女の子になる方法、教えます!

性同一性障害になやむ若いMTF当事者に向けてのメッセージです

オリジナル(後編)

2011-03-21 23:43:45 | ブログについて
 それこそ命がけで切り拓いてきた先駆者と私は何が違うのでしょうか。
 大きな物事を達成するためには、自分の持てる力を心身共に全力で出し切ることが必要です。多くの先人はそれをやってきました。そして、それでもやりきれない部分をそれぞれの積み重ねで少しずつ壁を壊してきました。ところが、私は、仕事が主だからと活動は「自分のできる範囲」で、仮に責任があり自分にそれをする能力があっても疲れたら休み、休みして約束は守らない、締め切りは守らない、そんなのほほんとした人間です。また、本業の仕事でも推して知るべしで、講演などではえらそうなことを言ってますが、実際はちょぼちょぼの凡人です。前に出るべき人間ではありません。

 札幌で人がたくさん集まる、継続的に当事者のイベントが開催されていることは、私のやってきたことやほんのちょっとした工夫のおかげだと思います。そして、それが札幌の当事者にとってとても意味のあることだと実感しています。けれども、それは、私のオリジナルではなく、このブログがさまざまな人や本のいいとこ取りと同じように、何となく「こうすればいいんじゃないの」みたいのの積み重ねでしかありません。
 私が活動をやってきた貢献度と、先人がやってきた貢献度は雲泥の差があります。

 「自分にしかできない活動って何だろう」活動し始めた頃、そう考え始めました。そして、会に参加してもなかなか居場所が得られない人に対して個人的に関わっていくようになりました。「「当事者の会」は誰でも運営できる。私にしかできない活動は「個人支援だ」」数年間、そう考えていた時期がありました。しかし、所詮は素人で、「何年もかかわって少しずつ良くなってきた」と思っていたら、(メンタルの)病院を変えたら劇的によくなった人や、私と関わっている時は苦しんでいたのに、私との関わりを絶ってほどなく落ち着きを取り戻した人など、相手を傷つけただけで、結局私がやれたことは、情報提供程度のことだけでした。

 「WITH US」とクローズドの交流会、そして今年始める新しい取り組み。私は活動を続けながら当事者支援の意味や意義をこれからも何度も何度も練り直していくことになるでしょう。その発想にオリジナルなものは今後もないかもしれません。自分は一生橋を渡る側にしかすぎないでしょう。
 けれども、「特別な一人」じゃなくていい、「凡人」として目の前の人の幸せづくりを少しでもお手伝いできたらと思うのです。
 目の前の人のために、もっともっと強くならなければいけないし、もっともっと先人に謙虚に学ばなくてはいけないこともあるでしょう。
 橋をかけられなくても、一緒に手を引いて橋を渡れる人になりたいと思います。

 ここ数日、何人かにこの件で話をきいてもらい、少しまとまったので、書き留めておきます。