鹿児島県の片田舎で中学生まで生活していました。
戸数100戸ほどの村でしたが、人口は500人を超えていました。
同級生も10人を超えていましたので当時は活気のある村でした。
現在では過疎地域で限界集落と言えるほど淋しい村になっています。
中学生迄生活していた頃は春になると、休みの都度山菜のわらび取りに行くのが日課でした。
わらびは、直ぐ調理して食べますが、保存食に加工していました。
毎食わらび料理でしたので嫌な思い出になっています。
都会で生活しているとわらびは珍しいですし今は美味しくいただいています。