さるぶつGOO

宗派や宗教団体の壁をガン無視して、自由な「信仰のある生活」を楽しみたいと思います。

【浄土随想】

2020-06-22 12:48:22 | 仏教講座
【浄土をめぐる、あれこれ】


「浄土」はいらない。
「往生」はする場がない。


と、デリカシーの欠片もないことを言ってしまったわけですが、漠然と「浄土」だ「往生」だと言ってる人よりは、はるかに強くなれたはずですから、ご安心ください。
言ってる意味がわかりませんね?
そうだと思います。


本日は、もう少し「浄土」について考えてみたいと思います。
「浄土」は「阿弥陀仏国土」です。
つまり、阿弥陀さんが作られた国、ということですね。
そういう意味では、この世界の原因が阿弥陀如来だというところから考えると、この世界そのものが、阿弥陀さんの国土、即ち「浄土」であるとも言えるわけです。


「この世界こそが浄土である」
これ、どう考えますか?
「この世を浄土に!」
とかいう、甘ったれたムシロ旗ではありません。
この世界が、実際に、もとより、浄土なんです。


そう仮定して、その妥当性も含めて考えてみましょう。


「浄土」は穢れのない(煩悩に穢されることのない)清浄な場所であるという設定になっています。
穢れの原因である煩悩が無いのは「仏」ですから、仏か仏の化身でないと、そこにはいられません。
しかし、何故だか、「浄土」は死んで成仏する前の(元)人間の修行の場であるという設定もあります。
成仏前の元人間には、まだ煩悩があるはずなので、「修行の場」と「浄土」は矛盾します。
さらに言えば、人間は、死ねば煩悩が消えるため、「死人」=「仏」です。
そもそも、修行の必要がありません。
これも矛盾です。
人間が考えた浄土の設定には、矛盾が溢れています。
つまりは、必要ないのに無理に設定したから、こういうことが起きるわけですよ。


それでは、人間が考えたのではない、阿弥陀さんが本当に作った「浄土」、つまり、この世界はどうでしょうか?
汚れてますよねえ。
穢れきってますよねえ。
とても「浄土」とは呼べません。


なぜ?何故に?この世界はかくも激しく汚れてしまったのでしょうか?
それは、人間がいるからですね。
人間の煩悩が、阿弥陀さんが作ったこの世界を、隅々まで汚しまくっているからですね。


さて、ここで皆さんに質問です。
二者択一ですから、必ず、どちらか選んでみてください。


1「この世界は、間違っても浄土などではない」
2「この世界の本来の姿は、穢れのない浄土だ」


さあ、選んでください。
どっちですか?
私は、今、「穢れのない世界」なんて、想定するのが間違いなんだと思い始めているところです。


以下、フィクション


※今回は阿弥陀如来様他を擬人化します。
やってはいけないことなので、真似しないでください。
擬人化するということは、煩悩を付与するということですからね。※


勢至菩薩、観音菩薩と語らう阿弥陀如来。
なにやら、沈鬱な面持ちである。


阿弥陀「参ったな・・・・、私、なんで、あんなの作っちゃったんだろ?ほんと、参ったなあ。作らなきゃよかったよな。」
勢至「人間ですか?」
阿弥陀「そうだよ。あいつらのおかげで、浄土が台無しじゃん。こんな汚い世界、見たくないよ、私。」
勢至「それなら、滅ぼしてしまえば良いではありませんか。私、やりましょうか?」
阿弥陀「そうか?やってくれるか?」
勢至「仰せとあらば。」
阿弥陀「それしかない、のかな?ボンボン増えるように作っちゃたしな、限界かもな。」
勢至「それでは早速・・・・・」
観音「ちょっとお待ちを。」
勢至「なに?」
観音「阿弥陀様、いくらやつらが汚らわしいからといって、滅ぼすなどと簡単に仰せになってはなりません。」
阿弥陀「いや、それ言ったの私じゃない。この人。」


勢至菩薩を指差す、阿弥陀如来。


勢至「なに?何か問題がおありですかな、観音様?」
観音「あなたは、可哀そうだとは思わぬのですか?人間とて、阿弥陀様がお作りたもうた、この浄土の民なんですよ。」
勢至「だから困るのではないか。浄土とは、本来、一片の穢れも許されぬ場所。汚れたのであれば、掃除も必要じゃ。」
観音「だから滅ぼすと仰るんですか?」
勢至「さよう。」
観音「勢至様ともあろうお方が、短慮過ぎはしませんか?」
勢至「無礼を申すではない、観音。私は、見るに見かねて言っておるのだ。これ以上、ご心労が増えれば、阿弥陀様の身が持ちませぬぞ。ねえ、阿弥陀様。」


急に咳込む阿弥陀如来。


阿弥陀「最近、少し喉の調子が悪くてな。腰も痛むし。」
観音「阿弥陀様!」
阿弥陀「な、なんじゃ?」
観音「私に考えがございます。」
阿弥陀「申してみよ。」
観音「私、人間どもの煩悩を払うべく、救世主となる男児を一人、インドの釈迦族の王子として誕生させました。」
阿弥陀「・・・・・・・・・、どういうこと?」
観音「その男児は、長じて仏陀となりまする。」
阿弥陀「仏陀とな?」
観音「はい。」
勢至「人間ごときが仏に成るというのか?世迷言を申すでないぞ。」
観音「必ず成ります。私がしてみせます。」
勢至「そんなことができるとは思えんが・・・・・。」
観音「できます。やってみせます。私がやります。」
阿弥陀「いや、観音、あまり熱くなるな。息苦しくなるからな。」
観音「失礼いたしました。」
阿弥陀「で、その男児が仏陀になって、何をするのだ?」
観音「人々に真実を語り、煩悩を取り払います。」
阿弥陀「できるのか?」
観音「やらせてください。」
勢至「できるわけなかろ・・・・・」
観音「滅ぼすよりはましです。阿弥陀様!」
阿弥陀「ん・・・・・・・・。」
観音「お願いします!」
阿弥陀「ま、よかろう。やってみるがよい。時間は如何程必要じゃ?」
観音「五百年ほど。」
阿弥陀「よし、任せる。」
勢至「阿弥陀様・・・・・」
観音「ありがとうございます!」


仏歴元年、四月八日、西方浄土での一コマであった。


以上


ほんと、滅ぼして欲しいよね、与党も野党も。
いやいや、そんなことは考えずに、自力で身を守ることを考えましょう。
そのためには、阿弥陀さんに全部お任せして、楽しくやることですよ。
失礼いたしました。

(見真塾サルブツ通信Vol.0016より)


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