2月21日(金)晴天と春を思わせるような温かさに恵まれ、和泉リサイクル環境公園の、梅林と菜の花畑を目指してウォーキングを実施しました。
参加者17名。泉北高速鉄道和泉中央駅に集合し、南海バスで、納花(のうけ)まで乗車し、徒歩で和泉リサイクル公園へ向かう。このウォーキングを始めたころは、光明池駅や、和泉中央駅から往復したものだが、10年を過ぎ、高齢化が進み、今回は一部バスを利用するようになった。
もともと、長距離歩くことより、ワイワイおしゃべりしながら、道々の草花や景色を楽しみながらゆっくり歩くことを目的としたウォーキングですので、年齢とともに歩く距離が短くなっても参加者が減ることもありません。
駐車場から入り、幅の広いゆったりとした木の階段を上ります。木の階段は疲れを感じないのが不思議ですね。
階段を登ると右手に日本庭園があります。
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日本庭園の一番奥に、スンジョボさんと親しまれる、俊乗坊重源(しゅんじょうぼう ちょうげん)を祀る重源堂があり、そこから、和泉平野が一望できる。参加メンバーの新井さんから、説明を聞く。
谷山池は重源の築造と伝えられているが、造成はもっと古く、古代(9~10世紀)と思われ、以後何回も改修・拡張が続けられた。
鎌倉時代に行われた、改修・拡張工事に、俊乗坊重源が寄与したことで、スンジョボさんとして、池の中の島に御影堂を作って祀られ、現在はこの和泉リサイクル環境公園の谷山池を見下ろせる高台に重源堂として移設されている。
納花バス停の近くに鍛冶屋町(讃岐田集落)というのがあるが、以前讃岐国が水飢饉で困っているとき、重源が米やお金を与えたことに感謝して、この工事に大勢の人を送り、その中に工事用の道具を作る鍛冶職人もいて、完成後も池の周辺に定着したことによる。
谷山池の水は、槇尾川に落とし、池田下町から府中までの池田谷平野を灌漑されてきたが、谷山池周辺の納花村では、下草や樹木は、肥料や牛の飼料として利用しているので、開墾した土が池に流れ込み、池の貯水量が減少するため、谷山池郷と納花村との間で大論争になった。
納花村の名前の由来は、当地に槇尾山「施福寺」の花畑があったことからその名がある。
(クリックで拡大)左後ろが重源堂
日本庭園を出て、菜の花畑に向かう。
天気が良く、暖かくぽかぽか陽気で、今日は人手が多い。何度も訪れているが、グラウンドが臨時駐車場として使われ、ここも満車の状態であった。
昨年まで早生の菜の花が植えられていたが、梅の時期には花が終わってしまうので、今年は晩生の菜の花に変えたとのことでした。
枝垂れ梅は満開。水仙も少し残っていた。
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梅林の中のベンチは満席、梅林下のベンチで、弁当。
食後は、恒例の歌を唄う。 かあさんの歌 春よ来い どこかで春が 早春賦
事務所のそばに、黄色い梅が! 「黄梅(おうばい)」と言う、キク類モクセイ科ソケイ属(ジャスミン属)の半つる性低木で、中国名は「迎春花(げいしゅんか)」
和泉リサイクル環境公園を出て、納花バス停までウォーキング。バス停で一次解散し、歩ける人は、泉中央駅に向かう。
南池田小学校から、左に折れ、鍛冶屋町を通り、和泉中央駅への大通り(和泉中央線)に出る。
和泉中央線沿いにある、「石尾のお大師さん」で知られる、石尾山弘法寺に立ち寄る。
渡邊公雄(こうゆう)大僧正に、由来と裏山には、一巡すると二時間を要する、ミニ四国八十八か所霊場があったが、ニュータウン開発時に要請されて土地を提供し、現在はこじんまりと集約されたとの話をお聞きした。
修行大師像と本堂
門前でお迎えする、「子ぼんさん」
阿形と吽形
真言宗で大切にする十三の仏様が刻まれた、石碑とマニ車
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地蔵菩薩(ボケ除け地蔵)
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本堂裏のおがみ山の頂上に、万民の幸せと健やかな暮らしを願って、白衣観音が街を見下ろされている。
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