2014年7月1日のお母様の講話の全文の解読、解説も四回目になりました。
講話全文は http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-493.html を参照してください。
前回の講話に続くこの一節は、また決定的な意味を含んだ一節だと思います。
「そのため、私でなければならないのです。皆さんは私に出会って幸運です。
天一国は二人が一つになって成す国です。1960年はそれこそ天の娘が喜ぶ日であり、万物が
喜ぶ日です。神様が待ちに待ったその一瞬でした。」
1960年は真の父母様の御聖婚の年です。アダムとエバが堕落して以来、神様が6000年間待ちに
待った喜びの日です。我々にとっても神の子女にもどる道が開かれた喜びと感謝の日です。
もちろん万物にとっても喜びの日です。
しかし、その喜びを表現されたお母様のこの話の中に、残念ながら最も大事な真のお父様が
登場してこないのです。
「天の娘が喜び、万物が喜び。神様が待ちに待ったその一瞬でした。」と語られたお母様の
このお言葉の中に、なぜ ”お父様が喜び” という一言がないのでしょう?
お母様はついうっかりお父様ことを言い忘れられたのでしょうか?
「天一国は二人が一つになって成す国です。」とわざわざ言われながら、お母様が一つになら
なければならない主体者であるお父様について一言も語られていないのは、不自然なことです。
日頃、心や意識にないことを口に出して言う事は出来ません。
お母様の心の中では、真のお父様の存在感はそんなにも薄くなってしまわれたという事です。
いや逆に意識して、お父様についてお話をされたくないのだと考える事も出来ます
前回、お父様の御聖和後、韓国で行われてきた指導者(牧会者)修練会の講義で、四位基台の図
でアダムとエバが今までと反対に書かれた講義本が使われていたことが発覚して批判されている
といいました。実はこの異端としかいいようのない狂った理論は、原理の核心の真の父母様に
ついても蝕んでいるのです。
この修練会やトップガン修練会で鮮文大学の呉澤龍教授発案の「真の父母の生涯路程」という
講義が行われてきていますが、この教授は ”神の創造目的の完成は、男性格主体であられる
神が、女性格対象である被造世界全体を代表した立場にあるエバと結婚することで、喜びを感
じることである。”という理論を展開しています。
ここには神様はアダムと一体となること自体にはさほど価値はなく、神様が直接エバと一体と
なる為の道具か、通過体でしかなく、エバと一体となった後は極端にいうと用なしとなる。
メシヤとしての条件である真の愛、真の生命、真の血統については論じられないのです。
もちろんこれは神を、男性格主体としか見ないところから誘導していく間違った理論ですが、
この理論の結論は、 ”真のお父様の使命は、お母様をよく成長させて、最終的に神様と結婚
させて神様と完全一体となった神様の妻とすることである。”と言ってるのです。
そしてその後、役目を終えられたお父様は必要がなくなるというものです。
この講話を語られるお母様は、すでにこういう理論を取り入れた立場におられるとしか考えられ
ません。
「天一国は二人が一つになって成す国です。」と言いながらお父様について一言も語られないのは、
この発言の真意が、お母様と神様の二人が一つになって成す国が天一国という意味で語られている
のではないでしょうか。
亨進様の証言によると、お父様の御聖和後、お母様が”私を誰だと思う”と尋ねられたので”お母
様は勝利されたメシヤの相対者、真のお母様です”と答えられると、お母様は”いいえ、私は
メシヤであり、神である”と仰いましたと言われています。
今お母様は、神様の妻であり、お父様をもはや必要としない、神様と一体となった自分であるという
立場で語り行動されているのです。
そうなると祝福も神様とお母様で出来る。真のお父様抜きでも神様と一体ならば出来るという
空想的な発想としかいえない、原理も何も関係ない行動が起こってくるのです。
亨進様はお父様の御聖和後の、お母様単独による全ての祝福を否定されています。
血統転換の効力も何もなく、かえって真のお父様の下から、神様とお父様から離れて独自の道を
歩まれるお母様の世界、すなわち天使長圏へ引きずり込んでしまったと言われています。
つづく
講話全文は http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-493.html を参照してください。
前回の講話に続くこの一節は、また決定的な意味を含んだ一節だと思います。
「そのため、私でなければならないのです。皆さんは私に出会って幸運です。
天一国は二人が一つになって成す国です。1960年はそれこそ天の娘が喜ぶ日であり、万物が
喜ぶ日です。神様が待ちに待ったその一瞬でした。」
1960年は真の父母様の御聖婚の年です。アダムとエバが堕落して以来、神様が6000年間待ちに
待った喜びの日です。我々にとっても神の子女にもどる道が開かれた喜びと感謝の日です。
もちろん万物にとっても喜びの日です。
しかし、その喜びを表現されたお母様のこの話の中に、残念ながら最も大事な真のお父様が
登場してこないのです。
「天の娘が喜び、万物が喜び。神様が待ちに待ったその一瞬でした。」と語られたお母様の
このお言葉の中に、なぜ ”お父様が喜び” という一言がないのでしょう?
