女の子になる方法、教えます!

性同一性障害になやむ若いMTF当事者に向けてのメッセージです

どん底は次へのステップへのスタート地点

2012-06-20 22:45:46 | 努力について
 いくつかの若い当事者のブログを拝見して、現実を変えようと一生懸命前に進んでいる姿に励まされています。私の移行は経済的基盤も、法律も、医療も、ちょうど整った時だったので自分の思い通りにできました。今の若い人が、何も未来の生活の保障もない中一生懸命性別を変えるために家族や学校に理解してもらおうとがんばっていることは、私より大変な壁があるのだと思います。幸運の中すべて終えた私が、個別の当事者にコメントするのも上から目線の説教のようでいやらしいので、上から目線で書ける自分のブログで勝手に助言します。

 今、思うようにいかない当事者の方へ
 親に理解してもらえない、学校では心情は理解してくれても実際の対応は変化しない。先の見えないつらさと戦っていることと思います。
 それは、あなたのせいではない。相手の無理解のせいです。
 けれども、一生懸命もがいて、その結果うまくいかなかったとしても、次のステップにつながることがあります。また、その時はうまくいかなくて悔しかった結果が、何年後かに「あの時うまくいかなかったからよかった」と思える時がくることがあります。
 そのような私のうまくいかなかった時の話をいくつか紹介します。思い通りにいかない状況が実は後々のいい結果をだすこともあるということをイメージしてもらえたらと思います。
 あきらめないで。希望を失わずに。


 ・高校選び
 制服、髪型の校則がいやだった私。私の住む地域(関西某地域)では当時私服は私立の超難関校、それも男子高しかありませんでした。中3の夏頃、新聞か何かで紹介されていた関東圏の自由な校風の学校に惹かれ、そこでの生活を夢みます。母親も興味を持ち、どうしても行きたいのならと、母親が東京に行く用事があるついでにその学校を見学に行きました。ところが、授業が成立しないようなモラルのない学校で、見に来た母親に生徒から「ここはやめておいたほうがいい」とまで言われる始末。それでも校則がないことにあこがれましたが母親を説得するまでには至らず、地元の公立高校に進学しました。
 けれども、ここでとってもすばらしい経験をたくさんできましたし、何よりここでの学びのおかげで、希望する大学に進むことができ、今の職につくことができています。私の当時の性格なら、もし関東で下宿していたら、「女の子」には早い時期になれたかもしれませんが、今の仕事には到底つけなかったでしょう。

 ・大学不登校時代
性別のことだけではありませんでしたが、人と会うのがいやになり学校に行けなかった時代。以前書いたかもしれませんが大学は卒業まで7年もかかりました。今の制度ではだめかもしれません。学校に行けなくなった時、2、3年生の頃は、学校をやめて夜の仕事につくほうがいいのか、少し悩みました。(当時は)大学の指導教官はじめ、いろんな人に違和感のことを相談しました。大学に女性で通うなどという選択肢はあの時代私にとってはありませんでしたから、(すでにその頃そういう生活を実践していた人はいたようですが、知りませんでしたし、できるなんて思いませんでした)男としてがんばって学校に通うか、やめて夜の仕事をするかしか選択はありませんでした。
 新学期には、心機一転「がんばります」と言って次の週にはもう学校には姿を見せない。「4月と10月だけの男」と陰口をたたかれていたことも数年ありました。人間づきあいもなくなり、大学4年の時の年賀状は私宛には1枚もありませんでした。数年前離婚していた母親がそのころ再婚、同居していた兄も婚約相手の家によばれていってて、お正月はたった一人で家にいて、他の人宛の年賀状をより分けていました。
 あの日が人生のどん底でした。(今私が死んでも誰も本気で悲しく思ってくれないだろう。けれど、死を選ぶ勇気もない私はどうしようもない。)
 そう思っていました。
 けれども、卒業するしか道はない。あの日の辛さが、今の私を支えてくれています。
 20年前のたった一人のお正月が、あの日が、今の人生のスタートでした。
 お正月明け大学に久しぶりに登校。心理学の研究室なのに、久しぶりに勇気を出して足を踏み入れた私に厳しい指導をする教官。授業に出始めると、過去迷惑をかけた友だちや後輩(グループ学習の欠席や約束を破ったり、共同で出すレポートの私分ができなかったことなど)から白い目でみられながらの学校。
 歯を食いしばったというより、石垣を爪でのぼるような感じの数年間でした。

