Lunatics in the air

with maniac love of SHINJI TAKEDA
since 6 Jan 2006

悲しいこと

2007-04-28 | 独り言
武田真治という人のファンとして生き始めてから
一番悲しかった、あの秋のことを少し。
もう時効かな、と、そろそろ思うので。


私が追いかけ始めた1999年の12月からに限定すると、
彼がゲストではない正規メンバーとして所属し、
ライブ活動とCD発売を両方行ったバンドは3つ。

ラフィータフィー
LOSALIOS
BLACK JAXX

(nidoはライブしてないし、SEALは1回だけだったので除外。
 他にあったら、ごめんなさい。今それしか思いつかないっす。)

3つのバンドはそれぞれ違う持ち味で、それぞれすげーカッコいい。
でも、この中で一番、私自身の感覚に近くて、
もっともどうしようもなく私が「愛」していたのは、LOSALIOS。
容赦の無いドラミングに戸惑いながらタイミングを伺う様子や、
荒れ狂うSAXの音色に何度も壊された。

その、尋常でないほど愛しい「真治のいるLOSALIOS」の終わりは、
あまりにも思いがけなく、呆気なく訪れてしまったので、
やり場のない思いを抱えて、あの時は気が狂いそうでした。
(常にいつ終わってもおかしくない匂いを放つバンドではあったけど)
チケットもツアーも押さえてしまったから、
どうせなら楽しんじゃえ!と思って、沖縄まで行っちゃったり(笑)
真治がいるLOSALIOSには遠く及ばないけど、
真治がいないLOSALIOSも、それはそれで好きではあったので。

でも、やっぱり行って思った。
ここに真治がいたらな、って。
その前の年の沖縄でのWeekend Loversで、
真治も含めて、楽しそうだったメンバーを思い出しちゃって。
沖縄までライブに行くっていうと、会社のみんなとかは
もうそれだけでビックリしちゃうんだけど、
沖縄って、やっぱ行くとわかるけど違うんだよね。
土地そのものや、料理がおいしいとかもそうだけど、
何よりも演奏する真治や他のメンバーの表情やノリが違う。
それが見たくて、つい行ってしまうんだよね。

今まで一緒に曲を作ってライブをして頑張っていた仲間と、
突然離れてしまうのって、本人的にはどんな気持ちなんだろう。
(本当は私が知らないだけで、突然ではないのかもしれないけど)
追いかけているだけだっていうのに、私はいつもいつも、
彼と仲間とが違う道へと別れていく瞬間が、とても悲しい。

真治の仲間は、誰もがみんな素敵だった。
だから私は、みんなを好きになった。
好きになった人と、元々大好きな人が、仲良くしているのは嬉しい。
逆に、離れ離れになってしまったら、とても悲しい。

私は、今でも時々、ふとした瞬間に思い出す。
突然、真治がロザのツアーに参加しないと明らかになった、あの時。

ネットのこちら側からは、向こう側のことは見えない。
私が覚えているのは、その直前の本人(を名乗る人)の書き込み。
ラフィーやロザでの真治は、都合により参加したりしなかったりの、
ファンにとっては相当対処に困るバンドへの参加の仕方をしていて、
ネットの掲示板上で「どうしよう」みたいなことを確かみんな書いてた。
それを見て、彼(を名乗る人)は書いてくれたのだ。
「どこに出るのか予定を知らせる」という意味のことを。
だから私は、本人は直前までツアーに行くつもりだったんだと、
今でも実は思っていたりする。
真相は知らないし、今となってはもう知りたいとは思わないけど。

その年の12月18日。
SHIBUYA-AXでのロザのライブに真治は出た。
行けなかったツアーの最終日。
その日は、彼のバースデイ。
曲を吹き終わって下がると、アンコールにも出てこなかった。
ライブに出てくれたことがとても嬉しかった。
彼と彼らとの距離感が、それ以上に悲しかった。
私にとって、あんなに悲しかった12月18日は他に無い。

今となっては、全て過ぎたこと。
もう、そのことを思って悲しくなったりは、
「ほとんど」しない。

でも、なんだろう。時々物足りなくなる。
もっともっと、と叫びたくなる。
きっと、あの先の真治が見たかったんだと思う。
でも、それは彼の望みではなかったから、彼はそこにいないのだ。

