女の子になる方法、教えます!

性同一性障害になやむ若いMTF当事者に向けてのメッセージです

夏休みは本を読もう~お勧め本~

2012-08-15 22:05:29 | ブログについて
 学生さんにとっては、そろそろ夏休みも終わり
 ということで、これから移行するMTFにお勧め本を紹介します。
 読書感想文とかにいいかもよ。

一冊目は、
裸でも生きる 山口絵理子 著 講談社

 山口絵理子さんは、(株)マザーハウスの設立者。バングラデシュでバッグ作ってる人っていうと、何となくテレビで見たりしたことあるかと思います。
 彼女の道なき道を歩いて行く生き様は、MTFに通じる部分があります。
 非行に走っていた中学時代。
 高校時代に柔道で実績を作るもそれをすてて大学受験。
 インターン時代に国際機関で勤務するも矛盾を感じて自分の生き方をつらぬいてバングラデシュの大学院に入学するなど。勿論その先も、とにかくすごい。けれども、とってもしなやかで年下ですがとっても尊敬しています。
 信念があって、しかししなやかに軽やかに前へ進み続ける彼女の生き方は、勿論同じスケールでなくても、学ぶ面がいっぱいあると思います。ロールモデルとして参考にしている人もいっぱいいると思います。
 信念を持って生きることとか、どうしようもない壁を乗り越えていくということとかがどういうことかイメージわくかも。
 続編や彼女の書き下ろし?エッセーもありどれも感銘しますが、まずはこれを最初に読むといいと思います。


二冊目は、漫画ですが、

つるばらつるばら 大島弓子 著 白泉社

 この作品はドンぴしゃMTFの子どもからの成長の過程を描いた作品。厳密には「MTF」であることは素材にしかすぎませんし、描かれたのは1990年前後?なので、これを参考にはできないのですが、大事なのは、目的のために何度も何度も挫折を越えていく様。
 実は、私はなぜかもう手放してしまっていて手元にないのですが、ネットとかでは取り寄せられそうです。
「さあ、次の旗をあげよう」
だったっけ、そんな言葉が作品にあるのですが、私も挫折した時、その言葉を掲げて、壁を越えてきました。
 私の移行時の心の支えになったような作品。
 大島弓子は学生時代大好きで、作品の好みでは他にももっと好きな作品があるのですが、これからのMTFにはこれを是非お勧めしたいです。


三冊目は、

まゆみのマーチ  重松清 著 新潮文庫
 
この作品は、数ヶ月前、新千歳空港の搭乗口で初めて読んだのですが、たくさんまわりに人がいるのに涙が止まらなくてえらいことでした。
 新しい本ではありませんが、今年読んだ中で一番のお勧めで職場の人の何人にも勧めました。
 あなたが、あなたであることがどれほど尊いことか。
 あなたのお母さんも、あなたの友達も、
 こんな思いであなたを見ているのです。表現が下手だったり、お母さんの心が未熟だったりして、受け入れてくれていないように見えるかもしれないけれど、あなたを愛する思いは一番です。
 もし、そうでなければ、あなたがこのお母さんのようにまわりを愛すればいいのです。

 まゆみのマーチは、短編集「まゆみのマーチ」にも載っていますが、同じ新潮文庫で別の短編集「卒業」にも入っています。

沙織さん、私のこと覚えていますか?

