・ 【伊豆の往復は電車です:始発のボックス席はがらがらです】
(バイクでなく電車で帰っても旅気分を満喫したいね!)
病気して以来付き添いに息子が付いてくれます、息子は大型スクーターでやって着ます
まだまだ冬は寒くてバイクの後ろには乗れません。今日は次男もやってきました、
どうやら満を持して釣りに挑戦だそうです
(道具を揃えたって釣果に影響はないと思いますが・・・!)
来週はお隣に庭師さんが入って、立ち木を剪定するためにはキャンカーを塀に寄せ過ぎていまして脚立が入りません
脳梗塞の折、「車なんか誰が運転するの?」と皆に反対されながらも、自分なりに熟慮してキャンカーの車検を取りました、
ガソリンも補給したいし動かさないとバッテリーだって上がります、自転車の乗っけてテニスにも行きたい
(帰りは全線下り坂なんで、楽チンで戻れますよ!)
付き添いの息子はバイク免許です、次男がくるのは大歓迎です
仕掛けを工夫して来まして餌代も奮発しております!
(釣りは簡単な述べ竿で十分、下手な仕掛けは釣り場所を選びますし手離れも悪いし、餌代も掛るよ)
・ 【車窓は国府津駅付近です】
仕掛けを代えても海は高波がたって釣りにはなりませんし、つりする前から釣り竿の
先端ガイドを折ってしまって釣りになりません
うなだれて帰ってきました、二人で午後一杯やってましたからさぞかし寒かったと思います
(そんなもんです、釣れたって小魚を1匹2匹捌くのは煩わしいだけです、釣って来なければ外に食べに行けます)
熱海から鴨宮、二ノ宮、大磯、辻堂駅を通過していきます
(最近電車の音が静かで線路の切れ目音のガタンゴトンがありません)
・ 【国府津駅を過ぎました】
鴨宮駅を通過しましたから、次の停車駅は国府津駅です、国府津えきは旧国鉄のターミナル駅で御殿場線に繋がります
国府津から鉄道史
「昭和9年に丹那トンネルが開通です
熱海は古くから温泉の町として知られていたが、この辺りは地形が険しく、
東海道本線も当初は熱海を通らず現在の御殿場線のルートを取るなど、
交通の不便な場所でもあった。そのため、この地に鉄道を敷設する運動が
地元民などから起こるようになった。
丁度、国府津駅前から小田原町内まで小田原馬車鉄道(1900年に路面電車化し、1920年廃止)
という馬車鉄道が開通していたため、それと連絡する形で当初は普通の鉄道を敷設しよう
としたが、資金が集まらなかったため事業家雨宮敬次郎の発案により人力で車両を押す
人車軌道に規格を変更し、雨宮と地元有志が共同で豆相人車鉄道を設立して
1895年から1900年にかけて漸次開通させた。」
人力で汽車を動かすなんて発想は省エネの現代でも到底思いつかないね!!
(昔から困難を克服するには人海戦術しかありませんが?)
丹那トンネル:昔はトンネル難工事で犠牲者も沢山で出て教科書にも逸話が載っていた記憶があります
(最近では教科書にも載っていないそうです、何しろその後に開通した青函トンネルは54km位もあります)
・ 【この辺までは海が見えています】
「丹那トンネル(たんなトンネル)は東海道本線の熱海駅~函南駅間にある複線規格のトンネル。
総延長7,804m、1934年(昭和9年)開通。
完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長だった。
現在、東日本旅客鉄道(JR東日本)と東海旅客鉄道(JR東海)との会社境界はトンネル東口付近
(来宮駅電留線の上り場内信号機)となっているが、丹那トンネル自体はすべてJR東海の資産となっている」
平塚過ぎて相模川の広い河口を渡ります
・ 【相模川の鉄橋を渡ります】
ジェトスキー、モーターボート、ウインドフィンでにぎわう河口ですが、流石に冬将軍到来でまばらな眺めです
(先に車が沢山駐車していますのは平塚競輪場のお客さんです)
相模川
「上流の山梨県では、桂川(かつらがわ)、河口近くの下流では、馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれている。
古くは、鮎川(あゆかわ)と呼ばれた。
山梨県南都留郡山中湖村、富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。
富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。
