下記の記事はデイリー新潮オンラインからの借用(コピー)です
〈皆さんにとって、希望を持って歩んでいくことのできる年になることを〉――。
元日の朝、天皇陛下は初めての新年ビデオメッセージを発せられた。内容の大半をコロナ禍に生きる人々への「エール」に割かれ、皇后さまもまた国民の健康を気遣うお言葉を述べられたのだが、その収録にあたっては容易ならざる事態が展開していたという。
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宮内庁担当記者が言う。
「コロナ感染拡大の影響で新年一般参賀は中止となり、代わりに陛下のビデオメッセージが流されると発表されたのは12月上旬でした。毎年、元旦の5時半から陛下は宮中三殿で、伊勢神宮などに向かって拝礼する『四方拝』に臨まれます。今回は、その開始時刻に合わせて宮内庁のホームページで公開されることになったのです」
動画は6分45秒にわたり、両陛下がお住まいの赤坂御所・檜の間でテーブルを前に語りかけられている。かねてコロナ禍で陛下がメッセージを発信する必要性を唱えていた御厨貴・東大名誉教授は、
「まず前置きで熊本などの豪雨に触れられてから、『この1年……』と、コロナ禍に言及されていく。内容も長さもよく練られており、初めてに相応しいものだったのではないでしょうか。内容だけでなく、プロンプターを用いることで常にこちらを向いてお話しになり、あえてマスクをなさらずに表情をお見せになるなどの工夫も感じました」
そう評しながら、
「私は昨年5月初め、新聞のインタビューでビデオメッセージのような強い発信の必要性を申し上げました。当時はちょうどご即位から1年のタイミングで、また緊急事態宣言が発出されて国民の間でも動揺が走っていた。その後も陛下は、戦没者追悼式で触れられることはあっても、なかなかコロナそのものに対するお言葉を出すには至りませんでした。そうした中、新年の機会に満を持してお出しになったのだと思います」
当日の“異変”
とりわけ目を引いたのは、皇后さまのお姿であった。
「皇后さまは適応障害で長期療養に入られる前、2002年暮れにオセアニアご訪問に際して会見に臨まれて以来、国民に向けて肉声を発せられていません」
とは、先の記者。
「昨年11月に執り行われた立皇嗣の礼『朝見の儀』では『これからもお健やかに』と秋篠宮さまにお言葉を述べられる場面がありましたが、あくまで儀式でのやりとり。今回は、実に18年ぶりの“正真正銘のご肉声”となったわけです」(同)
そのお声は控えめな音量で、やや上ずっているようにも窺えたのだが、
「実は、年末に両陛下が動画を収録なさる際、にわかに不安が流れました」(同)
というのだ。
「記者会は、年末最後の金曜日である12月25日までに前もって映像の提供を、と宮内庁に求めてきました。ところが直前に侍従職から難色を示され、予定がずれ込んで29日に渡されることになったのです」(同)
イレギュラーは、さらに続いた。
「映像が撮影されたのは、その前日28日でした。これだけギリギリの日程で収録すること自体が異例ですが、当日、赤坂御所では午前中からカメラマンが待機し、14時からの撮影に備えていたのになかなか始まらない。撮影はいったん15時に延期され、さらにもう一度延び、ようやく16時から始まったのです」(同)
何と当日、2度の延期がなされていたというのだ。
「やはり皇后さまのご体調は、まだ万全ではありません。録画とはいえ数分間、国民に向けて直に語り掛けるという作業にコンディションを整合させるには、依然として大きなハードルがあったのです」(同)
それでも、皇室制度に詳しい名古屋大学大学院の河西秀哉准教授は、
「平成の時代、上皇后さまは上皇さまから一歩も二歩も引かれ、おつとめを支えるお立場を崩すことがありませんでした。今回、両陛下が並んで座られ、それぞれお言葉を述べられたことは画期的だと思います。特に印象的だったのは、皇后さまがお話しになっている間、陛下がご一緒に読み上げるようにお隣で口を動かしておられたことです。皇后さまのご体調がまだ本調子でないのだなと思わせる一方で、陛下が皇后さまを支えられているご様子が、よく伝わってきました」
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