我が母は、大正3年鹿児島県大隅半島の農家の長女として生まれる。
早く父と結婚して5男3女に恵まれました。結婚当初は農家ですから暮らしは裕福ではありません。
祖父も健在で11人家族にお手伝いさんが1人いましたので、12人ですから母は生活のやりくりが大変だったと思います。
小学校高学年になりると父は町会議員で他の役職もあり不在がちでした。
農作業は母中心になって母の負担は大きくなりましたけど、母は愚痴をこぼすことはありませんでした。
父は議員から助役に転職しましたので、農家は母が仕切っていました。
次兄が農家を継承するまで頑張ってくれました。
私は中学卒業後から家を出て生活しましたので、母の苦労は一部分だけしか知りません。
母は103歳まで長寿でした。前半3分の2は苦労の連続だったでしょう?
人生後半3分1は、生活に余裕もできゲートボールやグランドゴルフを楽しんでいました。
選手として色々な大会に参加して入賞も多々あったそうです。
母の生涯はは平坦ではありませんでしたけど、愚痴をこぼすこともありませんでした。
我が母の偉大さが今になって良く理解できます。
母孝行をもっともっとすべきたった今悔やまれます。