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EASY-GOING

始まりと終わりを繰り返し、繰り返すコトで回る地球

映画★感想

2007-11-05 | 本や映画やDVD

わきゃんっと目を覚ます、
子犬が大男に踏まれて「わきゃん」と鳴く感じの目覚め、わきゃん
起きてまず視界に流れ込む陽の光、東京湾の水面に漂う月曜の太陽
いつもと違う場所で迎えた今週、マイペースで刻めればなお良き我がリドゥム。

先週は割りとたくさんDVDを観た。
久しぶりの「紅の豚」に男の心を刺激される、やっぱ好き。
言うなれば「全シーン」に夢中。全てのセリフに渋さと哀愁、
敵にも味方にも嫌なキャラがいない、ハヤオの空想、心底リスペクト、
俺もいつだってアドリア海に飛び込みたい、名誉の為に男は空を飛ぶ。
「STAND BY ME」同様、一生の名作入り。
これを今まで観たコトないってヤツが羨ましいよ、
これを初めて観れるなんて、幸せの一つだよ。


同居人で映画好きでコソ泥のマー坊が劇場に観に行ってテンション上がっていた「ワサップ」観る。
【Hip-HopもオーバァサイズのTシャツも人殺しのピストルもいらねーよ、
俺たちパンクですけど何か?】
観ていて気分が盛り上がるのがわかるクソガキ共の日常ロードムービィ、
ビバリヒルズで掻き鳴らすパンクミュージックと、
スケボーがアスファルトに削れる音。
もしもお前がクソガキなら、
この映画の中になぜか「懐かしさ」を感じるコトが出来ると思う、不思議な感覚。
男は悪友の馬鹿と遊んでいる時が、セックスしてるより楽しい。


ビッグフィッシュ/ティムバートン」
これ観て「おもんない」言うヤツは残念ながら夢を無くした哀れな大人だ。
俺じゃなくてもみんな「おもろい」言ってるだろう、
ティムバートンが描く父と子の物語、空想の世界と現実が交錯する心温まる話、
久々にコテコテの「感動作」を観た。親父と居る時は、ずっと子供のままでいたかったと痛烈に思った。
俺もいつかかろうじて「親父」になれたらこの物語の父親みたいに色々な話を子供に聞かせてあげたい。それほどの「冒険譚」が俺の中には眠っているし、俺の子供にも一緒に味わって欲しいし。それにしてもティムバートン、「スリーピィホロウ」は何ら理解出来ないチャンチャラ映画だったけど、「ナイトメア・ビフォ・クリスマス」とか大好き。俺、あれ持ちながら死にたいくらいあの世界観が好き、夢とか愛とか希望とか、臭いほど詰め込まれている映画は、やっぱ誰かの宝になるよな、絶対。


「天使の涙/ウォン・カーウァイ」
ビデオ屋にて「ふわぁ、何借りよ、ふわぁ何借りよ」って狼狽してた時に隣りに居た同居人で映画好きでコソ泥のマー坊から「この監督の観たコトある?おもろいよ」とさりげなく渡された一本、いや、おもろい。
初めて、演技する「金城タケシ」を観た。ただのオカマ野郎かと思ってたけど、格好良かった。
上海生まれで香港育ちのウォンカーウァイが創る作品をもっと観たくなった、この映画に「脚本」は存在せず、メモ程度のものを俳優に渡して俳優は即興で演技をしたらしい。
どうりで「詩的」なワケだ、映像も音も荒くキレていて、役者や監督のソウルを充分に感じた。
いや、でもこの程度なら「俺らでも出来るぜ、きっと」とかナメてみる俺。
いや、マジで。


トニー滝谷
村上春樹原作のこの作品、村上春樹の小説の世界が映像で見事に表現されていた。
春樹君の著書が個人的に好きで、何冊か読んではいるが、いつも楽しませてもらえる。この映画でいえばイッセー尾形の個性的な演技も魅力的だが何よりも宮沢リエ。この人はいったい何処まで美しくなるんだろうってほど、進化する綺麗。年々しなやかに、艶やかに、美しくなってはる。このままいけば行き着く先は「透明」だぜ、マジで。日本が世界に誇る美人。一度でいいから「せいちゃん、砂糖は1個でいいんだっけ?」って言われながら珈琲手渡されたい、「何個でもいいよ、気がすむまで入れて」


以上、散文的乱文、愛読に感謝する。

なおこれは「批評」ではなく「感想」だ。
映像であろうが音であろうが、全ての「表現」に僕は「敬意」を表す、
自分の中の世界を他人がのぞけるように変える行為、
自分の中の夢や絶望や冒険や愛を、世界に。

だてに1個ずつ毎年、年齢が重なるだけじゃないから、僕も。

僕らは空を飛べない代わり月にロケットを飛ばす。

2000文字に愛を込めて。



peace



EASY GOING「photo+」に写真追加
疾走する世界から撮った路上、是非、ご覧アレ。




永遠に「不良」

2007-09-05 | 本や映画やDVD

何日か前のお話、

その日が休日でのんびりと過ごした同居人のオイチョリさんと、
仕事が終わり帰宅した僕、

「しぇいいちろう、何かDVD観ようよ、」
と言うオイチョリさんのリクエストに応えて、
手元に有るものの、それまで観るタイミングを掴めずにいた
松田優作のラスト・ムービー「ブラック・レイン」を観た。

ほんで、観て、18年も、前に、死んだはずのこの男の存在感に、僕、また驚いた。

役柄に優しさがなく、演技にまったくの丸みがなく、
出来立てホヤホヤのナイフのような静寂な尖り具合と、
不敵に笑い挑発する時のクソガキのような顔つき、
主演のマイケルダグラスを完璧に喰い荒らし、
準主演の高倉健と互角かソレ以上の圧倒的存在感。

優作はこの映画を撮っている時にすでに癌に侵されていたが、
共演者にそれを隠しながら最後まで撮りきったっていうエピソードにも心を撃たれた。

「ソウルが強い人間を神様は近くに置きたがるんだ」
最近読んだ小説の一節、
若くで死んでしまった主人公の友人、
悲しみに耽る主人公を慰める為に別の友人が言ったヒトコト。

俺は神様の存在を相も変わらず信じちゃいないが、
もしも(もしも、もしも)神様が居るとすれば、
優作のソウルは神様の傍に置かれているに違いない。



人の表情も言葉も時間も年齢も、
映画という手段で表現すればそれらが全て「永遠」になる。
オードリーヘップバーンは、100年後もあの美しさのままローマでの休日を楽しむだろうし、
松田優作の狂気は色褪せるコトなく語り継がれ伝説になり、
映画の中では永遠に「不良」。





最近、思うコト、

変わり続けるコト、つまり変わらずに居るコト。
正直、この8年間で随分変わった気がするが何も変わっちゃいねーぜ、
映る自分と放つ自分は一緒のようで違う自分、

変わらずに変わり続けるコトの難しさ、楽しさ。

己の幹だけをハートに濃く描き、あとは気のまま風の吹くまま。
風よ俺に惚れろ、



Happy Birthday,




peace

Musica Cubana

2007-09-04 | 本や映画やDVD

週末に同居人のマー坊が借りて来たDVD「MÚSICA CUBANA」を観た。

キューバに吹く風と音と人と、情熱とかソウル、
退廃的な雰囲気漂うキューバの街角を飾るのは、
トラディショナルとニューウェーブが混じり合い純度を高めたキューバミュージック。

音とケムリと、暗い部屋の中で心地良い休日を過ごすコトが出来た、
作品キャストの中に製作総指揮でヴィム・ヴェンダースの名前もあった、
僕は彼の撮る作品に、どうしても胸を掴まれる気持ちになる。


やっぱ、一度はキューバに行ってみたい。
カストロのおっさんはそろそろ逝っちゃうだろうけど、
自由な風と陽気な音と、
その全てが革命の血の上に成り立つも、その全てが過去の繁栄で。


それでも、
明朗な社会主義と比喩されるコトもあるこの国、
今日も町の至るところには音楽が響き、手拍子が添えられ、
誰かが誰かの為に唄っているのだろうな、




Musica Cubana、

良く晴れた日が似合う、いい映画だ。




是非、ご覧あれ。






peace


松本・北野・誠一朗

2007-06-22 | 本や映画やDVD

右脳を激しく刺激してシェイクした有意義な昨日を過ごしました、
初めまして、国民的長男こと誠一朗お兄ちゃんです、こんにちわ週末。

浮世、とくに首都圏には馬鹿が多く、
1000人の女とセックスをした男の話より、
一人の女と同じベッドで見た1000回目の夢の話の続きの方が聞きたいね、俺は。
そういう照れるほど真っ白な感覚は身体の真ん中の部分に置いておきたいよ、
基本的には年中発情してるけどな、俺も含めて男というポコチンは。


松本人志君の映画、大日本人を観た。
賛否両論の浮世の戯言に惑わされることなくフラットな感覚で映画館に行って来た。
ハッキリ言って面白かった。
別に深くも浅くもない、いつも通りの松本君の表現方法。
雑誌か書籍かで読んだけど、松本君曰く
「キャシー塚本の時はヤバかった。あっちの世界にいったら帰ってこれないと思った」って、芸人独特の感覚の話、一般人にはなかなか理解出来ない境界だろう。

北野武君の映画、監督・ばんざいも観た。
映画監督・北野武の縦横無尽ぶりを存分に投げつけられて、見せ付けられた感覚。案の定「鎖を破壊した天才」の領域は狂気のヒトコト。
古典的なギャグが個人的に好きな僕は随所で笑えたが、全体的にはパワーあり過ぎて、「喰らわされた」って後味。



その魂で強く願えば運命は近づく、
空想の草原を鋭い爪を持つ灼熱の豚と行く、
錆びた車のボンネットの上、歯軋りをして仰ぐ空は青く、
積み重ねた悲しみを越えて、また次の悲しみに涙する。

荒野に咲いた花、信じる者に裏切られた女の最初の涙の一滴、

別に裏切ったり裏切られたり、ここらではよくあるコトだし、
「ふふん、そんなコトくらいで凹むなよ」と言いたいが、
仲のいい子がそんな目に合ったと聞けば、
全力でその男を殴ってやりたい気分になったね、夜中に。
おれ、喧嘩は弱いけど正義感ととんちだけは超一人前だから、超一流を自負する。




ようやく空が梅雨らしく濁りアスファルト・コンクリートを濡らし始めた、
嗚呼これは恵みの雨だ。かたつむりと共に喜ぶコトにする。
紫陽花は日本中の街角で雨に唄う、
夜桜公園の蜘蛛の巣に引っ掛かったままのいつかの僕の愛は風化して、なくなった。
国民的銀行強盗のスナイケルが、「やったのは俺だが。やらせたのはお前らだ!」と世界に向けて叫んだ、夜明け前未明、アトランティスが足踏みしてる頃に。



日曜日は晴れて欲しいけど。




人生なんて角度を変えれば、ドラマティックなただの暇つぶしだろ。






onelove



Get on the bus,

2007-05-23 | 本や映画やDVD

眠たすぎる一日を過ごし意識が朦朧とした末に帰宅後テレビをつければ我らがジャイアンツはハムに負けていてジーザス!と嘆いた後で同居人の猿がツタヤで借りて来たDVDを猿の彼女のシゲさんとリビングで鑑賞Spike Lee監督の「GET ON THE BUS」

100万人の黒人男性のパレード‘ミリオン・マン・マーチ’に参加するため、ワシントン行きの大陸横断バスに乗り込んだ12人とバスの運転手の心の交流を描いた作品。(「VIDEO INSIDER JAPAN」データベースより)


正味の話、僕にはまるで面白くなかった。

実はこの映画、前に借りたことがあって観ずに返したコトを珍しく僕は覚えていて彼(DVD)と僕は"再会"という形で二度目の出逢い、そりゃ嫌でも期待は高まるものの何というか「俺は黒人じゃなけれども、ブラザーの言ってるコトはよくわかる、確かによくわかるが僕は表面だけの云々だけでは満足出来ずその作品の真理にまで潜って主観的にメッセージを解読することを望んでいる、もちろん全ての物語に関してだ、その標的が映画であれ小説であれ全ての物語に関して」
しかしここまで【Yo,ブラザー、聞いてくれよ俺たちのこの熱い思い】をその黒人独特の大きな口から連発して放出させられると、何と言うか僕は、

ヘタってしまう。だって日本人だもん。

「いや、俺なんだかんだ言ってニガーじゃないしイエローモンキーのジャップだから、そんなアンタたちが喰らっていた差別や狂気な時代の荒波は表面だけでは理解出来てもその真髄までは辿りつけないんだよ、ゴメンな。おれ、日本人だから」って感じ。って感じとか言っても観てない人にはさっぱりわからんよな、ゴメンな。俺、セルフィッシュだからいつも。

ただ改めてわかったコトはSpike Leeはやはり代弁者であり生粋の表現者であるというコト。

昔の日本には多かったんだろうな、全ての映画監督や作家や歌手までもが戦後の日本を背景にして心の内側を吐き出して何かを腹の底から表現するコトで民衆に力や夢を与えていたのだと思う、ところが最近はそういう"ほとんど"の叫びや主張が出尽くした感があって何を観ても読んでも聴いても、何処かで観たぞ読んだぞ聴いたぞというのが第一にある。これは問題だ。それに対しどう乗り越えて行くかが、今後の「表現」であり、これからの可能性だと思う。


de,これは作文ではなくあくまで俺の「声」だという認識で居て頂きたい。いつも。


俺は性懲りも無く此処から今日も叫ぶ、
少しだけ赤が薄れてきた西の夕暮れに向かって。



何の話かって?



ロケンロールの話だ。






合掌




バナナの皮さえあればいい

2007-01-12 | 本や映画やDVD

例えば、これから渡ろうとしている橋の真ん中に「バナナの皮」が落ちていたとする。
僕はこの瞬間こそが人生のクライマックスだと信じてやまない。

誰かが意識的に置いたモノなのか、
それとも何の意図も含まない、ただの「バナナの皮」なのか、
僕はバナナの皮で足を滑らし大袈裟に転ぶ志村けんに憧れた部類の人間だ。
そのバナナの皮に意味があろうがなかろうが、間違いなく。
辺りをキョロキョロと見回し、勇気を持ってバナナの皮を踏みつけ、派手に転んで魅せよう。

それを見た誰かが笑い、
その日の晩のその人の家の食卓で、
「あんな、今日な、そこの近くの橋のトコでな、阿呆な坊主のヤツがな、バナナの皮踏んでコケてん!めっちゃ面白かったわぁ、オカンにも見せてあげたかった・・・しまった!何でムービー撮るの忘れたんやろ、次見つけたら撮っとこ、あの坊主絶対阿呆やからなぁ」的な会話が繰り広げられるコトを切実に願う。

僕は断言する、
僕は道にバナナの皮が落ちていたら我先にソイツを踏む、そして誰よりも華麗に、滑稽に、スペクタクルに転び、その場を爆笑の震源地にする。

バナナの皮が落ちているのを発見した方がいらっしゃれば、
僕にまで一報下さい。
誰も見たコトがないほどの優雅な舞をお見せいたします。





そういえば、今年の「初読」を終えた、
古い友人から薦められた小説「家守綺譚/梨木香歩」
普段僕が読まないような書体と、言葉の雰囲気で読み始めこそ若干の戸惑いはあったが、気付いた時には本に心を捕らわれていた。

文章を読むだけで目の前に景色が浮かぶ、
日本の四季折々の風流な情景や言葉、花々や動物、
ごく僅かな登場人物と飼い犬と、不思議な生き物たちとの日常。
新春早々、いい本に出逢えた。
ロックンロールのように言葉が派手に揺れる弾丸のような文章もいいが、
たまには深々と心に、雪のように言葉が積もっていくような、日本らしい文章もどうだろう?


おばあちゃんの家の縁側に座って、そこから見える景色が、
この本の中には広がっている。

日本人で良かったと、久しぶりに思えた。



そして、
やっぱり河童はいるんだな、と確信した。
家守綺譚、日本の美しい「季節」が読めます。








合掌