求めているのは、彼ではなくて、私。
彼が求めているものはなんだろう?
彼は、ここにずっといたいと思っているだろうか。
彼は、ここにずっといられると思っているだろうか。
彼は・・・今、何を考えているだろう。

優しい風が吹き去った後に、やってくるのは嵐?
台風が来る前の、不穏な空気が漂う。
高ぶる気持ちをもてあます、甘く暗い僅かな時間。


私は、真治のSAXと共に狂える瞬間が好き。
言葉も意味も消えてしまった場所にある、その瞬間が好き。


どこか先で待っている激しい季節を待ちわびながら、
もう少し柔らかな夢を見ていたいとも思っている最近の私です。


3 コメント

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突然お邪魔します (じゅくせん)
2007-06-19 02:22:37
ここはとっくに閉鎖したものとおもってました。
今日ひさびさにサーフしていて偶然発見!
ささぴょんさんとLOSALIOS語れるとは。
真治ファンは皆、タケダシンジその人さえいれば
(見られれば)それで満足なんだと勘違いしてました。
俳優ファンが圧倒的に多いので。

私はラフィーのビデオでSAX吹きのタケダシンジに興味を持ち
LOSAでファンになりました。
さんざん書いているように彼のSAXは未熟であるがゆえに
荒々しさ、猛々しさと同時に優しさ、
そして哀しみと甘美な誘惑という 他に見ない魅力を
持っています。
それはSAXが他ならぬ彼自身だからでしょう。

LOSALIOSではかなりのスキルを要求されてましたから
いつも真剣勝負、あの緊迫感が好きでした。
このまま進めば このSAXは見事に化ける、そんな期待に
胸が高鳴りました。

…………………。

一言で言えば かれは俳優だった、ということなんでしょうね。
今のBJはバンドというよりクラブDJと言った方が
いいと思います。STBでの経験から、BJはシラフの客を
2時間で興奮させる力のあるバンドじゃない、と確信。
オールナイトのクラブイベントの一部として
また、あくまで自分自身が楽しむ音楽として存在する。

私は私生活っぽいものをステージで見せられるのは
まっぴらなもんで、以来BJというかタケダシンジから
ちょっと遠のいていますわ(悲)
返信する
閉鎖はしてませんが脳内に仕舞ってありました(笑) (ささぴょん)
2008-04-18 00:58:10
>じゅくせんさん
今頃の返信ですみません。もうお読みにはなられていないですかね、さすがに(汗)

私は「役者」真治のファンとして、「役者として凄いんだから」というのを自分への言い訳にして彼を愛している自分を受け入れた人間なので、じゅくせんさんと逆ルートを辿っているんですよね。「ファン」として追いかけてもいい人なのかを確かめたくて、最初のラフィータフィーのツアーに3箇所行って、彼がどういう人なのかをある程度自分なりに感覚的に自信を持ってから、本当の「ファン」になりました。

「ただタケダシンジその人がそこにいればそれでいい」というのは、私の場合は7割方当てはまっていて、残りの3割は彼が自分の中の「裸」の部分をどのくらい見せてくれるかと、彼自身が幸せそうかどうかによって決まってきます。

彼は、彼自身の持っている資質をそのまま最大限に生かして活動してしまうと、恐らく自分自身を健康に保つことがとても難しい人なんです。
その精神があまりに「健全」であるがゆえに、彼自身の中にある「狂った」部分(繊細すぎる部分であり、巫女的な、シャーマン的な資質だと思います、多分)を表に出し続けることは、彼自身にとって耐え難いものなんだと思います。

彼は「役者」であったわけではなく、「武田真治」だった。「武田真治」本人でありたいんだと思うのです。演じていても、奏でていても。

そして、残酷なあえて嫌な言葉を選んで言うと、自分自身で「役者・武田真治」も「楽器・武田真治」も、失ってしまった。壊してしまった。
彼自身が選んだことで、彼が自分がありたい「武田真治」その人として生きるために、幸せで健全でいるために、自分自身にOKを出して生きるために、全ては必要なことだったんだと私は思っています。

