Lunatics in the air

with maniac love of SHINJI TAKEDA
since 6 Jan 2006

清志郎さん。

2009-06-21 | 独り言
私が真治くんのファンに正式になった(=なるつもりでイベントに行った)のは、1999年12月18日。真治くんの27回目の誕生日で「御法度」の封切初日でした。
そしてその年があけて2000年の3月3日。私は真治くんのサックスを始めて生で聞きました。武道館で行われた、忌野清志郎さんの30周年記念ライブ「リスペスト」。そこで初めて真治くんは清志郎さんのラフィータフィーというバンドのメンバーとしてサックスを公の場で吹いたのです。

そしてその5月。ラフィータフィーは全国のライブハウスをマイクロバスで回る「マジカデミルスターツアー2000」に旅立ちました。真治くんは途中「御法度」でカンヌに行ったりして中抜けで何回か欠席したけれど、私は弘前、秋田、仙台の3箇所に行くことが出来ました。その3回とも真治くんてば全然印象違ってて(笑)「こいつってば、ホント何者??」と、ますます追いかけられずにいられなくなったのです。いや、正確に言うと真治くんが追いかけるに足る人物かどうか見極めよう、なんて、おこがましいことを私ってば考えてたんですよね。結論は「追いかけてやろうじゃん!」になったわけですが。

その年のフジロックでは、一番大きなグリーンステージでラフィータフィーがライブをやって、本当に本当に気持ちがよくって。ライブって、こんなに気持ちがよかったんだなぁ。私って、ホント知らないこといっぱいあったんだなぁ、って。振り返ると緑の山。ステージから見る光景はきっと綺麗だっただろうな。景色なんて見る余裕、真治くんにはなかったかな?

それから秋にもツアーがあって、2001年になった瞬間には京都駅の大階段でラフィータフィーとカウントダウンして。
めっちゃ寒かったけど、すっごい楽しかった!真治くんがなんかかわったセーター着ててくぁいくってねー。ライブやってない間も「スローバラード」とか流れたりしててとっても幸せでね。

翌年には清志郎さんがいきなり自転車にはまって、鹿児島までツアーしながら自転車乗ってたり、ドラマーが若い人に変わったりいろいろありつつもやっぱり私は追いかけてて、姫路でホテルが偶然一緒になってあせったり、最後なんか鹿児島までいった挙句に出待ちして自転車で去るメンバーを見送り、ついでに桜島で海が見える温泉なんか入っちゃったりして。

マジマデミルスターツアーって、CD買うと清志郎さんと(運が良ければメンバー全員と)握手してもらえたんですよ。だから、RCサクセションのCDが、うちにはいっぱいあります(笑)握手欲しさに一生懸命買ったんだよねー。
大阪でのライブの時にはメンバー全員と握手出来て、ほんのちょびっとだけ、真治くんとも話せたんですよー。最後に「またね!」って。いつだよ、またって(笑)

京都の磔々でのライブは酸欠でキツかったなー。でも思いっきり完全燃焼!
他にも電車に乗り遅れそうになってみんなで必死で走ったり、急遽「不確かなメロディー」の上映に舞台挨拶がつくことがわかって突如予定を変えて(姫路で帰る予定だったんです)岡山まで行っちゃったりしちゃったりして。

あとはそーだなー。5月の音楽の日に日比谷野外音楽堂であった他のアーティストも出るイベント的なライブに、「真治は仕事で来ない」はずだったのに、リハーサルの音でサックスが聞こえて「えー!!!」となって、いきなりの真治登場に涙出るほど嬉しくってはっちゃけちゃったこととか、なんか思い出せばいろいろあるなー。

真治が出ない年のフジロックにも行って、清志郎さんのバンドで楽しんだりもしたり。清志郎さんのライブって、知らない曲があろうがなんだろうが、いつも楽しいんですよ。つまんなかったこと、1度も無い!!

私、清志郎さんが大好きでした。

2008年2月の復活祭にもいきましたよー!!!もうすっごい楽しかった!
お子さんからの花束贈呈(DVDでは、この部分はカットされてましたね)もあったりして、私自身、まだ父親がガンで闘病中だったもので、なんかすごく「神様、ありがとう!」って、あの日は思った。清志郎さんを連れていかなくてありがとう!!って、無宗教なんだけど、心から思った。

その9月の日比谷野外音楽堂でのライブの売り出し直前にガンの再発がわかったんですよね。当然、ライブは中止。そして、偶然にも、その直前に真治くん達BLACK JAXXと清志郎さんの自宅のスタジオ「ロック研究所」で「サムライロックス」の録音をホントに直前に終えてて。DRAGONさんにも、きっと忘れられない記憶になってるんだと思う。あの頃にはまだ壱成くんもいたし。。。

清志郎さん。大好きな清志郎さん。落ち込んでいた時期の真治くんをひっぱり上げてくれた、大きな大きな優しい人。シャイで無鉄砲でカッコいい人。
いつも、楽しいライブで私を幸せにしてくれた人。
ライブハウスの、音楽の楽しさを、音楽って5感全部で楽しむものなんだな、って教えてくれた人。

一緒に「雨上がりの夜空に」を歌いたいんだ。みんなでね。たくさんのみんなと一緒にね。いなくなったなんて、本当は現実だってわかってるけど、気持ちは信じてないんだ。

ワイドショーで清志郎さんの青山での『最後のライブ』で、サックスを吹いてる真治を見たよ。あの緑色のマントの中から、出てきたのは人間じゃない清志郎さんだったよ。

それでも、まだ私は思ってるんだ。

清志郎さん、次は何を歌う?
「デイドリームビリーバー」もいいな。
「トランジスタラジオ」もいいな。
「QTU」も、また歌ってほしいな。

そして最後は「雨上がりの夜空に」の大合唱!もちろん真治もサックス吹いてね。

ああ。清志郎さん。大好きだ。
「カタクリ家の幸福」、見返すのなんだか辛くなっちゃったな(苦笑)

ありがとう。
最初に真治を連れて行ったのが清志郎さんじゃなかったら、私、役者真治だけのファンで終わってたかもしれない。音楽っていいね。私、本当に何も知らなかった。

清志郎さん!また会おうね!!

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