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「もっと点滴を」枯れるような死を前に家族は葛藤 専門医は「ベッドで“溺死”」のリスクに警鐘

2021-05-27 15:30:00 | 日記

下記の記事はAERAdotからの借用(コピー)です


新型コロナウイルスの流行で病床がひっ迫する中、家での看取りを選択するがん患者らの家族が増えている。だが、家に帰ったはいいが、どうすれば患者が安らかに旅立てるのかの予備知識がなく、末期の患者を苦しめかねない多量の点滴を安易に求めてくる例が後を絶たないという。終末期医療に従事する在宅医は、いまだ続く無理解に警鐘を鳴らす。

*  *  *
「栄養をちゃんと取らせてあげないと母の身体が持ちません。点滴をもっとお願いできませんか」

 今年2月、都内の訪問看護ステーションの女性看護師は、自宅でがん末期の母に付きそう50代の女性から、焦った様子でこう頼まれた。

 女性も健康面で問題を抱えており、母を自宅で看取るという選択肢はもともとなかった。だが、コロナ禍で病院では面会が許されず、「ひとりぼっちの母がかわいそうだ」と、家で看取ろうと考えを変えた。

 がん末期の患者への必要以上の点滴は、患者を苦しめてしまうことは、担当医師がすでに説明していた。母には1日、200ミリリットルの点滴が行われていたが、日に日に痩せていく姿に、慌ててしまったようだ。訪問看護師も改めてリスクを伝えたが、強く言い返された。

「そんな話は聞いていません、母がかわいそうじゃないですか」「あなたは自分の親に同じことをするんですか?」

 暴言に近い言葉まで浴びながら、やりとりを繰り返したという。

 最終的には女性は落ち着きを取り戻して点滴のリスクを理解し、翌月に母を看取った。最後の数日間は、医師のすすめもあり点滴を外した。

 最初から在宅での看取りを決め、こうした知識を得たり心の準備をしてきたりした家族でも、弱っていく患者の変化に耐えきれず、点滴の増量や、どうにかして栄養をつけてあげてほしい、などと突然お願いしてくることは、よくあることだという。

「この女性は、そうした心の準備がなかったうえに、母を家に帰すということだけで精いっぱいになってしまっていました。医師が行った点滴のリスクなどの事前説明は、ほとんど頭に入っていなかったようでした」

 訪問看護師は振り返る。

「がん患者などの終末期は、脱水状態にして身体をある意味『枯れさせる』ことが、患者さんをもっとも楽に過ごさせてあげる方法なのです。ところが、この『常識』が何年たっても、医療者や患者側に浸透せず、何かあるとすぐに点滴に頼ろうとする。かねて指摘されてきた問題ですが、コロナ禍の今、在宅医療の現場では一層、問題が深刻化しています」

 そう危機感をあらわにするのは、兵庫県尼崎市で在宅医療を行い、多くの患者の旅立ちを看取ってきた長尾クリニック院長の長尾和宏医師だ。

 すべての病気の終末期に当てはまるわけではないが、長尾医師によると、末期がん患者に多量の点滴をし続けた場合、肺や腹部に水分がたまったり、身体がむくんだりして患者を苦しませてしまう。また、高カロリーの点滴をすると、ブドウ糖が、がん細胞だけに栄養を送ってしまう形になり、死期を早めてしまう可能性がある。

「心不全と肺水腫で呼吸が苦しい状態が続き、もがき苦しみながら最期を迎える。まさに、ベッドの上で『溺死』してしまうのです」(長尾医師)

 病院から在宅での看取りに切り替える患者家族が増える中、長尾医師のクリニックでも、新型コロナ流行以前より患者は3割増え、受け入れの限界に達した。

 長尾医師は、

「病院から帰ってきた患者さんのご家族は、ほぼみなさん、何か不安を感じると『点滴を』とお願いしてきます。それはなぜなのか。入院していた病院の医師に、終末期は『枯らせた方がいい』という知識が欠落しているからに他なりません。終末期の人に安易に点滴をすることの害を知らないから、患者側もそれがいいことだと妄信してしまうのです。もはや、点滴はいかなる時も『善』であるという、不治の『点滴病』に冒されていると言っていい状況です。患者数が増えて負担が増す中、うちの医師たちは毎日、何組もの患者家族への点滴の説明に追われています」

 として、こう続ける。

「ここ最近、『枯れることが緩和ケアである』という常識すら知らない『にわか在宅医』が散見されます。患者さん側が知識をつけなければ、本人と大切なご家族の心を苦しませてしまい、一生の悔いが残る看取りになりかねません」

 筆者も昨年、自宅でがんだった妻を看取った。介護生活に入ってひと月ほどたったころから、食事の量が日に日に減っていき、ある日の朝を境に、スプーンで食べ物を運んでも、口をまったく開いてくれなくなった。

 もともと家で看取ろうと決めていたため、事前にいろいろな情報に接し、点滴のリスクを知ってはいた。「いつかご飯を食べられなくなる。それはご飯を食べるのがつらくなったということ。その時は少量の点滴だけにして、少し枯らせてあげた方が、患者さんは身体が楽なんです」と在宅医からも説明は受けており、理解していたつもりではあった。

 だが、食べることが大好きで、つい数カ月前まで焼き肉でもラーメンでもスイーツでもバクバク食べていたその当人が、毎日、寝たきりのままほんのわずかな量の点滴だけで過ごし、みるみる痩せていく。そうそう受け入れられる現実ではなかった。「本当は腹が減ってるのにうまく喋れないだけなんじゃないか」「栄養がなくてつらくないんだろうか」。さまざまな迷いが浮かんでは、かき消す日々。

 厳しい現実でしかないが、プロである医師の言葉を信じ耐えるしかなかった。

 不思議なことに、死を迎える前の一カ月ほどは状態が良くなった。目が覚めている時間はごくわずかだったが、表情が豊かになり、話しかけると反応できたり、自分から何か言葉を発する機会が増えた。好きな歌のワンフレーズを口ずさんだこともあった。「枯れた」から調子が良くなったという証明はできない。それでも、できることが増え、健康な人たちのそれとはもちろん質は異なるが、コミュニケーションが取れたのは事実だと感じている。

 終末期に寄り添う家族は、様々な患者の変化に直面し、どうしようか思い悩む。どれだけ考え抜いたとしても、100パーセント正しいと思える選択などないのかもしれない。

 ただ、家での看取りを選ぶ人が増えている今、点滴という、一見して害がなさそうな医療行為に大きなリスクが伴うという事実だけは、しっかりと知っておく必要がありそうだ(AERAdot.編集部・國府田英之)



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