いよいよやって参りました。
「往生」そして「浄土」のコーナーです。
これまで言うのを我慢していたことがあります。
なんで先に成仏の話をしなければならなかったのか?
と、いうことにも関係があるのですが、本当に、今まで誰にも言いませんでした。
言いたくて言いたくて、ウズウズしていましたが、堪えていました。
それでは、発表です!
「浄土」も「往生」も、無くてもかまいません。
「浄土」が無くても構わないのであれば、当然、そこへ往き生まれるという「往生」という概念も不必要です。
本源的には、「成仏」があれば、それで事足りるのです。
それだけで、阿弥陀如来の主上救済は成立します。
前回をご理解いただけているなら、すでにお気付きのことと思います。
「浄土」も「往生」も方便です。
これ、そんなに難しい話ではありません。
やっぱり、死んだ後問題の解決案の一つなのです。
「人は死んだらどうなるのか?」
という問いと共に、
「人は死んだらどこへ行くのか?」
という問いが、大昔からあります。
輪廻説に立てば明快です。
「生まれ変わるんだから、ここに戻って来るだけだろ」
ということになりますね。
あの世は必要ない。
ところが、生まれ変わって来ないとなると、とたんに、
「じゃあ、どこ行くのよ?」
という話になります。
「死んだら何も無くなるんだから、行くとこなんて必要ない」
と、言いたいところですが、
「死んだら無になる」
とは、言いたくないし、無になるわけでもない。
どうしよう?世間は仏に成る場を求めている。
そんなわけで、世間の要求にこたえて創造されたのが「浄土」という概念なのです。
以下、フィクション
C「あのさ、死んだら成仏する、って言ったら、どこで?って聞かれちゃったよ。どう答えたらいい?」
A「それは・・・・、どことも言えないなあ。」
C「だよね・・・・・。」
B「ここじゃだめなのか?」
C「ここ、って?」
B「この世界だよ。仏は縁起なんだから、この世界だろ?」
C「そうかもしれないけどさ、そんなこと言ったら、この世界のどこ?とか、聞かれちゃうんじゃないの?」
B「どこだって良いんだよ。全部、繋がってるんだから。この世界に遍満してるんだ。」
A「まあまあ、そりゃ、理屈ではそうかもしれないけれど。」
C「そんなこと言ったら、この世界にいるなら会いたい!会わせて!とか、言われるよ。収集つかなくなるって。」
B「目に見えないんだから、会えるわけないだろ。」
A「ま、ままあ、それも理屈では、その通りだ。」
C「理屈が通るなら、困ってないよ。え?目に見えない?へえ、そう。成仏だとか言ってるけどさ、本当はいないんじゃないの、仏なんて?とか、言われるだけだって。俺、言われたもの。」
A「それ、俺も言われたことあるよ。ほんとになあ、理屈言っても、耳すら貸してくれないんだよな、どいつもこいつも。」
B「ああ、それは、私も同感だ。」
C「でしょ!だからさ、行くとこ決めておこうよ。死んだら行って、そこで成仏するところ。」
B「決めると言われてもなあ。」
A「決めた方が良いかもな。方便だもんな。」
C「そう、方便!それが言いたかったの、俺も。決めよ?」
B「何から決める?」
C「名前?」
A「それは、阿弥陀さんに連れてってもらうんだから、普通に、阿弥陀仏国土だろ。」
C「いいねえ、で、どんなところ?」
A「どんなところ?わかるわけないだろ。」
C「でも、考えておかないと、説明できないから。」
B「仏しかいないところだろ?煩悩が無いな。」
A「そりゃそうだ。死ななきゃいけないところだもんな。」
C「俺たちみたいに汚れたのは、死んで、きれいにならなきゃいけないってことね。」
B「きれいと言うよりは、もっと言い方があるだろ、清らかとか、穢れが無いとか。」
A「清浄は?清浄阿弥陀仏国土。」
C「うん。いいよ、だんだん様になってきた。で、どこにあるの?」
B「どこにも無いよ。」
C「いや、そういうことじゃなくてさ。聞かれたら答えなきゃいけないでしょ?」
B「そうか?」
C「絶対に聞かれるから。」
B「そうなんだ。私、引き籠りだから、ピンと来ないな。でも、死ななきゃ行けないんだよな。」
C「そうだよ。」
B「それなら、生きてる人間には行けないところにないといけないな。」
A「ああ、この世にあると、まずいな。」
B「この世でないなら、あの世か?」
C「あの世、いいなあ・・・、行っちゃった感あるし。で、それ、どっちにある?」
AB「どっち?」
C「それも聞かれるだろ?」
A「どっちと言われてもなあ、この世にないんだからな・・・・。」
B「どっちでもOKだろ、無限なんだから。」
A「ああ、それ、正論だな。」
C「正論なんてどうでもいいよ、方便なんだから、あっ!ちょっと待ってて。」