都留市を経て大月市で流路を東に変える。相模湖と津久井湖(ともに相模原市)という2つのダム湖を経て、
ゆるやかに進路を変え、厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き
平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ。」
そういえば山中湖で少年サッカーの合宿やっていたら、宿の脇の小川がやがて相模川の大河になると教わりました
茅ヶ崎駅すぎれば間もなく藤沢駅です
(小田急線に乗り換えて三つ目の湘南台駅、相模鉄道で4つ目の弥生台駅なのですが、本日は早い帰還なので
昼間から飲める居酒屋のある大和駅経由となります)
・ 【藤沢駅に到着です】
藤沢まで熱海から所要時間50分です、お酒やお弁当を買い込んで熱海から始発ですから座って窓際の席に陣取り
旅気分でいざ出発です、迎えに座っているおじさんは迷惑そうに見ていますが無視します
車内で宴会やってる人たちはいません
(たとえ熱海と言えども旅行気分に浸りたいね)
そんなに飲みたかったらグリーン車にでも行って下さい!とママは言いますが、普通のボックス席の窓際で
出来るならば、海側の窓際の席で足が伸びれば最高です、海が見えるのは二宮手前までですが・・・・
今日は城ヶ崎海岸駅で偶然にもパン屋(CHICO)さんご夫妻とご一緒になりました、熱海でイベントが
あるそうで見物がてら冷やかしに行くみたいです、従ってリュックにお酒を忍ばせていますが飲めませんね
2度の脳梗塞でロレツが回りませんから、リハビリを兼ねて一生懸命話しますおせじにもロレツは回ってると
言ってくれまして、ご夫妻達と楽しく車内で話し込みました、話があっちこっち飛んで迷惑だった思います
(バイクでなく電車で帰っても旅気分を満喫したいね!)
病気して以来付き添いに息子が付いてくれます、息子は大型スクーターでやって着ます
まだまだ冬は寒くてバイクの後ろには乗れません。今日は次男もやってきました、
どうやら満を持して釣りに挑戦だそうです
(道具を揃えたって釣果に影響はないと思いますが・・・!)
来週はお隣に庭師さんが入って、立ち木を剪定するためにはキャンカーを塀に寄せ過ぎていまして脚立が入りません
脳梗塞の折、「車なんか誰が運転するの?」と皆に反対されながらも、自分なりに熟慮してキャンカーの車検を取りました、
ガソリンも補給したいし動かさないとバッテリーだって上がります、自転車の乗っけてテニスにも行きたい
(帰りは全線下り坂なんで、楽チンで戻れますよ!)
付き添いの息子はバイク免許です、次男がくるのは大歓迎です
仕掛けを工夫して来まして餌代も奮発しております!
(釣りは簡単な述べ竿で十分、下手な仕掛けは釣り場所を選びますし手離れも悪いし、餌代も掛るよ)
・ 【車窓は国府津駅付近です】
仕掛けを代えても海は高波がたって釣りにはなりませんし、つりする前から釣り竿の
先端ガイドを折ってしまって釣りになりません
うなだれて帰ってきました、二人で午後一杯やってましたからさぞかし寒かったと思います
(そんなもんです、釣れたって小魚を1匹2匹捌くのは煩わしいだけです、釣って来なければ外に食べに行けます)
熱海から鴨宮、二ノ宮、大磯、辻堂駅を通過していきます
(最近電車の音が静かで線路の切れ目音のガタンゴトンがありません)
・ 【国府津駅を過ぎました】
鴨宮駅を通過しましたから、次の停車駅は国府津駅です、国府津えきは旧国鉄のターミナル駅で御殿場線に繋がります
国府津から鉄道史
「昭和9年に丹那トンネルが開通です
熱海は古くから温泉の町として知られていたが、この辺りは地形が険しく、
東海道本線も当初は熱海を通らず現在の御殿場線のルートを取るなど、
交通の不便な場所でもあった。そのため、この地に鉄道を敷設する運動が
地元民などから起こるようになった。
丁度、国府津駅前から小田原町内まで小田原馬車鉄道(1900年に路面電車化し、1920年廃止)
という馬車鉄道が開通していたため、それと連絡する形で当初は普通の鉄道を敷設しよう
としたが、資金が集まらなかったため事業家雨宮敬次郎の発案により人力で車両を押す
人車軌道に規格を変更し、雨宮と地元有志が共同で豆相人車鉄道を設立して
1895年から1900年にかけて漸次開通させた。」
人力で汽車を動かすなんて発想は省エネの現代でも到底思いつかないね!!
