下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です
空前のヒット「鬼滅の刃」がコロナ第3波にあえぐ日本に示すもの
12月4日、大人気漫画『鬼滅の刃』の最終巻となる23巻が発売された。Amazonは予約注文だけで売り切れ、書店では多くのファンが列を作った。10月に公開された劇場版『「鬼滅の刃」無限列車編』は11月末までに興行収入が歴代2位となり、1位になるのも時間の問題だろう。映画配給を担う東宝の株価は高値を更新し、数多の企業でコラボ商品が続々と展開されヒットしていることから、「『鬼滅の刃』は日本経済の柱」と称される経済効果ももたらしている。
筆者が「鬼滅の刃」の鬼キャラを真似てつくった手袋
子供たちの人気もすさまじい。筆者が勤務する病院では注射の際に「全集中、水の呼吸!」という主人公の竈門炭治郎のセリフを医療関係者が囁くと泣き声がピタッと止まって針の痛みに耐える、という現象が目撃されている。これは他の病院でも起きている現象だ。
それを見聞きした筆者自身も、子どもに麻酔注射する際、前出の劇場版に登場した鬼のキャラクターを真似た手袋を作成して使用してみた。「ねんねんころり、ねんころり」というその鬼のセリフを囁くと、かえって大泣きされてしまった……。それなりにウケると踏んだが、完全な逆効果だった。
全面広告「人の想いこそが永遠であり不滅なんだよ」コピーの意味
最終巻の販売は、全国紙5社への異例の全面広告でも話題になった。発売日前日である12月3日の夕刊広告は、夜を思わせる一面黒の背景に「永遠というのは人の想いだ 人の想いこそが永遠であり 不滅なんだよ」との言葉を浮かび上がらせた。主人公が属する「鬼殺隊」の当主:産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)のせりふで、作品に込められた思いを表現したそうだ。
4日の朝刊では主要キャラクター15人の笑顔が大きく描かれている。各紙3人ずつ、5社にそれぞれ違うキャラクターが掲載されたため、多くのファンがコレクションのためにコンビニなど取扱店に殺到した。15人分をコンプリートした新聞束は、ネットオークションなどで高値取引されていた。
鬼滅の死生観「老いも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」
映画のクライマックスでは、柱(鬼殺隊の最高剣士)である煉獄杏寿郎(れんごくきょうじゅろう)は、鬼の猗窩座(あかざ)に致命傷を負わされる。その闘いの際、猗窩座に「鬼になろう」と誘われる。しかし、杏寿郎は「老いることも死ぬことも、人間という儚い生き物の美しさだ。老いるからこそ死ぬからこそ、堪らなく愛おしく尊いのだ」と延命を拒絶し、観客の涙を誘った。
この映画は大正時代を主な舞台にしているせいか、若くして病死するキャラクターが多い。炭治郎の父も、杏寿郎の母も幼い子どもを残して病死する。最強剣士である継国縁壱(つぎくによりいち)の妻「うた」は、流行り病で家族を全て失って唯一人生き残っている。
約100年前、大正7~8年(1918~1919年)に流行したスペイン風邪は日本を含む世界全体で約1億人の死者を出したと言われる。国内でも「一村全滅」と報道されるような集団感染事例もあったので、近代医学前の感染症と人間の関係はこのようなものだったのだろう。
登場人物たちも身内の病死を悼みつつも運命と受け入れており、政府や他人を責めることはない。「人の命は有限で儚(はかな)い」ことが今よりもはるかに浸透していた時代だったのだ。
一方で、「鬼滅の刃」に登場する鬼のラスボスに相当するのが鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)である。平安時代に鬼となった後は、人間を喰い続けることで1000年以上も生き続けている。「生きることだけに固執している生命体」であり、自分が死なないためには手段を択ばず、部下や主治医や養母さえも惨殺してしまう。
日本社会が目を背けてきた終末期の問題がコロナで一気に露見した
11月中頃から各地で「コロナ感染者数が過去最多」報道が相次ぎ、コロナ「第3波」の到来が明確になった。同時に、「Go Toキャンペーン」の妥当性について政治関係者が騒がしい。「コロナ第3波」は世界の各地で発生しており、日本の「感染者15万人、死者2240人」という数値は、米国の「感染者1400万人、死者28万人」(いずれも12月4日時点)など諸外国に比べれば防疫にある程度成功しているようにも見えるが、政治家や行政関係者を非難する声は絶えない。
日本における第3波の特徴は、医療機関や介護施設における大規模クラスター(感染者の集団)の発生が目立つことである。死者の多くは高齢者であり、厚生労働省が発表した11月18日の集計結果だと「死亡例1857人中、80代以上が59%、70代が26%」と「死者の85%が70代以上」である。
「母を引き取れません、お金も出せません」親を病院に捨てる人々
また今回のコロナ第3波では、「医師看護師の集団辞職」や「ICU(集中治療室)を整備したのに看護師が確保できない」といった医療関係者のマンパワー不足の報道が目立つ。
