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橋田壽賀子と安楽死#2「子どもがいないから可哀そう」と言った友人の可哀そうな最後

2021-04-05 18:51:33 | 日記
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子供は親に頼るな、親は子供に期待するな
 私は家族がいなかったから、ホームドラマがたくさん書けたと思っています。かりに息子などいて「お母さんはこんなこと考えてたのか」なんて思われたら、好きなように書けないじゃありませんか。手加減したりカッコつけたドラマが、面白いはずありません。親も夫も子供もいないから、誰にも遠慮せず本音が書けるのです。
 かりに親が健在だったら、私はこう言います。
「老後の世話をするのは嫌だから、自分のお金でちゃんと自分の始末をしてほしい。その代わり、遺産は一銭も要らないわ」
 冷たいですか? でも、もしも子どもがいたならば、
「自分の最期は自分で準備するから、あなたに面倒を見てもらうつもりはない。自分で稼いだお金は全部使って死ぬから、遺すつもりもない」
 と告げたでしょう。
 世の中の親は我が子のために節約を重ね、少しでも財産を遺そうとします。しかし私は反対です。私の知人の女性は、旦那さんを亡くしたあと、お姑さんの面倒を見ながら息子と娘を育てました。息子のお嫁さんも娘も働いていたので、幼い孫たちをよく預かっていました。そうやって家族の世話をすることが、彼女の生き甲斐でした。いつも私に、
「壽賀子さんは可哀そうだ。子どもがいないから」
 と言いました。子どもがいなくてよかったと思っている私には、彼女こそこき使われて可哀そうに見えたのですが、何も言わずにいました。やがて彼女は、長男一家と一緒に暮らすつもりで3階建ての二世帯住宅を建てました。ところがそのあとになって、お嫁さんが「一緒に住むのは嫌だ」と言い出したのです。
広い二世帯住宅で迎えた結末とは…『安楽死で死なせて下さい』(橋田壽賀子 著)
「息子も娘も会いに来てくれない。孫だって、あんなに面倒見てやったのに、ちっとも寄り付かない」
 とこぼすようになった彼女を、
「子どもや孫が可愛くてやってあげたんだから、いいじゃない。あとの人生は自分の好きなことをしなさいよ」
 と慰めたものです。しかし家族に尽くすだけの人生を送ってきた彼女には、別の生き甲斐が見つかりませんでした。そのうち、
「壽賀子さんは、独りを覚悟しているからいいね」
 と言うようになり、八十歳をすぎたばかりなのに、広い二世帯住宅で孤独死しました。成人した我が子は、新しい家族と新しい生活を築くのが当たり前です。彼女は、期待をかけすぎてしまったのでしょう。
 口では「子どもの世話になんか、なりたくないですよ」と言う人が多いですが、みなさん心の中では期待しているんじゃないですか。けれども、裏切られた期待は、恨みに変わることがあります。期待さえしなければ、思いがけず感謝が生まれる場合もあるのです。「お金を遺してあげるから、老後は面倒見てね」と見返りを求めるくらいなら、最初からそのお金で介護の人を雇うべきです。
 子供もまた、親に頼らず、親のお金を当てにしないこと。最近の男はマザコンが多いくせに、親の老後の面倒を見ようとしません。「お金は遺して欲しいけど、世話はしたくない」なんて、もってのほかです。
 大切なのは、親が元気なうちによく相談をして、老後や最期の迎え方についてどう考え、葬式や墓をどうしたいと思っているのか、知っておくことです。よく話し合っておかないとお互いに誤解が生まれ、それが恨み節へと変わるのです。
 
追記:
橋田壽賀子はお亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

家族が死んだ直後に「ディズニーランド行きたい」とねだった22歳の息子を抱える母親の絶望

2021-04-05 15:30:00 | 日記

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80歳の父親を看取った女性は、美容院の経営をしながら、精神を病んで認知症になった母の介護も担うなど日々を忙殺された。加えて、足を引っ張ったのは息子だ。女性は、Fラン大学を中退して女性と同棲を始めるなど自堕落な生活を送る息子への仕送りを止めた――。