2012-08-14 20:13:15 | 移行後の情景
 お盆休みに、友人の所に久しぶりに泊まりにいった時のことです。友人は、前の職場で本当にほんっとうにお世話になった方。(以前、某学習会で話をしてくださった方)お家に遊びに行くのは7ヶ月ぶりです。
 で、前の職場でお世話になって、彼女もすでにもう転勤しているのですが、以前の職場からはそんなに離れていません。距離にして40kmくらいです。なので、前の知り合いに会う可能性もあるので、例えばその街で買い物に行く時は、車を一人ずつ降りて別々の動きをする、とか、あまり前の職場に近いお店には寄らない、などの自分ルールをたてて接していました。
 その日は、お昼過ぎに彼女の家に着き、そこから少し離れた観光地にドライブし、そこで夕食を食べ、帰り際に温泉に寄ってから彼女の家に帰ってくるという流れでした。温泉も前の職場の知り合いがいかないような場所をいつもチョイスしていたのですが、なんと、
温泉を出た時、出会ってしまったのです。前の職場の同僚に。
 ちょうど、友人とその元同僚(私の一回り下の女性)が数日前に仕事の関係で会って元気だったよ~という話を車で聞いてたのですが。
 まずは、
「あらあ、最近よく会いますね~」
と彼女と元同僚とが話をしていました。私は、知らないふりをしてやりすごそうと思ったら、私の方を見ました。そして、さくっと、一言。
「沙織さん、私のこと覚えていますか?」
(???????)
「覚えてるって言うか?えぇぇ??」
とってもさりげなく言われてしまいました。
私は前の職場でカムし、移行する時には職場の人間はみんな知っていましたが、元同僚は、私がカムする前にいた子で、カムした頃にはもう転勤していました。
「元気でやってるんですか?」
(いや、だからなんでそんなにさりげないの???)
「元気元気、けど、あれ、誰かから聞いてたの?」
「私、○○さん夫婦(この方も移行でお世話になった方)と仲良くさせてもらってて、それで聞いたんですよ」
「ホントにぃ・・・」
「けれど、あのとき(男時代)と変わってなくて、大丈夫ですよ。」
(いや、だから変わってなかったらだめなんですけど・・・)
 ちょうど元同僚のいた時期に髪を伸ばしはじめ、その後も年に1、2度職場に来ることがあったので、私がひげがなくなったり、やせたりしていく変化を目の当たりにしていた子ではあったのですが。まあ、私はあの頃のほうがやせてたしぜったいかわいかったと思う。
「○○さん(私の友人)が、なんかうろたえてて、あれって後ろ見たらいたので。びっくりしました。」
「けど、私とセットだからばれたよね。一緒じゃなかったら分からないよね。」←私の友人の言葉
「けど、分かりますよ。大丈夫ですよ。」
(大丈夫ってのは、褒め言葉じゃないんですけど・・・)

あまりにもさりげなくリードされた?というか、ふつうにされたので、なんというか、戸惑いましたが、私の感覚は
1割のばれたことの悔しさと、9割の受け入れてくれていた安心感
という感じでした。

彼女はこれから彼女の友達と温泉に入るところだったので話したのはほんの数分だったのですが、なんというか幸せなひとときでした。

 次の日、別の友達にこのエピソードを話したら、
「いやあ、ぜったいみんなにばれてるよ。だってそんな話みんな内緒で言いたいに決まってるじゃん。信頼している人同士なら話しちゃうよ。」
と言われてしまいました。私もなぜ幸せ感なのか分からないのですが、半埋没移行ってこんな感じです。

「人間関係」の「移行」

2012-08-14 19:19:07 | 移行の作法
 前回のエントリーで、「人間関係」の「移行」について、どうやって進めていくか難しいと言うことを書きました。
 書いた後に、自分のことを思い出しながら、いくつか要素を抜き出せたので書きます。
 なお、
「人間関係」を移行する方法
ではなく、
「人間関係」のあり方を男→女に質的に移行させる方法
の要素です。

○信頼できる純女の友人(移行前、移行初期)
 以前にも書きましたが、移行前に純女の友人がいるかどうかということはとっても重要です。友達づくりのカテゴリーで書いているので割愛します。

○短期や期間限定でのノンカム埋没でコミュニティの参加(移行中)
私はRLEのために、習い事の無料講座に出たり、ボランティアに参加したりしていました。いくつかのものに関わると、「女性」というものが決して簡単に表現できるものではなく、結局は「個人差」なのだということがつかめてきます。また、経済的格差や社会的立場によって振る舞いや参加コミュニティががかなりかわってくることもつかめてきます。

○同年代女性との関わり(移行後)
職場でも学校でも、意外と1対1の関わりはけっこう作り上げることができます。以前にも書いたと思いますが、女性の方が友達の入り口は広いです。相手のよき聞き手となってあげることで、友達になることはそれほど難しくありません。その方が信頼できあなたにとっても大切な人であるなら、状況によってカムすることもあるでしょう。
 難しいのは、集団の中にあなたの身をおくことです。
 ちょっと失敗談を書きます。

