久しぶりの投稿です。久しぶり過ぎて写真のアップロードの仕方もしばらく思い出せませんでした。
三月三日まで「船場のひなまつり」が開催されていました。
行きたいと思いながら毎年行けなくて、今年最終日にやっと行ってきました。
船場の良家のいとはんが持っていたお雛様たちが伏見ビル、芝川ビル、神宗、田辺三菱製薬などに飾られていました。
空襲をくぐり抜けた後も、きっと大事に保管されてきた古いお雛様です。
芝川ビル以外はウインドウの中に飾られてビルの外から眺められるようになっていました。
それぞれ云われが書いてあって、お雛様の姿もバラエティーに富んでいて見ごたえがありました。
芝川ビルは屋上の広い部屋に3つ飾られていましたが撮影禁止だったのでビルと内部の写真を撮りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/69/340cc6334a44f579a40873b2bcace007.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b0/014ba8cb8b9dacfdcd728e699ab3d827.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/ea/e6b7ae8e1b843a628ec0abcd8356bf23.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/f8/d21ae89c98cd027e26bda3e2a50e2ee7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/4d/ab1145d517805d793129da86f6323c24.jpg)
一番最初の写真は御殿付きのお雛様でたぶん昭和初期に流行った形らしいです。私の母も御殿付きのお雛様を持っていたのですが
大阪の空襲で焼けないように疎開したら、その先が被災して残らなかった・・といつも残念がっていました。
もちろんこんな立派なものではなかったと思いますが、母が見たらきっと喜んだろうと思いながら見せて頂きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/92/122af2470c144bf16f4421038ca6810e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/fc/902ad8dc753dd64a8fa7d1e277b5800e.jpg)
これは田辺三菱製薬に飾ってあったお雛様で、料亭のお庭にお雛様を飾ってひなまつりをお祝いされていたようです。
さすが財力がある方はやることが違います。
その写真に「甲陽園の播半にて」と書かれています。播半は母方の、私から見た曽祖父が料理の修業をさせてもらった料亭と
聞いておりましたので、感慨深く見入ってしまいました。
立派な庭があった大きな料亭だったそうですが、もう今では無くなってしまっています。
おじいちゃんが亡くなったときは播半さんが旗を持って参列してくれはった・・と母が言ってたことを思い出しました。
何かと母がらみな思い出がつきまとうお雛祭りの催しで、しんみりして帰ってきました。
どうやらこの催しは10年目でファイナルとされていて、この形で開催されるのは今年が最後だったようです。
こんな由緒のある地元の宝物をこれからも是非残して、そして地域の方々にお披露目していって頂きたいと切望致します。
三月三日まで「船場のひなまつり」が開催されていました。
行きたいと思いながら毎年行けなくて、今年最終日にやっと行ってきました。
船場の良家のいとはんが持っていたお雛様たちが伏見ビル、芝川ビル、神宗、田辺三菱製薬などに飾られていました。
空襲をくぐり抜けた後も、きっと大事に保管されてきた古いお雛様です。
芝川ビル以外はウインドウの中に飾られてビルの外から眺められるようになっていました。
それぞれ云われが書いてあって、お雛様の姿もバラエティーに富んでいて見ごたえがありました。
芝川ビルは屋上の広い部屋に3つ飾られていましたが撮影禁止だったのでビルと内部の写真を撮りました。
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一番最初の写真は御殿付きのお雛様でたぶん昭和初期に流行った形らしいです。私の母も御殿付きのお雛様を持っていたのですが
大阪の空襲で焼けないように疎開したら、その先が被災して残らなかった・・といつも残念がっていました。
もちろんこんな立派なものではなかったと思いますが、母が見たらきっと喜んだろうと思いながら見せて頂きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/92/122af2470c144bf16f4421038ca6810e.jpg)
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これは田辺三菱製薬に飾ってあったお雛様で、料亭のお庭にお雛様を飾ってひなまつりをお祝いされていたようです。
さすが財力がある方はやることが違います。
その写真に「甲陽園の播半にて」と書かれています。播半は母方の、私から見た曽祖父が料理の修業をさせてもらった料亭と
聞いておりましたので、感慨深く見入ってしまいました。
立派な庭があった大きな料亭だったそうですが、もう今では無くなってしまっています。
おじいちゃんが亡くなったときは播半さんが旗を持って参列してくれはった・・と母が言ってたことを思い出しました。
何かと母がらみな思い出がつきまとうお雛祭りの催しで、しんみりして帰ってきました。
どうやらこの催しは10年目でファイナルとされていて、この形で開催されるのは今年が最後だったようです。
こんな由緒のある地元の宝物をこれからも是非残して、そして地域の方々にお披露目していって頂きたいと切望致します。