 よく当事者仲間に話しますが、もし、今の時代なら絶対在学中に性別を変えていました。けれども、学校に行けなかった根本的な感覚(がんばることの調整がうまくできないとか、空想の世界に逃げるとか)を克服できなかったと思うので、卒業はできなかったと思います。誤解をおそれないで表現すると「性別違和感」という逃げ道がなかったから、自分の弱さを克服できたと思います。

 ・左遷?
 就職で北海道へ。最初の赴任地は札幌近郊の都市でした。そこで十分な評価をもらえず、数年後まだ異動時期ではないのに異動を勧められます。その時、上司から提示されたのは、その都市内での異動でしたが、私はおもいきって地方での勤務を希望しました。今はそのような異動はふつうですが当時はほとんどありませんでした。ほとんどの人に反対されました。私は、当時「もし性別を変えるなら地方の方が変わりやすい」という変わった信念を持っていました。勿論異動してすぐ変わるというような腹は決まっていませんでしたが、結果的にはこの傍から見て左遷としかいいようのないような異動が、自分の性別移行にプラスにはたらきます。
 異動先は「村」でした。村にはプライバシーはありません。ある意味、みんな家族です。勿論、きれいな部分ばかりではないですが、とってもよくしてもらいました。
 移行しはじめた時には、ある上司(Aさん)からかなりひどいことを言われました。けれども、最後まで「性別の移行」と「仕事」の両立を認めなかったそのAさんも、私の見えないところで私を守ってくれていたことを後で知りました。
 その他、左遷先の「村」は、村のために一生懸命やる人を温かく、そして本気で支えてくれた人達の集まりでした。ある時期から、事情を知らない地域の方々からの私への「髪切れ」コールがばったりなくなりました。その時は、「もう諦めた」と言われましたが、村の有力者の方がおさえてくれたようです。


・髪を切る
 私は移行し始めた頃、パスできると思っていなかったので、ある時点では職場全体、すなわち村全体にカムしないといけない時がくると思っていました。結構髪を伸ばしてきた頃、それまで理由も聞かず許してくれていた上司(Bさん)が、理由を聞いてきました。それで事情を話したら、その上の上司(Aさん、上で触れた方)にその話が伝わって、電話先で激怒されました。最初に話したBさんは、私からの話を聞き、理解しようと自分で本を探して買って読んだりしてくれたほどの方だったのですが、やはり移行は難しいと言われ、髪を切るように言われます。それほどまで私のことを考えてくれたBさんからの言葉ならと、ひとまず髪を切ることになりました。(けれども、また伸ばしていくのですが)
 それ以降は、密やかに手を打っていきます。カムはしないようにし、時を待ちました。その間に、私と初めて会う人に性別を間違えられることが多くなり、「もしかしたら埋没でいけるかも」と思い始めます。その頃、さらに上のほうの上司で理解を示してくれる方が表れ、状況が変わっていきます。埋没での移行を進めていくことができるようになりました。
 もし、移行当初に職場が理解を示してくれていたら、私はカムしての在職トランスとなっていたでしょう。最初の数年間理解してくれなかったことで埋没が可能になりました。

 ・休職
 村の勤務が長くなり、そろそろ転勤時期となりました。転勤を機に仕事上の性別を女性にできるようにと、治療も外見も準備してきましたがうまくいかず、2年間の休職を受け入れざるを得ませんでした。
 けれども、この期間、ボランティアをさせていただいたり(2年目はほぼ毎日)、知人のお手伝いさせていただいたり、など、ノンカムでいろんなコミュニティに関わる機会がありました。ノンカムの友だちも初めてできました。
 リード恐怖をかなり少なくすることができました。

 ・復帰先
休職後復帰したのは、私が希望していた(誰も希望しないような)地方の小さい職場ではなく、上の方の人の配慮の結果札幌の大きな職場でした。そして、今まで自分の経験したことのない業務でした。けれども、以前書いたように、今充実した毎日を送れていることは勿論、ここでの経験が今後の仕事への大きな財産、強みになりつつあります。もし、希望通り前回の職場と同じような地方の小さい職場に配属されていたら、充実はしたかもしれませんが、自分の仕事の幅がここまで広くなることはなかったです。
 また、大きな職場は最初とても辛かったです。大部屋に60人くらいが一同に入っています。誰が味方か嫌われているか、陰でどんな噂をされているか、今でもまったく分かりません。そんな中で最初はとんがったり、個性を消したり試行錯誤でしたが、だいぶん自分のペースをだせるようになってきました。また、ちょうど同年代の女性の同僚がたくさんいて、それぞれ個性的なので「(性別にこだわらず)自分らしくでいい」というモデルになりました。「女性」としてふつうに仕事できるようになるには最適の規模でした。
 