(昔から困難を克服するには人海戦術しかありませんが?)
丹那トンネル:昔はトンネル難工事で犠牲者も沢山で出て教科書にも逸話が載っていた記憶があります
(最近では教科書にも載っていないそうです、何しろその後に開通した青函トンネルは54km位もあります)
・ 【この辺までは海が見えています】
「丹那トンネル(たんなトンネル)は東海道本線の熱海駅~函南駅間にある複線規格のトンネル。
総延長7,804m、1934年(昭和9年)開通。
完成当時は清水トンネルに次ぐ日本第2位の長さで、鉄道用複線トンネルとしては日本最長だった。
現在、東日本旅客鉄道(JR東日本)と東海旅客鉄道(JR東海)との会社境界はトンネル東口付近
(来宮駅電留線の上り場内信号機)となっているが、丹那トンネル自体はすべてJR東海の資産となっている」
平塚過ぎて相模川の広い河口を渡ります
・ 【相模川の鉄橋を渡ります】
ジェトスキー、モーターボート、ウインドフィンでにぎわう河口ですが、流石に冬将軍到来でまばらな眺めです
(先に車が沢山駐車していますのは平塚競輪場のお客さんです)
相模川
「上流の山梨県では、桂川(かつらがわ)、河口近くの下流では、馬入川(ばにゅうがわ)と呼ばれている。
古くは、鮎川(あゆかわ)と呼ばれた。
山梨県南都留郡山中湖村、富士五湖の一つでもある山中湖を水源とする。
富士山北麓の水を集めながらまず北西に流れ、富士吉田市で北東に折れる。
都留市を経て大月市で流路を東に変える。相模湖と津久井湖(ともに相模原市)という2つのダム湖を経て、
ゆるやかに進路を変え、厚木市からは南にまっすぐ下り、神奈川県中部を貫き
平塚市・茅ヶ崎市の境付近で相模湾に注ぐ。」
そういえば山中湖で少年サッカーの合宿やっていたら、宿の脇の小川がやがて相模川の大河になると教わりました
茅ヶ崎駅すぎれば間もなく藤沢駅です
(小田急線に乗り換えて三つ目の湘南台駅、相模鉄道で4つ目の弥生台駅なのですが、本日は早い帰還なので
昼間から飲める居酒屋のある大和駅経由となります)
・ 【藤沢駅に到着です】
藤沢まで熱海から所要時間50分です、お酒やお弁当を買い込んで熱海から始発ですから座って窓際の席に陣取り
旅気分でいざ出発です、迎えに座っているおじさんは迷惑そうに見ていますが無視します
車内で宴会やってる人たちはいません
(たとえ熱海と言えども旅行気分に浸りたいね)
そんなに飲みたかったらグリーン車にでも行って下さい!とママは言いますが、普通のボックス席の窓際で
出来るならば、海側の窓際の席で足が伸びれば最高です、海が見えるのは二宮手前までですが・・・・
今日は城ヶ崎海岸駅で偶然にもパン屋(CHICO)さんご夫妻とご一緒になりました、熱海でイベントが
あるそうで見物がてら冷やかしに行くみたいです、従ってリュックにお酒を忍ばせていますが飲めませんね
2度の脳梗塞でロレツが回りませんから、リハビリを兼ねて一生懸命話しますおせじにもロレツは回ってると
言ってくれまして、ご夫妻達と楽しく車内で話し込みました、話があっちこっち飛んで迷惑だった思います
これが本当の「冷えとり」の手引書 | |
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会えるかな・・・・・・
だから言ったじゃないの、
は逆にも当てはまるかもしれないので、
はらはらです。
いずれにしても、頑張る精神が大事です。
もう1回は無いと思いますが無駄と思っても息子達の言うとおりに養生します
と殊勝な事を申してきましたが、酒もってこい、仕事にもいく、テニスもさせろ
と空元気を言ってまして、家人全員孫まで顰蹙を買っています
テニスと言えば息子の嫁が子作りが一段落したのでテニス教室に通いだした。私も復活するかも。
暖かくなればキャンカーで出かけましょう、バイクも小さくしても北海道くらいはいけまし
禁酒日守ってお酒も楽しみましょう、これって今まで通りだと思います
(幸い仕事も年金とともに引退ね、あとはママがなって言うかです)