お母様はついうっかりお父様ことを言い忘れられたのでしょうか?
「天一国は二人が一つになって成す国です。」とわざわざ言われながら、お母様が一つになら
なければならない主体者であるお父様について一言も語られていないのは、不自然なことです。
日頃、心や意識にないことを口に出して言う事は出来ません。
お母様の心の中では、真のお父様の存在感はそんなにも薄くなってしまわれたという事です。
いや逆に意識して、お父様についてお話をされたくないのだと考える事も出来ます
前回、お父様の御聖和後、韓国で行われてきた指導者(牧会者)修練会の講義で、四位基台の図
でアダムとエバが今までと反対に書かれた講義本が使われていたことが発覚して批判されている
といいました。実はこの異端としかいいようのない狂った理論は、原理の核心の真の父母様に
ついても蝕んでいるのです。
この修練会やトップガン修練会で鮮文大学の呉澤龍教授発案の「真の父母の生涯路程」という
講義が行われてきていますが、この教授は ”神の創造目的の完成は、男性格主体であられる
神が、女性格対象である被造世界全体を代表した立場にあるエバと結婚することで、喜びを感
じることである。”という理論を展開しています。
ここには神様はアダムと一体となること自体にはさほど価値はなく、神様が直接エバと一体と
なる為の道具か、通過体でしかなく、エバと一体となった後は極端にいうと用なしとなる。
メシヤとしての条件である真の愛、真の生命、真の血統については論じられないのです。
もちろんこれは神を、男性格主体としか見ないところから誘導していく間違った理論ですが、
この理論の結論は、 ”真のお父様の使命は、お母様をよく成長させて、最終的に神様と結婚
させて神様と完全一体となった神様の妻とすることである。”と言ってるのです。
そしてその後、役目を終えられたお父様は必要がなくなるというものです。
この講話を語られるお母様は、すでにこういう理論を取り入れた立場におられるとしか考えられ
ません。
「天一国は二人が一つになって成す国です。」と言いながらお父様について一言も語られないのは、
この発言の真意が、お母様と神様の二人が一つになって成す国が天一国という意味で語られている
のではないでしょうか。
亨進様の証言によると、お父様の御聖和後、お母様が”私を誰だと思う”と尋ねられたので”お母
様は勝利されたメシヤの相対者、真のお母様です”と答えられると、お母様は”いいえ、私は
メシヤであり、神である”と仰いましたと言われています。
今お母様は、神様の妻であり、お父様をもはや必要としない、神様と一体となった自分であるという
立場で語り行動されているのです。
そうなると祝福も神様とお母様で出来る。真のお父様抜きでも神様と一体ならば出来るという
空想的な発想としかいえない、原理も何も関係ない行動が起こってくるのです。
亨進様はお父様の御聖和後の、お母様単独による全ての祝福を否定されています。
血統転換の効力も何もなく、かえって真のお父様の下から、神様とお父様から離れて独自の道を
歩まれるお母様の世界、すなわち天使長圏へ引きずり込んでしまったと言われています。
つづく