 あなたの一生懸命な行動は、あなたが感じている以上にまわりに波動を起こしています。
 あなたのがんばりに、励まされている友だちが、必ずいます。
  
自信を持って。

 未来に向かって今一番大事なことをおそろかにすることだけはしないでね。

40代ということ

2011-07-10 21:18:38 | 努力について
 少し前のエントリ「不遇にたえ、今与えられた状況でベストをつくすこと」で私は、職場の異動で希望以上の職責を与えられた話を書きました。
ところが、異動して4ヶ月、期待されて配置されたものの実際にはその役割を十分果たすことができず、自分の力のなさ、今までの積み上げの不十分さを毎日感じる日々です。はっきり言って、この仕事に就いてからの15年間で一番つらい状況でした。
 当初予想された以上の多忙な状況になったこと、また、他の部署で人の余裕があることの理由で、先月末から、私の今の仕事を助けてくれるベテランの方が専属でついてくれています。その方から、この仕事の初心者が言われるような基本的なことを立て続けにいくつかアドバイスされてしまいました。
 この15年間、私は他の同僚がクリアしてきた基本的なことについて、何一つクリアできてなかったのではないか、今までは若さやキャラでカバーしていたけれど、それでカバーできない今、自分は初心者以下の仕事しかできないのではないか。この仕事に向いてないのではないか。
 悶々と落ち込む日々がつづきました。
 職場の同僚からアドバイス、励ましをもらってもだめで

 もうだめ
 明日の朝がとてつもなくつらくて、職場に行けない
 どうしてこの仕事続けているんだろう

 そう思った時、ふっと

 そうだ。
 今この「基本的なこと」を直せるチャンスだ
 希望した状況になったのだから、苦しんでいるのは何か意味がある
 自分を飾り立てて力があるふりをする必要もない
 今の「仕事ができない無能人間」が私なのだから隠す必要もない
 腹を決めてベストを尽くして、それでだめでもいいじゃん

 そう思えるようになりました。
 客観的状況はあまり変わっていませんが、楽になりました。

 私は今年40歳になりました。
 友だちに「「不惑の年」なのに」と言うと、
「本当は悩むからそういうふうに(孔子は)言ったんじゃないの」
と言いかえされました。

 40代は、「できること、できないことを見分ける」べき年代だそうで、「苦手なことに取り組むよりも、自分の得意なことをどんどんやって、かたちにしていく」ことが大事になってくる(本田健「40代にしておきたい17のこと」だいわ文庫)そうです。
 けれども、一方
「「できないことをできる」と思い、「できることなのに、自分にはできない」と勘違いする年代」(同書)でもあるそうです。


「人生で大事なのは、才能でもなく、人脈でもありません。「決して、あきらめない」という能力なのです。(中略)人生で挑戦すればするほど、本当に失敗するのです。要は、そこからどう立ち直って、また夢に向かって進むかです」(同書)


 さて、もう一度歩き始めましょうか。
 今目の前にいる、
 自分の成長を待ってくれている人のために
 これから出会うたくさんの人ともっともっと楽しい人生をわかちあうために

