメールを2回送信した。いつものパターンで自分がいかに傷ついたかを私と彼氏に訴え、それを諭されると近くにいた彼氏にあたりちらした。ここまでくると完全にボーダー反応だ。今日は兄嫁の見舞いに行っていた私たち夫婦はあまり動揺しなかった。

かなり難しい部分のできた脳腫瘍、命にもかかわる病を目の前にして娘のトラブルは命には別状なしだ。そして私も2ヶ月後には同様な検査が待っている。

でも、私の生命にもしもことがあり、余命を感じながら生きていく段階になる前にできるなら落ち着いて欲しいとも思う。人間の生命は限りがあるのだ。しかし娘も病に侵されている。外見からははかりしれない障害の持ち主なのだ。でも一般的な対応ではかえって増悪する可能性がたかい。トラブルに一喜一憂しないようにしていきたいと思いつつ。またまたトラブルだよ~と思ってしまう自分がいる。