看護師の退職理由としては「精神論だけでは限界」「医療関係者が差別される」などと報じられている。筆者もその指摘は間違いではないと思うが、それ以上に、結果的に看護師にしわ寄せがいってしまう背景には「日本社会が見て見ぬふりをしてきた高齢者終末期の医療問題のツケ」があるのではないか。
これはコロナに限った話ではない。
高齢者が感染症などで長期入院すると、たとえ治っても足腰が弱くなったり認知症が進行したりして要介護状態になる確率が高い。肺炎で救急車搬送された高齢患者について、駆け付けた家族に「できる限りの治療を」と言われれば、病院関係者は人工呼吸器や高額医薬品を投入して一生懸命治療するだろう。ところが、数週間後、肺炎そのものは軽快したので退院させようとすると……。
その息子や娘は親を助けてと哀願した顔と別なものに豹変しているということがある。
「ウチ狭いんで引き取れません」
「子どもの教育費で手一杯でお金(治療費)出せません」
「命は有限」理解しない人々に責められて疲れて果てた医療現場
信じられないことに病気が治った親の引き取りを拒否するといったケースが少なくないのだ。しかも、こんなふうにモンスタークレーマーのような物言いをすることもある。
「あんなに元気だった母が車椅子なんて……。これは医療ミスでは?」
「こんな結果なら治療してほしくなかったよ」
命を救った医療関係者の気持ちを無碍にするセリフを吐くだけでなく、その後は、電話に出なくなることも非常に多い。そういう事例が決して稀ではないのだ。
困り果てた病院関係者は、本来、そんな作業をする必要はないのだが、預かってくれる施設を探す羽目になる。しかしただでさえ介護施設は不足しており、元コロナ患者を受け入れてくれるところを探すなんて「砂場で砂金を探す」レベルだ。
12月頭に看護師の集団辞職が報道された大阪市内の病院は、ECMO(体外式膜型人工肺)が整備されているような最重症例を扱う高度医療機関ではなく、主に軽~中症例を扱っていた。ある県の感染症アドバイザーを務める医大教授は12月3日のNHKニュース内で「最終目標は亡くなる人をゼロにすることで、そのためにも感染者数を最小限にするんだと肝に命じてほしい」と人材不足の現場にあえて檄を飛ばしていた。
コロナ患者が死亡すると、こうした権威のある医者に叱られ、生きて退院させようとすると「元の(元気な)状態じゃない!」と家族にイヤミを言われ……現場の医療関係者は「人が老いることも命が有限であることもわかろうとしない」人々に責められて、すっかり疲れてしまったのだろうと推測している。
「出生数は急減し、自殺者は急増」命と国家財政は有限なのだ
コロナ禍や経済不況を受けて2020年5月以降の妊娠届出数が前年同時期に比べ約11%減少し、2021年のさらなる出生数減少が確実視されている。10月頃からは「自殺者の急増」「10月の自殺者数>コロナ死者総数」も指摘されている。
第3波到来によって年末年始のイベントは大幅縮小されるだろうし、「GoToキャンペーン」に希望をつないだ飲食店などの自営業者も冬には廃業を余儀なくされるケースが多いと予測される。今のところ、出生数回復や自殺者減を期待できる状況ではない。
「人間の命は尊い」ことに何の異論もない。だが、その一方、筆者は「高齢者の命は最大でも現役世代と等価」だという私見を持っている。どんなに病床数を確保しても、また人工呼吸器・ECMOを十分に配置したとしても、完全に老いや死を回避することはできない。それは政府や医療関係者を責め立てても、同じだ。
人の命は有限であり、国家財政も有限である。現役世代の経済苦による自死や、数万人レベルの出生減を容認してまで、高齢者の延命に社会的リソースを注ぐべきなのか……。日本社会が長年放置してきた宿題をコロナは明確に付きつけている。
コロナ禍の今こそエンディングノートの普及をすべき
今、高齢者向けの医療・介護施設では、入所者にエンディングノートやライフデザインノートの作成を勧めることがある。いずれ訪れる死が回避できない以上、判断力が保たれているうちに自分の希望を文章化して残してもらうのである。いろんな専用ノートが安価に市販されているし、市町村のホームページなどから無料ダウンロードすることもできる。
大阪府が病床数確保や看護師確保に励むことは間違いではない。ただ、「コロナの有無にかかわらず、人間が老いて死ぬ」のも事実である。医療関係者のひとりとして筆者は、コロナを契機に多くの方に、自分や家族の老いを直視し人生の終末期について考えてもらうといいのではないかと思っている。
もしくは、「鬼滅の刃」の柱のひとり、煉獄杏寿郎が「老いることも死ぬことも人間という儚い生き物の美しさだ」と言って命を落としたように、死に対する自分なりの哲学や覚悟を持ってもらうといいのではないか。
「後に伝えたい想い」についても記してもらえるよう、地道に啓蒙することも、今後しばらくは終息しそうもないコロナの対策のひとつとなるに違いない。
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