不遇にたえ、今与えられた状況でベストをつくすこと

2011-04-17 20:04:36 | 努力について
休職後、今の職場に女性として転勤して丸3年が過ぎました。
 この3年間、かなり特殊な仕事に配属になりました。当時は過去の10年間の経験がほとんど生かされないと思ったし、自分が必要とされていないような、とりあえずいない方がいいけれど首にする訳にもいかないからここにおいとけ、みたいな暗黙のメッセージを受けていました。この特殊な仕事にあこがれる人も多いのですが、現実は華やかなものではなく、何度も自分の汚さや弱さと向き合い、くやしい思いや無力感にさいなまれるような仕事でした。
 この仕事希望する人が多いのに(希望した人でも苦しむのに)なぜ希望していない私がこんなところにいるのか、悔しい思いでいっぱいでした。理由は簡単、他の業務に比べ、仮に私が休職や退職しても他の人を補充すれば仕事への支障が少ないからです。
 「最低3年、けれど通常の仕事に戻りたいなら、ここはあまり長くいない方がいい。3年たったら出た方がいい。」
 異動してすぐ異動に関わった管理職から言われていました。
 3年目になり、何人かの人に相談しました。ただ一人だけ、
「今は異動しない方がいい。ここでとどまる何か意味がある。将来日常業務に戻った時に絶対今の苦労が生きてくる。」
と言ってくれた人がいました。その言葉を信じ、あと数年とどまることにしました。
 3年目の後半になり、過去の日常業務の経験を生かしていけることがなんとなく分かるようになってきました。また、仕事上でのとても悲しくつらい出来事を何回も経験することになりました。私たちの仕事の本当の意味を教えてくれた出来事でした。(同じ場面になっても全力で向き合わない人には、このつらさや本当の意味は絶対に分かりません。たぶん、傍から見れば「(日常業務と比べ)早く仕事が終わって楽できていいね」と思われているでしょう。)
 4年目、職場内での配置がえがあり、私はその特殊業務から離れ、この春から少し日常業務に近い仕事に変わりました。今の業務は、むしろ日常業務以上に休みが取りにくい、代わりのききにくい仕事です。そして、あわせて、本業以外のサブ的な業務で、過去の日常業務やあの3年間の特殊な仕事、そして、休職中にやっていた2年間のボランティアの経験や人脈も生かされる別な業務の担当も任されるようになりました。サブ的な業務なので前任者はほとんどちゃんとやってなかったのですが、真剣に取り組むととても大きな役割を果たすことができる業務です。
 もし、この春自分の希望を押し通して異動していたら、それはそれで幸せだったと思いますが、今与えられたとてもおもしろい責任ある仕事、やれば大きな役割を果たすことができるサブ的な仕事を知らないままだったと思います。
 また、これは偶然でとても不思議なことなのですが、本業の方でペアで仕事をする人が私が唯一特殊業務の同僚以外でカムをしていた女性の人で、とても仕事がやりやすいです。
私は仕事を首にはならなかったので、傍から見れば恵まれているように思われていたかもしれません。それは大前提にしながらですが、性同一性障害だからというだけの理由で不遇な環境におかれていても、そこで自分のできるベストを尽くすことで、数年後大きく開いていけることもあるということをお伝えできればと思い、書きました。
 性同一性障害でなければ、不遇な状況におかれなければ絶対に得られなかったすばらしい経験、自分の一生の心の宝になる経験を、性同一性障害だからという理由で結果的にさせてもらえることができたのです。
 業務上のことで、抽象的な表現になりイメージがわきにくいかもしれません。すみません。

今のあなたは遺伝と環境の結果です(努力について③)

2008-09-08 21:37:32 | 努力について
 以前、小さな集まりでGIDの苦しみについて発表させていただいた時、マーシャ・M・リネハンという方が「境界性パーソナリティ障害の弁証法的行動療法」(大野裕監訳 2007誠信書房)という本で、「パーソナリティ障害治療の前提」ということで8つを挙げていて、GIDについても当てはまるのではないかと言ったことがあります。
以下の8つです。
1.患者はできる限りのベストを尽くしている。
2.患者は改善を望んでいる。
3.患者は変化に向けて、よりうまく行い、より懸命に取り組み、より動機づけられる必要がある。
4.患者の問題はすべて彼ら自身が引き起こしているのではないとしても、彼らはとにかくそれらを解決しなければならない。
5.自殺的な患者の現在の人生のあり方は、耐えられないほどのものである。
6.患者は関連するすべての状況において新しい行動を学習しなければならない。
7.セラピーにおいて患者の失敗はありえない。
8.患者を治療するセラピストには支援が必要である。

 そもそも人間は、遺伝と環境の重なり合いでしかありません。今あなたが苦しんでいるのも、もし「努力」という力が遺伝と環境の結果であるなら、やはり、自分以外の原因「遺伝」と「環境」のせいなのです。
 だから、あなたの今の現状は、もしかしたら他人に迷惑をかけている道義的責任、法的責任はあったとしても、自分自身に対して卑下することはないのです。

 今のあなたは、あなたが与えられた状況の中で精一杯、あなたにしかできない力を出して切り開いて得てきた最良の結果なのです。

 けれども、では、あなたの未来はどうでしょうか?
 やはり、未来もあなたの遺伝と環境でしかありません。しかし、あなたに「環境を変える力」が備わっていたとしたらどうでしょうか?それが、努力です。意味のある適切な努力を続けることで、未来を変えていけるのです。

未来のあなたは、可能性は無限に広がっています。
 正しい道(上記、3、4、6)を歩いていけば、必ず幸福にたどり着きます。

「青い鳥」はどこにいるの?(努力について②)

