トラちゃんの<のんびり行こう<

在宅介護老老介護予備軍、元長距離トラックドライバー・元自衛官・元調理師。現在は妻の介護と自らの疾病の治療に専念する。

トラちゃんの自叙伝

2016-06-10 14:36:49 | 日記
    昭和30年11月13日午前10時10分

大阪市浪速区北高岸町8番地(現・敷津町)にて出生。当時は大阪市内でも水洗トイレもなく、

水道もなく、共同トイレ・共同井戸水での生活でした。

父親は「やくざ」も近寄らない暴れ者で、大酒飲み。

生活費もあまり入れず、吾輩も4歳から母親と「南座」などの清掃を助ける日々を送ったものです。

南座・角座などの深夜清掃は、ミカンやお酒の宝庫?まず、おやつには困ることはなく、

たまにお財布などを拾ったものです(きっちりとネコババ)が、当時7千円ほどの親父の給料よ

り、かなり多い稼ぎ?になったのは事実。

3歳で洗濯を覚え洗濯板でよく洗った記憶があります。

5歳になってから「日本橋幼稚園」に入園、その後敷津小学校に入学するも、一念で兵庫県御津

町の小学校に転校、祖母の家での生活でした。

小学校2年生になると姫路市の八幡小学校に転校、これが悲劇?の始まりでした。

父親の「家庭内暴力」は日ごと激しくなり、姉は頭に5針縫う傷、吾輩も頭蓋骨陥没・額に2針

縫う怪我。

兄は跡取りとして可愛がられすぎて、正直馬鹿。2年生の吾輩に4年生の宿題を押し付ける有様

それも、妹が生まれるまで、父親も妹が生まれると家庭内暴力は兄にまで及び、結果的に家出

家出の繰り返し。

こんなバカ親ですが、本家は由緒ある家柄で菊のご紋。

大叔母が「昭和天皇」の乳母に上がり、明治時代は子爵だったといわれている。

事実本家を改築した得「菊の紋」や「三つ葉葵」のご紋の入った着物が出てきたといわれてます

。母型は「室津城主」の家柄で、どちらも「文句のつけようのない家柄」なのですが、

父親は「悪ガキ」が過ぎて養子に出されたのが今の家名です。

15歳で「姫路市立広畑中学」を卒業と同時に吾輩も独立、2DKのアパート(寮)で一人暮らし

を始めたのです。

調理師としての第一歩を踏み出したものの…18歳で一時中断。

海上自衛隊に入隊(舞鶴)。真冬に泳いでよく同僚と酒を飲みに行ったものですが、翌日は

必ずと言っていいほど「風邪」を引いておりました。

舞鶴基地勤務、海上自衛隊三曹で除隊。即応予備自衛官として退役まで予備自衛官を務めあげま

した。

除隊後は元の調理師に戻り、各地を転々と「流れ板」の生活。
             
             >続く<




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