 数週間前、職場で私の所属しているセクションの女性(男気のあるリーダー的存在の方)が中心になって、お昼にカレーライスを作ることになりました。食品会社ではないのですが仕事に関わるので勤務時間に作っていたのですが、私は別の仕事があり、できあがった時にお相伴にあずかりました。同じような人は他にもいたので、食べ終わるまでは何もなかったのですが、その後男性陣が自分のお皿を流しに持って行きお礼を言って部屋を出て行きました。10人くらいいた女性陣はほぼ全員後片付けを始めました。お皿を洗う人、ふく人、棚に片付ける人、残った食品をまとめる人、机をふく人、増やしたイスを片付ける人、などなど、私は、何かしようと思ったのですが、私以外の人全てが必ずなにがしかの仕事をみつけて後片付けをしているのに、私は何をしていいか全く分かりません。しまいには、間違って片付けてしまって笑われたり。さんざんでした。
たまたま、私のセクションがいわゆる生活力とか瞬発力みたいのが豊かな女性陣が集まっているということもあるし、男性でもそういう場面が得意な人、女性でも苦手な人がいるでしょう。また、同じセクション内でも純然たる勤務や義務ではないのでその場にあえて参加しなかった女性も一部います。けれども、もし次回同じような場面があれば、苦手なりにしっかりと動けなければいけません。こういう失敗を重ねて自分を変えていく作業が必要なのだと思います。辛く、楽しい作業です。

 数日前、「桐島、部活やめるってよ」という映画を見て、女子のめんどくささをあらためて感じましたが、めんどくさく感じているのはあなただけではなく、多くの女子が同じように感じています。その女子のめんどくささに浸かるのではなく、親友に本音を話しながら自分の行動を改善し自分らしさを発揮していく、そういう「女性」になっていくには、複数の同年代集団の女性コミュニティに関わるとか、そういう経験をするのがいいかもしれません。ピンクレディのUFOが踊れなくても大丈夫です。
 実際かの映画では、どの登場人物も女性として未完成でまるでMTFを見ているようでした。あそこに、もしうちのセクションの女性陣の誰でも一人が今のままの精神年齢で飛び込んだら、映画にあるようなトラブルは起きなかったでしょう。
 それが大人女子だし、多くの女性はちゃんと学習して大人になります。その作業を遅ればせながらすればいいのです。

 何がスタンダードで、何がその集団だけに通じる変なルールなのか
 だんだん見分けられるようになっていきます。

※「桐島、部活やめるってよ」私はとっても好きな映画でした。けれど、絶対人気でないで早く終了してしまうと思うので、見ようとしている人はお早めに。
※ピンクレディのUFOは、私と同年代の女性なら必ず踊れるリトマス試験紙みたいなの。踊れないということがばれて何度もリード恐怖を味わったおそるべき存在。



 表層的な話になってしまいました。
 もしかしたら後日捕捉します。

移行の次元

2012-08-14 19:15:57 | GIDパラダイム
 移行しても幸せを感じられなくて、苦しんでいる場合、いったいどこに原因があるのか。
 何度か書いてきていますが、今回は別の角度から探っています。
 そもそも、「性別移行」と言っても、いろんな要素があり、それの複合体だと思います。分解してみると、過去にも書いているように、おおまかには、「パス度(外見の移行)」「生活、経済的基盤(社会的な移行)」「人間関係」の三つに分けられるんだと思います。その中の、「人間関係」は、「女性になるためには必要なスキル」とか「女性らしさを身につけるために利用できる手段」のように今まで書いてきましたし、一般にもそういうイメージでとらえられているのではないかと思います。
けれども、とりあえず性別移行のための「手段」であるという考えを横において、はじめにふれた3つの次元を、具体的な「性別移行」の現れ方にあてはめて考えてみましょう。

「パス度」
 以前にも書いたように、さまざまな水準があると思いますが、一般的には
 ・外見、声
・歩き方やふるまい、仕草、話し方
 ・行動、話す内容
のような部分で外見の性別を判断されると思います。
 勿論、決め手になるのは、一番表層の「外見、声」でしょう。いわゆる完パスの子がどんなにがに股で歩いて「おれさ~」と話し、いつも政治や経済、プロレスの話をしてても、「女の子」です。ただ、深い意味でパスするということであれば、歩き方や話し方、話す内容なども踏まえてオリジナルな女性を作っていく必要があるでしょう。