それでも、やっぱり、悲しいものは、悲しい。

今はLOSALIOSそのものももう活動停止の状態のようですね。そして、荒れ狂う中村達也氏は、転がり続ける。

私はやはり、もうここまで来てしまうと「武田真治」その人が幸せであることが一番の望みになっていて、この世界の中に彼が居てくれることが、ただ、嬉しい。

彼自身が楽器となって楽しそうに舞台で歌っている姿に、元気で幸せな満ち足りた彼を見ることが出来て、嬉しい。

そして、代わりに私自身が望む「狂った」何か、もっと先にあるものへ向かって、自分自身が向かい始めてしまいました(笑)
でも、ずっと元々思ってはいたのです。それは誰かに求めるものではなく、自分自身が求めているものなのだから結局は自分自身がやらなくてはいけないことなのだ、ということを。

壊れるのは、私自身でいい。
彼には健康で幸せでいてほしい。
自分は安全な場所にいながら、彼自身の苦痛をわかっていながら彼に見せてもらおうと望んでしまっていた。
しかも、自分自身でそういうことを彼に要求している自覚は、ありました。初めから。

自分が見たい夢は、自分自身が苦痛を超えてでもみようとしなければいけない夢。私の場合は、そういうものです。

それでもやっぱり彼のSAXには、問答無用で狂わされるんですけどね(笑)

今も、真治はますます強くて美しくて輝いている。
それはきっと、彼が彼自身をそういう「健全」な場所にひきとめたからだと思うのですよ。

「Tokyo eyes」のKのように「いろんなものが見えてしまう」から、目を閉じた。自分を守るために。
シャーマン的な自分自身の最大の武器を封じて、自分自身を守ったんですよ、彼は。
彼自身が、そういう道を望んで、選んだ。
私はその選択をとても悲しいとも思っているのは事実なんですが、結果的には良かったと思ってます。

ぶっちゃけて言ってしまえば、私が見たかったのは「壊れた真治」だったわけなので。
そんなものを他人に要求してしまう「観客」「聴衆」「大衆」って、とても残酷ですよね。
『人身御供』、いわば『いけにえ』なんですから、そう望まれた人はその人々にとって。

彼に、「美しい人」に、幸せでいてほしい。
だから私はもう、彼に「幸せ」以外の何かを望むことはやめたのです。

武田真治という人が、とても大切なので。
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超遅レスですみません (じゅくせん)
2008-06-02 00:50:27
ささぴょんさん、コメント下さってたんですね。しかもめちゃくちゃ真面目なレスで恐縮です。

ううむ、そうですね~私はタケダシンジのファンであることはどうやら間違いないのですが、彼自身についてはあまり考えたことがありません。タケダさんの露出度が少なかった時はどんな人間なのか興味ありましたが、最近は特に彼の仕事のみしか見えなくなりました。

俳優としての表現活動が多くなってきて、彼の仕事はたぶん俳優らしいのです。私は自分の勝手な判断で好みのモノなら応援するし、そうじゃないものは別な見方をして楽しもうとするだけでして。。。で、一番楽しめるのはSaxophonistとしての武田さんなんですわ。

観客やファンが残酷なのは当たり前のことで、それでいいんじゃないんですかね。タケダさんはあくまでもプロですから。厳しい世界をくぐり抜けてきた大人の男なんでね、私にはそれ以上にもそれ以下にも考えられないらしいです。

夕張でタケダさんのご両親をお見かけして、その佇まいがあまりにも私共夫婦に似ていてびっくりしました。また、彼が通った学校に同窓の先生がいたりして(担任ではなかったけど)、なんていうか素のタケダさんはとても親しみの持てる案外普通の青年なんじゃないかっていうのが私のタケダシンジ観なんです。

だからファンとしての私の気持ちも、”すごくすごく遠縁のおばさん”が第一線でがんばっている同郷のコを応援するってのに近いような・・・

何だか訳わかんないレスでごめんなさい。
LOSALIOSは、今年のエゾで復活しますよ。トッキーとチャーハン、勝井祐二さん、と某(調整中)という布陣です。とても行きたいけど、わたしもささぴょんさんと同じ理由で無理っぽいです。
また、Weekend Lovers のツアーもやります。こちらも行きたい!でも・・・

ロザにもどることは考えられないし、今の音楽活動が気に入っているようなので、このまましばらく行くでしょう。

でも、今ボーカルという懐刀も手にしつつありますからね。これからどう変幻していくか遠くからじんわりと見続けていこうと思っています。やっぱ変なファンでしょうかね。

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