立ち上がる。
A「どうした?」
C「ほら、今、他のやつらもいろんな仏さんを考えてるじゃん。そういえば、あいつらも、どっちの方角にいるかとかなんとか、ガチャガチャやってたからさ。空いてる方角聞いてくるよ。かぶるとまずいじゃん。ちょっと、待っててよ。」
部屋を出て行くC。
A「連中、そんなこと考えてたのか・・・・・。」
B「そりゃ、そうだろ。私たちだって考えてるんだから。」
A「確かにな・・・・・。」
B「ちょっと、外の空気吸ってくるわ。」
A「あ?ああ・・・・・。」
部屋を出て行くB。
が、1分もしないうちに戻って来る。
A「は、早いな。」
B「うん。でも、外の空気は吸った。」
A「吸っただけで、吐いたのは中だな。」
B「かも。それより、今、外に出たらな、お日様が見えたんだよ。」
A「あ、それは、見たんだ。」
B「見たよ。」
A「で?」
B「思いついたんだ。」
A「何を?」
B「阿弥陀さんの国には、死んでから行くんだろ?そしたら、日が昇る方角じゃなくて、日が沈む方角が良いんじゃないの?なんか、死ぬ・・・・・・って感じしないか?」
A「ほう。生まれる・・・・・で昇って、死ぬ・・・・・で沈むか。悪くないな。日が沈む方角は?」
B「西だよ。」
A「西か・・・・・。」
頷き合うAB。
と、そこにCが戻って来る。
C「お待たせ!」
AB「おかえり。」
C「あのさ、なんか、東の方が大人気でさ、西とか南の方が余ってるみたい。東の方なんて、東南東とかまで使われちゃってるよ。」
A「あ、そう。」
C「あ、そう、じゃないって。早く決めないと・・・・・と?なんで、嬉しそうな顔してるの?」
AB「へへへへ・・・・・・・。」
C「なに?気持ち悪いよ。」
B「西だ。」
C「へ?」
A「西だと言ってるの。」
B「そう、西。」
C「西、人気無いんですけど・・・・・?」
A「無くても良い。」
B「西。」
A「人が死に向かって行くように、太陽が西へと沈んで行く。その、夕日の遥か彼方に、清浄阿弥陀仏国土がある。」
なんとなく、西を見つめる三人。
C「すっげえ、今、目に浮かんだよ。ロマンあるわ!」
A「だろ。西方阿弥陀仏。」
B「私が思いついたんだからな。」
こうして、彼らの頭の中で、西方浄土が建立されたのであった。
以上
次回は、浄土が必要とされた、もう一つの理由について考えましょう。
ね?
「往生」そして「浄土」のコーナーです。
これまで言うのを我慢していたことがあります。
なんで先に成仏の話をしなければならなかったのか?
と、いうことにも関係があるのですが、本当に、今まで誰にも言いませんでした。
言いたくて言いたくて、ウズウズしていましたが、堪えていました。
それでは、発表です!
「浄土」も「往生」も、無くてもかまいません。
「浄土」が無くても構わないのであれば、当然、そこへ往き生まれるという「往生」という概念も不必要です。
本源的には、「成仏」があれば、それで事足りるのです。
それだけで、阿弥陀如来の主上救済は成立します。
前回をご理解いただけているなら、すでにお気付きのことと思います。
「浄土」も「往生」も方便です。
これ、そんなに難しい話ではありません。
やっぱり、死んだ後問題の解決案の一つなのです。
「人は死んだらどうなるのか?」
という問いと共に、
「人は死んだらどこへ行くのか?」
という問いが、大昔からあります。
輪廻説に立てば明快です。
「生まれ変わるんだから、ここに戻って来るだけだろ」
ということになりますね。
あの世は必要ない。
ところが、生まれ変わって来ないとなると、とたんに、
「じゃあ、どこ行くのよ?」
という話になります。
「死んだら何も無くなるんだから、行くとこなんて必要ない」
と、言いたいところですが、
「死んだら無になる」
とは、言いたくないし、無になるわけでもない。
どうしよう?世間は仏に成る場を求めている。
そんなわけで、世間の要求にこたえて創造されたのが「浄土」という概念なのです。
以下、フィクション
C「あのさ、死んだら成仏する、って言ったら、どこで?って聞かれちゃったよ。どう答えたらいい?」
A「それは・・・・、どことも言えないなあ。」
C「だよね・・・・・。」
B「ここじゃだめなのか?」
C「ここ、って?」
B「この世界だよ。仏は縁起なんだから、この世界だろ?」
C「そうかもしれないけどさ、そんなこと言ったら、この世界のどこ?とか、聞かれちゃうんじゃないの?」
B「どこだって良いんだよ。全部、繋がってるんだから。この世界に遍満してるんだ。」
A「まあまあ、そりゃ、理屈ではそうかもしれないけれど。」
C「そんなこと言ったら、この世界にいるなら会いたい!会わせて!とか、言われるよ。収集つかなくなるって。」