「生活、経済的基盤」
 人は男でも女でも社会と関わりをもち、生産的な活動をして生活をしています。究極のTSのように、「男として働き、男として生活するけど、体は女性に変えたい」という人以外は、社会でも女性として生きたいと思うと思います。職種や会社に性差はなくても、会社があなたを男性として扱うか、女性として扱うかは、あなたにとってとても重要なことだと思います。そうでなければ、
「私は、仕事では性別は関係ないと考えるので、明日から女性の服、女性のみだしなみで出勤します。けれども、何も変わりませんから気にしないでください。」
 と主張するでしょう。けれども、私を含め多くの当事者は、
「私は、仕事では性別は関係ないと考えるので、明日から女性の服、女性のみだしなみで出勤します。だから、女性として扱ってください。」
 と主張しています。
 社会で女性として扱われるためには、診断書の提出、戸籍の性別変更などが大事な要因になってくるでしょう。

 そして、当事者は、一生懸命パス度を上げ、コミュニティなど社会的な性別の扱いを変えられるように努力し、社会的にも肉体的にも女性になります。
 けれども、その先、幸せな人とそうでない人がいるのはなぜでしょう。

 そこで、「人間関係」という次元を考えます。
 ものすごく簡単に表現しちゃえば、
「女性として違和感なく周りの人と関わり合っているか?」
ということだと思います。いくら外見で女性でも、職場や学校、家庭で女性として扱われていても、一番大事なのは、身近な人があなたのことを女性として見ている(≠扱われている)かどうか、なのではないでしょうか。
 例えば、完パスで埋没移行し周りはあなたの過去の性別を全く知らない。誰もあなたの性別を疑わない。そういう環境で就職や入学、転校したとします。たわいもない日常会話や必要な関わりは相手からしてくれるかもしれません。一日はなんとなく過ぎていくでしょう。けれども、心と心がふれあうような友達関係、クラスや会社にとってあなたが必要な存在であること、そういうような関わりがなければ、

あなたは本当に「女性」と言えるのでしょうか?


(以前にも書いたように)
あなたは、

心の性別や
外見や
法的扱いや
学校、会社、家庭での扱いが
女性だから女性なのではなく、

周りから女性だと認識され、女性として社会と有機的に関わり合いをもつから
女性なのです。


美人で完パスの、他者と何の関わりを持たない人は、人であるにすぎません。
むしろ、完パスであるとか、埋没するとか、それは
「女性として社会と有機的に関わり合う」
ための手段にしかすぎないかもしれません。


 では、どのようにして「人間関係」を移行させるのか。あるいは、向上させるのか。ということが大事になります。

 難しいです。
  
いろんな人と関わって、
 勇気を出していっぱい傷つくことかなあ。

 ふつうの女性と同じ土俵で、同じように。


 えらそうに書いていますが、私も失敗だらけです。
 例えば、ブログを書き始めた頃は、(肉体的法的社会的)移行を終え、毎日が輝いていました。
 「私は世界で一番幸せなMTFだ。今死んでも悔いはない。」
と思っていました。
 けれども、だんだん年が経つにつれて、他者とのいろんな関わりが密になってくると自分の欠点、至らないことがいっぱい目につくようになりました。
 「今のままでは死ねない。もっともっと幸福になってやる!
 そう思いながら、けれど、やるべきことをちょっとしかできなくてまた後悔
 そんな毎日です。
 けれども、4年前よりあきらかにさらに「女性」です。
 幸福感は、4年前が絶頂だったかもしれませんが、幸福の量は、はるかに今のほうが大きいです。それは、さまざまな女性としての関わり合いが多く濃く存在するからだと思います。
 
「パス度」に限界がないように、「人間関係」としての移行(≒成長)にも限界がありません。自分を壊し、傷つき、苦しみながら少しずつ成長していく、そういう毎日を過ごすことが、幸福なのじゃないかな
・・・みたいな。


 ふつうの女性も、みんな苦しんでいます。
同じ年代でも、独身の人は孤独や将来の不安で、
 家族持ちは、ほぼ全員夫婦仲や家族経営や子どもや親の介護のことで、
職場やママ友との人間関係で、

 そこを越えるのに、MTFも、純女も違いはありません。

 MTFと純女の違いは体の一部分だけ

 そう感じられるようになったら、「人間関係」としての移行は、ひとつのゴールといえると思います。ふつうの女性としての新たな(そして過酷な)スタートなのですが。