長年、精神科に通う母親が認知症に。その傍若無人ぶりにウンザリ
父親が亡くなると(享年80)、長年精神科に通っている母親(当時73歳)は同居するひとり娘の蜂谷歩美さん(当時40歳)が経営する美容室に用もないのに何度もやってくるようになった。それまでの経験則で、母親が1日に来る回数が多ければ多いほど、その精神状態がよくないことはわかっていた。
古い銀行通帳を持ってきては、「こいつ(歩美さん)が私のを盗んだ」と言いがかりをつけたり、鍵をかけたドアを激しくたたいたり。最後は決めセリフのように「あんたなんか、もらわなければよかった! 返せばよかった!」とわめくのだ。
蜂谷さんが母親から「あんたを産んだのは私じゃない」(養子として迎え入れた)とまさかのカミングアウトをされたのは、10年前の夏、妊娠8カ月の身重だった頃だ。
蜂谷家は2世帯住宅で、2階は蜂谷さんと外資系企業に勤める夫と9歳の長男が住み、1階は母親が暮らしていたが、2階にあったものが留守中になくなることもしばしば。あるときは冷蔵庫の中で母親の老眼鏡が冷やされていたが、母親は「私のじゃない。私は2階に上がったことがない」としらを切る。
蜂谷さんの夫は、母親が2階に上がってくるのを防ぐため、階段に青竹踏みやペットボトルの飲料などを置いてバリケードを作った。すると母親は「バカにしてる!」と怒り狂い、階段の飲料を蹴り落とす。落ちた衝撃で容器が壊れ、階段や廊下は炭酸飲料でアワアワになった。
それ以降、2階のドアに鍵をつけた。
母親は30年以上前から精神科に通い、抗うつ剤や睡眠導入剤を服用していたが、自分の薬を他人に触らせないだけでなく、精神科の診察室には、絶対に他人を入れなかった。だが、ここまで奇行が増えてくると、母親の精神科医と連絡を取らざるをえない。蜂谷さんは「母は統合失調症ですか? 躁鬱ですか?」と訊ねると、主治医は「認知症です」と答える。さらに「認知症になる以前は?」と訊ねるも、主治医は首を傾げるばかりだった。
「これ全部飲んで、今日であんたたちともおさらばだ!」
2011年6月時点で、母親は介護施設のデイサービスに週2回通い、介護サポートを週1回利用し始めた。蜂谷さん45歳、母親78歳になっていた。
認知症と思われる行動はその後も増えていった。例えば、2011年12月の深夜。真っ暗な玄関から母親の声がした。
「暖かくなりましたねえ。ええ、はい。ありがとうございます」
一人で誰かと話している。こちらが声をかけても反応しないため、手を引いて部屋の中へ移動させると、母親は何事もなかったかのように布団に入り眠り始めた。
夫は、母の玄関での奇行に気づいていたが見て見ぬフリ。蜂谷さんが不満を言うと、夫は仕事で疲れているのか「お前の親なんだからお前が看ろ! お前は俺の親なんか看る気はねぇだろう!」と取り合わなかった。
2012年のある日は、母親は突然2階に上がってくると薬の袋を見せつけ、「これ全部飲んで、今日であんたたちともおさらばだ!」と叫んだ。蜂谷さんたちが呆然としていると、「私なんかどうでもいいんだ。全部飲んでやる!」と暴れた。
蜂谷さんは当時感じていた苦痛をこのように表現する。
「私は、常に両親に気を使って生きてきました。どうして『お前なんかもらわなきゃよかった』と言われても、言われた通りの職につき、婿に来てくれる人と結婚し、老後の面倒を見て、2世帯同居し、2ケタの小遣いまで渡していたのか……。マインドコントロールされていたのかもしれません」
聞けば、生みの両親は、蜂谷さんの母親の弟夫婦とのこと。弟夫婦に子供が産まれることを知ると(妊娠初期)、子供がどうしてもほしかった蜂谷さんの両親(育ての親)は「ウチに養女に出してほしい」と、祖父母(蜂谷さんの母親の両親)とともに土下座したそうだ。弟夫婦は泣く泣く承諾した。
閉鎖病棟へ入院、看護師は母に睡眠薬だといってラムネを渡した
2013年1月。ショートステイ利用時、母親は夜中にトイレの前でブツブツ呟きながら失禁。蜂谷さんが精神科医に相談すると、即入院準備となる。
「若いうちから精神安定剤を飲んでいると、認知症を発症しやすいといいます。母の認知症は、この頃から急激に悪化していきました」
