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半蔀(はじとみ)の徒然なる日々

趣味や興味のある事柄について、また、身の回りのとるに足らないことなどを思うままに記してみたり…

オーリ来日☆

2005-04-13 | 映画
ほぼ一ヶ月ぶりに、やっと更新する記事が直前の記事の第二弾という感じで、我ながら…
なんにしても、夢じゃなく、本当にオーリが来日した…!!
嬉しい~~
流石に成田にお出迎えとかは行けなかったけどw行かれた方のレポを拝見するだけでも嬉しかった
オーリもホントいい笑顔で楽しそうだったのが、凄く嬉しい
ただ、前々から想像していた『もし、オーリが来日したら、1000人以上、いや3000人くらいはお出迎えファンが押し寄せるに相違ない』という勝手な予想は、やや外れ、700人のお出迎えだったそうな。
それでも大したもんだが、チョイ残念””
それもあってか、トップニュースとしては扱われず(トップに違いないと思ったのはファンの欲目か?w)「とくダネ!」に至っては紹介すらされなかったし…w
尤も、今回お出迎え前に、色々とファンの間で意見が交錯し、その影響もあって、敢えて特別な形でのお迎えは自粛しようという流れができていたので、その影響もあって、やや人数が抑えられる結果となっていたのかもしれない。
お出迎え後も、その際のマナー違反した者がいたとかで、色々とファンの間で取り沙汰されていたが、今朝のエンタ関係ニュース等を見る限りでは、目に付くような混乱等は感じられなかった。
もちろん、現場にいるといないとでは、全く受ける状況は異なっているのかも知れないが、最近よく目にする韓流ファンのそれと比較しても、控えめすぎるくらいだと思ったのだが…

兎にも角にも、今現在、オーリは同じ日本の地に居ると思えるだけでも、なんか幸せ(莫迦w笑)
今日は「キングダム・オブ・ヘブン」のジャパンプレミア。
オーリはもちろんの事、ファンや関係者の方々にとっても、良い印象が残るイベントとなって欲しいな。
そして、オーリには、気持ちよく日本を発ってもらう、という☆
ホントは、京都あたりに花見に(また今年は近年稀に見る良い咲き加減で””)来てもらいたかったりするけど、「パイレーツ・オブ・カリビアン2」の撮影途中だしねwまぁ仕方ないやね
プレミア後のファンのレポや、エンタニュースも楽しみだな
イベントは夕方からなんで、流石にリアルタイムで追うのは無理だからねw

オーリ来日決定☆

2005-03-04 | 映画
ついに、というか、やっとというか…とにかく
オーリ来日決定…!
今年5月に公開予定の「キングダム・オブ・ヘブン」のジャパンプレミアに合わせての来日ということらしい
いや~、ずっと肩すかしばっかだったもンね~””
なんか嘘みたい

流石に、空港お迎えとかは行けよう筈もないけど、きっと多くの人達が押し寄せるんだろうなぁ””
その様子をテレビのエンタメニュースで拝見して一人悦にいるとしよう(苦笑)

ジャパンプレミアも三組六名が、豪華ディナー&宿泊に招待されるとか。
これも、仮に当たったとしても行けそうにないから、行かれたかたのレポを楽しみに待とう

グラミー賞や、アカデミー賞の紹介役やプレゼンターを勤めたのも凄かったけど、やはり、来日は特別…!
みんな待ちに待ってたからね~””
待てば海路の日和あり?
よし、これを励みに、また日々、元気に頑張ろうっと  

ゴールデン・グローブ賞☆

2005-01-18 | 映画
ゴールデングローブ賞の授賞式に関して、テレビで紹介されていた。
今年は、昨年ほど、賞に関係しそうな作品に関心がなかったため、テレビで初めて『あぁ、もうそんな頃か…』と思った次第で…
そんなだから、そのニュースの後になって、オーリがプレゼンター(というか、作品の紹介役)をやっていたっていうことを知ったという体たらく…
めざましテレビの『メディア見たもん勝ち』のコーナーで、チラッと会場にいるオーリを見たと思ったら、そういうことだったのね
いや、もちろん、1プレゼンターで一喜一憂してるのは、ファンだからのことで、世間では、もっぱら、やっとレオナルド・ディカプリオが、無冠を脱したというニュースで持ちきりのようなんだが””

凄そうだな~と思うのは、ミュージカル・コメディ部門で主演男優賞を受賞した、「RAY(レイ)」の、ジェイミー・フォックス
「RAY(レイ)」は、『ソウルの神様』と呼ばれていたレイ・チャールズの半生を描いた人間ドラマなんだそうだが、色んなところで紹介する内容に触れる度、鬼気迫る感じの熱演ぶりに、知らずと鳥肌が立つ程だった。
受賞が囁かれていたが、本当にそうなったというわけだ。
また、助演男優賞の部門でも、「コラテラル」でノミネートされているから驚きだ。
彼がコメディアン出身だというのにも、ビックリだったが、考えてみたら、コメディアンから俳優として成功している例が、よく見受けられる。
アダム・サンドラーや、ダン・エイクロイドビル・マーレーなど…
日本においても、宮迫博之や、山口智充伊東四朗など…
単純には言えないが、やはり、お笑いを極めようとすれば、自ずと人の心理の奥底まで把握する必要があり、それに長けようとすれば、演技力も備わる場合が往々にしてあるという感じだろうか…?

ゴールデングローブ賞から、随分と話が脱線してしまったようだがwそこに思いを寄せてしまうくらい、「RAY(レイ)」が凄そうだということである。

さて、アカデミー賞では、主演男優賞に関しては、「RAY(レイ)」のジェイミー・フォックスと「アビエイター」の、レオナルド・ディカプリオの一騎打ちだといわれているが、まだノミネート作も発表前なので、勝手な話ではある
ただ、ゴールデングローブ賞の結果がアカデミー賞に影響しているという従来の傾向から、致し方ないといったところか。

果たして、結果は如何に

らくだの涙、観ちゃった☆

2004-12-27 | 映画
らくだの涙は、物語風ドキュメンタリーである。
つまり、実際に起こっている出来事(らくだの出産や養育拒否など)と、それらをスムーズに伝えるための演出としてのつなぎのドラマ的技法が合わさって、全体的な意味でのドキュメンタリーとして成り立っている作品なのである。

正直、この作品を通して、自らの子育てを思い起こさざるを得ず、色々と複雑な思いがした。
やや作品から離れてしまうかもしれないが、少々現代の母親事情について語っておきたい。

母親というのは、ただ産めば成れるものではない。
もちろん出産に至るまでの妊娠期間も、経験なくば、想像もつかないことの連続である。体内に胎児がいるだけではなく、母胎自体も体内から、生理面も含め、信じられないくらいに変化するのである(外見的な変化以上に身体の中の働きが変わるのである)。
出産そのものも、男性が体験すれば死に至るとまでいわれる、途方もない経験である。
だが、そこまでの経験を持ってしても、直ちに母親というわけではないのだ。
数え切れない程の毎日毎日の積み重ねがあって、徐々に母親として成り立っていくのである。
それは、単に技術的な慣れだけではなく、精神的な自覚も養っていく。
複数の子を持つ母親は、よく下の子程可愛いという。
それは、ひとえに精神的余裕からきている。
一人目など、初めてづくしで、気持ちが焦るばかりで、とても改めて子供を思い直す余裕はない。
誤解してもらいたくないが、可愛くないわけではなく、その想いだけに浸る余裕が持てないということだ。
これが二人目以降になると、事情は全く異なる。
実際のところは、子供が一人増え、育児は、より一層大変になっているはずだが、精神的な面では全く逆なのである。
一度は通った道だけに、精神的にゆとりが持てるのである。
すると、不思議なもので、訳もなく子供が愛おしく感じられるのである。
俗に云う目に入れても痛くないという感情だ。
一人目だと、何事にも必死で、そんな風に感じている余裕はあまりないように思われるのだ。
これが、昔ながらの多世帯家族ならば、事情は異なるかもしれない。
核家族で、昼間、たった一人で子育てと家事をこなさなければならない、現代の多くの主婦は、一人目の子育てに精神的なゆとりを持ちづらい環境であるといえよう。

と、ここまで語ってきた、現代の母親事情というのを踏まえて話したいが、本作で、らくだの母親が、遊牧民一家の若い母親の歌声と、馬頭琴の調べを聞き、涙を流した後、今まで拒否し続けていた子らくだを受け入れるようになったというくだりについてだ。
この母親らくだは、初産で、しかも、相当な難産であった。
つまり、生まれて初めてかなりな苦しみを長時間味わった後に、あの子らくだが出現するのである。
出産直後の混乱した母らくだにとって、その子らくだの存在は、喜びと云うよりは、苦しみの象徴のように思えたかもしれない。
その混乱しきったパニック状態にある母らくだに、周りの人間達がしきりに子らくだを近づけ、授乳させようとするのである。通常なら、当たり前のことなのだろうが、パニック状態にあるこの母らくだにとっては、それは、かなりな負担に感じられたに違いない。
より一層、その一連の出来事の根元である子らくだを受け入れがたく感じてしまったのかもしれない。
その状況を危ぶんで、尚更に、子らくだを近づけてみようと試みる人間。
母らくだは、パニック状態を脱する暇もなく、ひたすら置かれた状況から逃げ続けることとなる。
結局、儀式として、馬頭琴を用い、歌い聞かせをするに至るのだが、あの儀式の時、暴れる母らくだの身体に馬頭琴を取り付け、落ち着かせるシーンがあった。
あの時、平原を吹き渡る風が馬頭琴に共鳴し、僅かに耳鳴りのような音が響いていた。
その音を聞く内に、あんなに興奮していた母らくだが大人しくなった。
推測だが、馬頭琴の振動が、直接身体に響き、一種の癒し効果をもたらしたのではないか。
そして、馬頭琴の演奏と共に、若い母親が何とも美しく優しい歌声と共に母らくだの身体をゆっくりと撫でさする。
そうしている内に母らくだは涙を流すのである。
思うに、この時、ようやくパニック状態から完全に脱することが出来たのではないだろうか。
精神状態が平常に戻れば、本来のピュアな本能が自然と働き、養育意欲が芽生えたと云うことではなかろうか。
これが、人間の場合なら、もっと複雑な感情が絡み、更にややこしい話になりそうだが、らくだは大丈夫のようだ。
とにかく、らくだにせよ人間にせよ、精神的余裕がない状態で母親的愛情を抱けといっても、結構厳しいのである。

それから、子らくだについてだが、母親から拒絶されている間、何とも、もの悲しい声で泣き続けていた。
この鳴き声には、何処か聞き覚えがあるような気がした。
子供が、本当に辛く悲しい時に、押し殺すような声で泣く時がある。
その泣き声に、とても似ていた…
この子らくだもそうだが、私自身が聞いたそれによく似た子供の泣き声を思い起こすにつれ、どうにも胸をギュウッと鷲づかみにされたように感じた。
親として、子供にそういう泣き方は、出来得る限りさせるべきではないと、今更につくづく思い知らされたw

最後になったが、監督について簡単に述べておこう。
この作品は、当時ミュンヘン映像映画大学(HFF)ドキュメンタリー科の学生であった、モンゴル出身の
ビャンバスレン・ダバーと、イタリア出身のルイジ・ファロルニの二人が監督を務めている。
ダバーが、遊牧民家族への演出指導をしたり、ファロルニが、断片的な撮影内容を一貫する物語として構成したりしていたそうだ。
特に、ダバーは出身国を題材としただけに、思い入れも相当あったようである。
彼女自身は都会育ちで、遊牧民出ではないそうだが、祖母から聞かされた話などから、関心を持っていたようである。

これからも、優れたドキュメンタリー作品を作り続けていってもらいたいものである

スーパーサイズ・ミー観ちゃった☆

2004-12-27 | 映画
スーパーサイズ・ミーだが、プロデューサー兼監督が自ら被験者となって、その経過や、関係する事柄の取材も含んだドキュメンタリーである。
その監督は、モーガン・スパーロック。ある意味、強者だ
あるファーストフード・メーカー(一応明記は避けとこうw)の食品(ミネラルウォーターも含む)のみを朝昼晩、三食摂って一ヶ月間を過ごすというものだったが、その結果は、本人やこの実験に関わっていた医者などの専門家達の想像を遙かに上回るものだった
体重、血糖値、コレステロール値の増加は当然のことながら、肝臓に著しいダメージがあるとは…
専門医もかなり驚き、深刻さを増していた””
『止めないと死にますよ?』と。
実験前に複数の医者から健康体であると太鼓判を押されていた彼は、実験終了後『立派に病気です』と評されてしまっていた

実験の経過もさることながら、途中に挟まれた色々な関係事項の取材が凄かった。
アメリカの公立中学の多くに、ある食品メーカーが給食を下ろしているが、その内容が問題だ。
バイキング方式で好きなものを選べるのだが、その選択肢の中に、袋入りのお菓子やケーキ、炭酸飲料が含まれている。
当然、お菓子と炭酸飲料だけで済ませる生徒達も多いw
学校側は、『お菓子とかは、きっと友達と分けるんだろうし、家から弁当も持ってきているに違いない』と確認もせずに見て見ぬふりだ
成長期の子供らの給食がこんなで…w
もちろん中には、ちゃんと手作りで栄養バランスのとれた給食を、同じ予算で(ここが肝心)行っている学校もあるが、少数のようだ。
予算的に変わらないのに何故?と思うが、前述の食品メーカーが大口を失いたくないために、撤退したがらないとか。
この点に関しては、つくづく、日本で良かったと思った。
日本の給食はよく考えて作られているし、季節の行事も多少反映していて、楽しい

ちなみに、監督の体調は、実験後にかなり時間をかけて、復調したそうだ。
それには、菜食主義の彼女の手料理がかなり功を奏していたようだ。
実験後すぐに、解毒作用のある食材を多く用いた料理を作り続けたそうだから。
素晴らしい恋人に感謝、といったところか