2008-08-22 22:50:21 | 努力について
 男性と生きるのが苦しく、何か本当の自分でないような気がする。女性的なものにあこがれ本当の自分はそこにあるような気がして、そこにいけば女性になれれば幸せになれそうな気がする。自分の居場所を探している人たちがいます。「自分探し」と表現してもいいでしょうか。そのような本来の自分を探すような生き方では、絶対性別移行はうまくいかないと思います。あなたの本質は「女性」なのではなく「男性が嫌な自分」であり「女性になりたい自分」でしかありません。その表現が嫌なら「女性だと感じる、確信する自分」と表現してもかまいません。勿論私もそのほかのGIDすべてそうです。
 環境が変わる(女性になる)だけでは幸せにはなれないのです。

 けれど、性が変わることで幸せになれた人たちはたくさん、本当にたくさんいます。どういうことなのでしょうか。それは、性を変わる過程で、あるいは違和感があった故に、さまざまな苦しみに打ち克ち、乗り越えてきたからです。逆説的ですが、性を変わるような困難な壁を乗り越えてきたので、その過程で自分が鍛えられ強くなり、その結果移行後のストレスも耐えられる幸せな人になれたのです。

 性別移行は「自分探し」ではなく「自分づくり」のようなものなのです。

 最近ある福祉系の若い大学教員と話をしていた折、「最近はノーマライゼーションから再びリハビリテーションへシフトしてきている」ということをおっしゃっていました。もし毎日の苦しいリハビリがなければ、長嶋茂雄さんはあそこまで回復しなかったのは明白です。(ノーマライゼーションがだめと言うことではありませんよ。念のため。)GIDも同じです。毎日の自分づくりが幸福な移行を成功させるのです。

 あなたは、偏見のない社会でどこから見ても男性でかつ過去の偏見のせいで働けない同情される「女性」になりたいですか。それとも、偏見があろうとなかろうとふつうに「女性」として働き、家庭を築き、人一倍努力する魅力ある人になりたいですか。

 青い鳥はどこにもいません。遠い理想世界にも、今のあなたにもいません。一生懸命自分づくりをした未来のあなたにしか幸せの青い鳥は住んでいないのです。


 では、「自分づくり」とは何なのでしょうか。外見を磨くにはお金と時間があれば苦労せずにできます。外見は努力できて当たり前!
「自分づくり」とは、今の自分のおかれた状況から逃げないことです。ちょっと考えれば当たり前のことですが、女性になれば今以上のストレスがやってきます。今学校に行けないあなたが扱いが女子に変わったらどうでしょうか。女子達みんなを説得できる人間性はありますか?あるいは、転校してまったく知らないところで女子としてやると仮定します。女性としての経験のないあなたが、どろどろした女子の人間関係を作っていけるのでしょうか?今、簡単な男の人間関係さえつくれないあなたが。勉強もそう!勉強に性別は関係ありません。今やる気がないのに、性別が変わったからといって、急にやる気なんか出てきません。逆説的ですが、女性としてうまくやっていける人は、男性として最低限のことができる人だけです。
 今あなたの抱えている学業、人間関係、大人なら仕事、そういうことから逃げずにやっていくことが、「自分づくり」なのです。


 けれども、それができないのです。
 どうすれば今の現実に立ち向かっていけるのか。
 それを伝えたいのがこのブログです。

努力も技術(努力について①)

2008-07-28 22:22:54 | 努力について
 具体的な技術に進む前に、「努力」ということについてちょっと考えます。
 幸福な性別移行には「努力」は絶対不可欠です。
 けれど、その中には努力できる人ここぞというときに踏ん張れる人と、そうでない人がいます。そうでない人は、「努力も才能(生得的なもの)」と片付け、自分の人生をそこそこで満足させてしまいます。子どもの頃の私もそうでした。
 
 ところが、幸せなことに!努力は努力で身についていくのです。
 ただ、徒手空拳で挑むとかなり苦しいです。

 努力は努力でしか身につかない。けれども、闇雲に努力しても努力は身につかない。技術が必要なのです。
「私はあんなに努力してきたのに、だめだ」
こう思っている人は、決して努力してないのにわがままを言っている人ではありません。本当に運の悪い人でもないのです。努力が身につく方法をつかめなかっただけなのです。
 このテーマは重いので、たびたび扱います。そして、いくつもの章で触れていきます。

 希望を捨てないで!
「艱難汝を玉にする」

「苦労人は人の気持ちがよく分かる」

「天の将(まさ)に大任をこの人に下さんとするや、必ずまずその心を苦しめ、その筋骨(きんこつ)を労せしめ、その体膚を飢えしめ、その身を空乏(くうぼう)にし、行うことそのなさんとするところに払乱(ふつらん)せしむ」

「闇は深ければ深いほど暁は近い」

「冬は必ず春となる」

「苦しんだ人ほどより幸せになる権利がある」

 こういう言葉が、実感を持って感じられる時がくるのです。