同年2月。母親はかつて入院して「もう二度と嫌だ」と言っていた閉鎖病棟に入ることになった。
「ひどい娘だと思う人もいるかもしれませんが、これがわが家の最善策でした。当時の母は、現実と夢の中を行ったりきたりしているような感じでした」
蜂谷さんは、病室で母親が文字とは思えないサインを書く様子を見つめているうちに、涙が止まらなくなっていた。
閉鎖病棟の医師は、薬物依存症になっている母親から、まずは薬を抜くという治療方針だった。母親は毎日何度も、「眠れないから薬をちょうだい」と言ってナースステーションにやってくる。あまりにしつこいため、看護師はラムネを渡すことにしたという。
母親はイチジク浣腸にも依存していた。一時帰宅した際に一気に6本も使った母親は、その後、リビングで大変なことになっていた。
一時帰宅した理由は、眼科への通院だった。母親は眼科医から、「緑内障で、左目が失明していますね」と言われ、翌日、閉鎖病棟内で首を吊ろうとして看護師に止められる。事前に蜂谷さんが「母は精神病院に入院中です」と伝えているにもかかわらず、配慮のない眼科医に蜂谷さんは言葉を失った。
やがて母親は、高齢者病棟へと移った。
迫る母親の死、さらに息子が腐り始めて足を引っ張る
美容師の仕事をしながら、母親のケアをしている蜂谷さんは、それだけでいっぱいいっぱいだったが、この後、新たな厄介事が起こる。ひとり息子だ。
2013年夏、中学3年生になっていた息子は、ラグビー部の全国大会で優勝。息子の活躍は、新聞や雑誌に取り上げられた。
中高一貫校だったので、そのまま高等部へ進学するも、高等部のラグビー部監督と合わず、だんだん練習に参加しなくなっていく。蜂谷さんは練習に行くよう促すが、夫は「嫌なら休めばいい」と言う。
息子は練習を休むと、病院まで10キロの道のりを、自転車で祖母に会いに行った。小遣いをねだるためだ。
2014年、息子はますます部活を休みがちになる。蜂谷さんが小言を言うと反発し、その度に部屋の壁に穴を開けた。
一方、母親は、入院中にもかかわらず、「服がないから持ってこい」と言い、言うことを聞いて服を持ち込むと、看護師さんに「服は十分あります」と注意された。
「読んでいた漫画を突然取り上げてビリビリに破かれるなど、母とのいい思い出がなく、入院させて申し訳ないとか後ろめたいといった気持ちもありませんでした。でも、オシャレが大好きだった母なので、せめて服くらいはと思いました。入院生活が長くなり、私にも多少、母を憐れむ気持ちが出てきたのかもしれません」
蜂谷さんは毎週、面会だけは欠かさなかった。
母の葬儀の準備中、息子は「明日ディズニーランドへ行きたい」と
2015年1月。仕事を終えてスーパーへ行き、帰宅直後に病院から電話が入った。
「お母さんの意識がありません。これから救急車で○○病院へ向かいますので来てください」
金曜の夜で、夫も息子も家にいたが、蜂谷さんは一人で向かう。念のため母親の弟夫婦と妹に連絡を入れると、従兄弟が来てくれた。診察室に通されたのは0時ごろ。従兄弟が「先生、あとどのくらいもつんだい?」と訊ねると、「1〜2日でしょう」と医師は答えた。重度の腸閉塞だった。
翌日、蜂谷さんは仕事を終え、病院に向かう。意識がないはずの母親は、お腹が痛いらしく、腹部に手を当てていた。蜂谷さんは「ばーさん、来たからね」と伝えてお腹をさする。すると母親は、「歩美、ありがとう……」と振り絞るような声で言った。
しばらくすると看護師が「今夜は大丈夫そうです」と声をかけてくれたため、「また明日ね」と伝えて帰宅。翌朝7時ごろ、蜂谷さんのスマホが鳴った。
蜂谷さんが一人で病院へ向かうと、バイタルメーターの波が弱くなり、血圧も下がってきていた。8時22分、母親は死去(享年80)。蜂谷さんは47歳になっていた。
「精神的な病に苦しんだ数十年。やっと楽になれたはず……と思いました」
涙が静かに流れた。だが、周囲の人間には、死を悼む気持ちはまるで感じられなかった。
葬儀の準備のさなか、夫が海外出張のとき亡き母親のために買ってきたブランドバッグを義母(夫の実母)が欲しいと言い出したかと思えば、息子は「明日ディズニーランドへ行きたい」とTPOをわきまえない願いを申し出た。
蜂谷さんが絶句していると、夫はブランドバッグを自分の母親に渡し、息子には「いいぞ。俺が駅まで送ってやる」と答えていた。