B「目に見えないんだから、会えるわけないだろ。」
A「ま、ままあ、それも理屈では、その通りだ。」
C「理屈が通るなら、困ってないよ。え?目に見えない?へえ、そう。成仏だとか言ってるけどさ、本当はいないんじゃないの、仏なんて?とか、言われるだけだって。俺、言われたもの。」
A「それ、俺も言われたことあるよ。ほんとになあ、理屈言っても、耳すら貸してくれないんだよな、どいつもこいつも。」
B「ああ、それは、私も同感だ。」
C「でしょ!だからさ、行くとこ決めておこうよ。死んだら行って、そこで成仏するところ。」
B「決めると言われてもなあ。」
A「決めた方が良いかもな。方便だもんな。」
C「そう、方便!それが言いたかったの、俺も。決めよ?」
B「何から決める?」
C「名前?」
A「それは、阿弥陀さんに連れてってもらうんだから、普通に、阿弥陀仏国土だろ。」
C「いいねえ、で、どんなところ?」
A「どんなところ?わかるわけないだろ。」
C「でも、考えておかないと、説明できないから。」
B「仏しかいないところだろ?煩悩が無いな。」
A「そりゃそうだ。死ななきゃいけないところだもんな。」
C「俺たちみたいに汚れたのは、死んで、きれいにならなきゃいけないってことね。」
B「きれいと言うよりは、もっと言い方があるだろ、清らかとか、穢れが無いとか。」
A「清浄は?清浄阿弥陀仏国土。」
C「うん。いいよ、だんだん様になってきた。で、どこにあるの?」
B「どこにも無いよ。」
C「いや、そういうことじゃなくてさ。聞かれたら答えなきゃいけないでしょ?」
B「そうか?」
C「絶対に聞かれるから。」
B「そうなんだ。私、引き籠りだから、ピンと来ないな。でも、死ななきゃ行けないんだよな。」
C「そうだよ。」
B「それなら、生きてる人間には行けないところにないといけないな。」
A「ああ、この世にあると、まずいな。」
B「この世でないなら、あの世か?」
C「あの世、いいなあ・・・、行っちゃった感あるし。で、それ、どっちにある?」
AB「どっち?」
C「それも聞かれるだろ?」
A「どっちと言われてもなあ、この世にないんだからな・・・・。」
B「どっちでもOKだろ、無限なんだから。」
A「ああ、それ、正論だな。」
C「正論なんてどうでもいいよ、方便なんだから、あっ!ちょっと待ってて。」
立ち上がる。
A「どうした?」
C「ほら、今、他のやつらもいろんな仏さんを考えてるじゃん。そういえば、あいつらも、どっちの方角にいるかとかなんとか、ガチャガチャやってたからさ。空いてる方角聞いてくるよ。かぶるとまずいじゃん。ちょっと、待っててよ。」
部屋を出て行くC。
A「連中、そんなこと考えてたのか・・・・・。」
B「そりゃ、そうだろ。私たちだって考えてるんだから。」
A「確かにな・・・・・。」
B「ちょっと、外の空気吸ってくるわ。」
A「あ?ああ・・・・・。」
部屋を出て行くB。
が、1分もしないうちに戻って来る。
A「は、早いな。」
B「うん。でも、外の空気は吸った。」
A「吸っただけで、吐いたのは中だな。」
B「かも。それより、今、外に出たらな、お日様が見えたんだよ。」
A「あ、それは、見たんだ。」
B「見たよ。」
A「で?」
B「思いついたんだ。」
A「何を?」
B「阿弥陀さんの国には、死んでから行くんだろ?そしたら、日が昇る方角じゃなくて、日が沈む方角が良いんじゃないの?なんか、死ぬ・・・・・・って感じしないか?」
A「ほう。生まれる・・・・・で昇って、死ぬ・・・・・で沈むか。悪くないな。日が沈む方角は?」
B「西だよ。」
A「西か・・・・・。」
頷き合うAB。
と、そこにCが戻って来る。
C「お待たせ!」
AB「おかえり。」
C「あのさ、なんか、東の方が大人気でさ、西とか南の方が余ってるみたい。東の方なんて、東南東とかまで使われちゃってるよ。」
A「あ、そう。」
C「あ、そう、じゃないって。早く決めないと・・・・・と?なんで、嬉しそうな顔してるの?」
AB「へへへへ・・・・・・・。」
C「なに?気持ち悪いよ。」
B「西だ。」
C「へ?」
A「西だと言ってるの。」
B「そう、西。」
C「西、人気無いんですけど・・・・・?」
A「無くても良い。」
B「西。」
A「人が死に向かって行くように、太陽が西へと沈んで行く。その、夕日の遥か彼方に、清浄阿弥陀仏国土がある。」
なんとなく、西を見つめる三人。
C「すっげえ、今、目に浮かんだよ。ロマンあるわ!」
A「だろ。西方阿弥陀仏。」
B「私が思いついたんだからな。」
こうして、彼らの頭の中で、西方浄土が建立されたのであった。
以上
次回は、浄土が必要とされた、もう一つの理由について考えましょう。
ね?
(見真塾サルブツ通信Vol.0014)