3月12日(土曜日)晴れ
西国街道のポタも神戸三宮から茨木市郡山宿まで終えました。
この後、京都東寺まで約30kmの道のりです。
今日も天候は好いので7時40分にスタートします。
R2-R171を進み、郡山宿の交差点まで来ました。
これから西国街道を走行する事にします。道は細くなりますが安全運転でgo-。
中河原の道標があります。
昔は西国街道、亀岡街道の交わる交通の要衝とされています。
茨木川を渡った所に白井河原合戦跡の道標が。
この茨木川辺りで元亀二年(一五七一)にのちの茨木城主・中川清秀が活躍した
合戦が行われた場所だそうです。
西国街道を東に進むと継体天皇陵の入り口が有ります。今迄も何回か通っていますが
見落としていました。
この辺りは道幅が狭く、前からくる車両に注意が向いていたためかも。
茶川宿近くに教宗寺があります。浄土真宗本願寺派に属し、阿弥陀如来を本尊としています。
中に昔の石風呂ともいわれる花崗岩製の石槽があります。
底には水抜きの穴も掘られています。
茶川一里塚です。
茶川宿の東口にあり、徳川幕府にて宿場町として姿を整ったとのことです。
数軒の往時を偲ばせる格子窓の家屋があります。
歴史街道の案内で磐手杜神社に寄ってみます。
神社に来る道のりに磐手杜神社御旅所がありました。この神社では毎年5月5日に
「神輿渡御神事」が行われ通称「馬祭」と呼ばれ、稚児が馬に乗り神輿の渡御とともに御幸する姿から名付けられたようです。
境内には夜ごと「あまへいの」と啼いたと伝えられる、夜啼石があります。
新名神高速道の建設中でJR線、阪急線の上を高速道が通るようです。
こちらは畑山神社です。
天児屋根命と菅原道真を祀るとあります。
こちらは梶原一里塚跡で高槻市内には芥川宿との2か所があり、その一つです。
随分と西国街道を進んで来ました。
JR島本駅前に島本町立歴史文化資料館があり、この地の文化、歴史にまつわる展示がされています。
入り口の通路には鬼瓦が並べられて来客を招いています。
水無瀬神宮に寄ってみます。
境内に湧き出る「離宮の水」は全国名水百選として大阪府下唯一つ選ばれています。
水無瀬駒発祥の地の石碑があり、現在見る将棋の駒の原型、先が細く薄く
手前が肉厚幅広のルーツはこの地にあるそうです。
離宮八幡宮です。
境内にはかしき石があり、平安時代のものだそうで中央に手水鉢として利用されたそうです。
離宮八幡宮から近く、R171沿いに山崎の渡し跡があります。
この地は木津川、宇治川、桂川の3川が合流する地で西国街道と京街道を連絡する
重要な役割を担っていたとのことです。
調子八角の交差点、随分と変わりました。
京都縦貫道路が上を走り、阪急西山天王山駅が新設されました。
西国街道と丹波街道の分岐点でもあります。
馬の池の水、一説には小倉神社の祭りに稚児を乗せる馬を洗ったことから、馬の池の名があると伝えられ、地下水100%の水道水です。
長岡天満宮に寄ってみます。
梅の花も少し散っていました。
西国街道も長岡京市、向日市を過ぎ桂川に架かる久世橋に着きます。
京都市内に入ってきました。ゴールは近いです。
九条通りから少し入った場所に羅城門址の石碑があります。
平安京のメインストリート朱雀大路の南端に設けられた表玄関となる大門。
大風で倒壊、再建されど暴風雨で倒壊し再建はされなかったようです。
東寺が間近になってきました。
東寺南門に到着です。西国街道の起点となる地です。
4回で三宮から東寺まで来れました。何分、今日は寄り道が多くここまで
来るのに6時間を要しています。
宿場となる地は賑わいの風情を残し、街道の節目には一里塚、また神社やお寺も多く
現在に催事を継がれています。
今日のルートを貼っておきます。
本日の記録
走行距離:29.6km+90km
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