下記の記事はNEWSポストセブンからの借用(コピー)です
人間は、何もないところから生まれ、何もないところへ還る。諏訪中央病院名誉院長の鎌田實医師が、人生における「ゼロ地点」についてつづる。
* * *
東日本大震災の後、「だれも一人にしない」「社会から切り離さない」ことを目指して、「よりそいホットライン」が創設された。暮らしの悩み、DV、性暴力、同性愛、自殺、被災後の暮らし、日本で暮らす外国人の悩みなど、多岐の分野にわたって24時間365日、ワンストップで相談に応じている。一日2万5000件の悩みが寄せられる。
自殺者が年間3万人を超えていた時期があるが、その後、少しずつ減少し2万件台までになった。このよりそいホットラインも貢献しているのではないかと思う。
ぼくは、創設時からこの評価委員を続けている。最近の相談では、家族の問題が目立つと聞き、なんともつらくなった。新型コロナで「ステイ・ホーム」を余儀なくされるなか、家族が家族から逃れられなくなっているからだ。
たとえば、自分の思いを、家族はまったく理解してくれないと絶望する。お互いに鬱憤をぶつけ合って、関係がこじれる。配偶者との間で、親子の間で、暴言、暴力、性的暴力がある。家族が家族に牙をむいているのである。
こじれてしまった関係は、できることなら、いったんゼロにしてしまったほうがいい。しかし、そう簡単にいかないのが家族の関係だ。だからこそ、悩みは深くなる。
6000円で始まった名優の原点
5年ほど前、BS朝日の「ザ・インタビュー トップランナーの肖像」という番組で、一番大事にしている言葉は何かと問われ、「0から0へ」と色紙に書いた。
人間生まれてきたときには、みんなゼロだった。そして、死んでいくとき再びゼロになる。どんなに浮き沈みがあったとしても、結局、ゼロで生まれて、ゼロで死んでいく。そう考えると、ぼくは気持ちが楽になる。
ぼくは、両親が離婚し、1歳10か月のとき、養子に出された。実の父親は再婚し、その後、事業を興して成功した。晩年は、糖尿病になり、さらに脳卒中で倒れた。人の話によると、お世話になったからと、病院に何億円もの寄付をして亡くなったという。
どんなに財産を築いても、あの世には持っていけない。父が大きな額を寄付して社会貢献をしたのは、死を前にして、ゼロに戻ろうとしたのではないだろうか。
2009年に96歳で亡くなった俳優の森繁久彌さんは、若かりし頃、満州でアナウンサーをしていた。戦争で負けて引き揚げが始まったとき、今のお金で一人当たり6000円しか持つことができなかったという。
6000円で戦後の人生をスタートした。だから、死ぬ時も6000円だけ持っていればいいと思っている、と言ったそうだ。だから、子どもたちに財産は残さない、とも。
明快な生き方は、気持ちがせいせいする。
人生には、ゼロ地点を見つめ直すときが必要だ
先ほどの「トップランナー」で、ぼくにインタビューしたのは野際陽子さんだった。その2年前に肺がんの手術を受け、抗がん剤治療をしていた。高田馬場にある、ぼくが代表をしているJIM-NETの事務所まで来てくれたが、階段を上るのも大変そうだった。
それでも、インタビューは鋭く、あたたかく、ぼくがどんな地域医療作りをしてきたか、なぜ国際医療支援を続けているのか、そもそもどんな生い立ちか、深く切り込んできた。
野際さんといえば、NHKアナウンサーから女優に転身したことで知られる。ドラマ「キイハンター」は、視聴率30%という今では考えられないような、お化け番組。その後も、説得力のある存在感で、息長く活躍した。
おもしろいなと思ったのは、30歳の時、ソルボンヌ大学に留学していることだ。古典文学を学び、1年ほどして戻ってきた。長い人生のたった1年ではあるが、時間の長さ以上に意味があったのではないかと想像する。パソコンやスマートフォンの作動が遅くなったとき、一度、シャットダウンして再起動すると調子がよくなる。野際さんにとって、ソルボンヌ大学の留学は、そういう再起動のときだったのではないか。
人生の途中で立ち止まって、自分のゼロ地点を確認したからこそ、その後、階段を上っていくことができるのだ。
すべての世代でコロナ不安が広がっている
昨年春から続く新型コロナのパンデミック。世界中で生活が一変した。アメリカのインディアナ大学は、18~94歳の米国成人約1000人を調査したところ、32%にうつ症状が見られたと発表している。感染状況はアメリカほど深刻ではないが、日本にも不安は広がっている。
国立成育医療研究センターの調査では中等度以上のうつ症状を示す子どもが、高校生で30%、中学生で24%、小学4~6年生で15%を占めていることがわかった。なかにはほぼ毎日という頻度で「死んだほうがいい」と思ったり、自傷行為をしようと思ったと答える子どももいるという。
その保護者にも調査すると、保護者の29%に中等度以上のうつ症状が認められた。全世代に広がるうつ。心の不調は、だれもが抱える問題と考えていい。
この時期をどう捉えたら、不安に流されずにすむだろうか。望んだわけではないのに、コロナによって無理やり、人生の「再起動」をかけられているようなものだ。けれど、強制的にであれ、コロナがゼロ地点を見せてくれているのだと考えれば、ものの見方も変わってくる。
コロナによって、失ったものがあったとしても、ゼロ地点さえわかっていれば、すべて失ったわけではないことに気付く。
ステイ・ホームは“生まれ変わり”の時間
ぼく自身も、生活が一変した。年間100本を超す講演がゼロになった。こんなに長い時間、家で過ごすことも、人生で初めてだった。
まったく不安がないかというと嘘になる。けれど、そんなときに、「ゼロからゼロへ」という考えが、心の支えになった。どうせ死ぬときにはゼロになるのだから、何も恐れることはないのだ。
この1年、ぼくは八ヶ岳を見ながら、スクワットやかかと落とし、ドローイン歩行など運動を続けてきた。冬には毎朝、起きるとすぐにスキー場へ直行し、3キロのダウンヒルをノンストップで3本滑った。それから家に戻って、13本の連載の原稿書きをしている。そんな修行のような生活を黙々と続けながら、世界がコロナに打ち勝った時、どんな新しい自分になってやろうか、密かに情熱を燃やしている。
【プロフィール】
鎌田實(かまた・みのる)/1948年生まれ。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に赴任。現在同名誉院長。チェルノブイリの子供たちや福島原発事故被災者たちへの医療支援などにも取り組んでいる。著書に、『人間の値打ち』『忖度バカ』など多数。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます