・ 【忙しかった1日ですが、帰りは少し元気になりました】
母さんにとっては大変な1日だったと思います、何とか新しい環境に慣れて下さい、最後には笑顔でサヨナラできました
(病院から退院の時は足腰が弱って立てませんでした、これでお風呂に入れるか心配になりました)
兄弟二人で母さんを病院から退院させて、本人が熱望していたお風呂に入る所までは本人にとっても大変疲れる事でありました
(いつまでたっても女性なのです、身ぎれいにして施設に入りたいと言います)
家に帰って服と脱がすと弟は介護慣れしてまして、すぐに自分も裸になって母を洗いました、僕は抱きかかえ二人で服を着替えさせました
奥さんが作ってくれた冷やしうどんや果物を食べますが、ほとんど残し全て僕が食べてしまいました、食後隣町の老人施設に3人で向かいました
・ 【入居者の名版に○○先生となっていました】
母さんも最後に先生と呼ばれる事になります、園の方針なのでしょうか入居者は全て先生です
(老人施設は一度玄関を出るとドアが閉まって入れません、多分徘徊老人が出歩くのを防ぐ意味があると思います)
ここで世の中から隔絶された穏やかな施設と妙な認識でした
・ 【建物は新築のように新しかったです】
1人部屋ですが病院のような大部屋でありません、好きな絵や日用品、思い出の品物を全て持って行けました、慣れれば
アルバムや溜まった家計簿なども持って行けます
(近代的な施設の説明を受けて僕は満足ですし、弟の献身的な介護負担を思うとこれで良かったのだ思います)
弟夫婦が入居に際して病院からの申し送り事項について、別室で長い説明を聞いてる間、母と二人だけになりました
僕はTV等の細かい位置について母さんの要望を聞いてあげます、そのうちケアマネジャーさんやリハビリの担当職員さんが挨拶に来て
ゆっくり立たせるとなんと自分で立ってしまいました、やはり専門の人は手慣れていて介助だけでなく自分の力で立たせる術を
知ってまして力づくの介護と違うもんだと感心しました
・ 【バリアフリーで車いすでも入れる段差がないトイレでした】
ここが母の人生最後のスタートになります、すれ違う老人の姿に僕が伊豆で温泉に入ってるデイサービスセンターで会う、生き生きとした
老人たちの表情と少し違ってました、あれは送迎バスに乗ってきてリクリエーションが目的で自分の足て歩いてくるからだと思います
100歳まで生きるとこのような施設に入って行くのです、僕も生きてれば25年後このようになって行くと思いました
(電話が補聴器の電池が切れて連絡が取れません、その後施設側から弟に元気にしていると連絡がありましたので安心です)
電話機もマナーモードになっていて着信音も鳴らなかったそうでした
弟の家にもう1泊を考えてましたが、ママと話してるうちに電車なら疲れないので今日には帰りますと電話を入れました
考えてみれば弟の家に5泊もしてしまいました、いくら兄弟といってもそろそろ帰る時期です
(今から帰れば9時には家に着くと思います)
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