外資系企業勤務の夫はリストラ、息子は部活を辞め、学校も休む
2016年4月。高校3年生になった息子は、中学から5年間続けてきた部活を辞めてしまった。そして外資系企業に25年以上勤めてきた夫はリストラに遭い、早期退職することになった。
息子は「受験勉強に専念する」と言うが、真剣にやっているようには見えない。部活だけでなく、学校の居心地も、どんどん悪くなっていっているようだった。
「中等部の部活では活躍の場を与えてもらった息子ですが、友人などとの良好な人間関係は築けなかったようです。高等部の監督との相性の悪さも、さまざまなところに悪影響を及ぼしたのだと思います。夫は『監督が嫌なら、仲間たちと革命を起こせ』とけしかけていました。夫は、小学校のスポーツ少年団の時もコーチの態度に激怒して、試合途中に息子を連れ帰ってしまったことがあります。私は、6年たっても変わらない夫の対応にうんざりしていました」
GW明けから息子は学校の授業も休むようになり、「何をやってもうまくいかない。頭がおかしくなりそうだからメンタルクリニックに連れて行け」と蜂谷さんに言う。連れて行くと、漢方薬を処方されたが、息子は「お腹が緩くなる」と言って3日で飲むのをやめてしまった。
家出して彼女の家に行った息子、書き置きの手紙は誤字脱字だらけ
8月。仕事が終わって帰宅すると、7月末から無職になった夫から息子が家を出て行ったことを知らされる。誤字脱字だらけの書き置きの手紙には、自殺まで考えた息子の気持ちが書いてあった。
夫がなんとか連絡を取ると、息子は彼女の家におり、数日後に帰宅。彼女とはSNSで知り合い、祖母の葬儀の翌日も、その娘とディズニーランドへ行っていたようだ。息子は義母に小遣いをせびりに行ったこともあるらしく、ある晩に、蜂谷さんは義母から電話で、「どういう教育しているの?」と罵声を浴びせられたそうだ。義母が断ると、息子は「クソババア! 二度と家に来るな!」と捨て台詞を残して去った。
その一件以来、息子は自室にこもってしまった。夏休みの終わり、幸い夫の再就職先は決まったが、息子は大学受験対策の予備校の夏期講習に一度も行かず、予備校も辞めた。
「あいつ、お前の金、全部持ってったぞ」
新学期が始まった。朝5時ごろ、息子と夫が言い争う声で蜂谷さんは目覚める。夫は「行くな!」と必死に呼び止めるが、息子は出て行った。立ちすくむ蜂谷さんに夫は言った。
「あいつ、お前の金、全部持ってったぞ。俺のは取り返したけどな」
蜂谷さんが慌てて財布を見ると、昨日おろしたばかりのお金が全部抜き取られていた。もはや「善悪の区別もつかなくなったのか」と、蜂谷さんは呆然とした。
われに返った蜂谷さんは、息子の彼女の母親に電話をかけた。すると彼女も家出をしたという。動機、息切れ、めまいが蜂谷さんを襲うが、それでも蜂谷さんは店を開けた。
夜、彼女の母親と連絡を取り合う。聞けば、彼女は高校を辞めて住み込みで働きたいと言っているという。結局、数日して息子は帰ってきて、仕事を探したが、見つからなかったらしい。小言を言う蜂谷さんを制して、夫は息子を咎めなかった。
終わらない子育て、息子は「日本海側の大学」を中退し彼女と同棲
蜂谷さんは、息子が高校を卒業できるようにすることを最優先に考えた。夫は単身赴任が決まり、逃げるように引っ越していく。
「2016年の夏、有名な女優の息子が犯罪者としてニュースに取り上げられていましたが、母親である女優さんが気の毒で、何とも言えない気持ちでした。ただ、『息子をきちんとさせなければ』という思いは同じではないかと思いました。両親の介護もつらかったですが、この頃が今まで生きてきて1番と言い切れるくらい、つらくて苦しかったです」
2017年3月。息子は何とか卒業できることが決まる。息子にお金を盗られたのがショックだった蜂谷さんは、以降、入浴中も寝る時もバッグを離さなかった。
蜂谷さんは、「ここなら受かる」と担任が勧める日本海側の大学を1人で見学に行き、下宿先と入学を決めてきた。「行きたくない」という夫を伴い、息子の卒業式に出席すると、息子が入場してきた途端、蜂谷さんは号泣した。
息子「やりたいことなんてない。(俺が)生きているだけマシだと思え」
そして3月末。夫は単身赴任先のアメリカへ、息子は雪国へ旅立った。問題の彼女と同じ大学だった。彼女は息子の下宿の隣に住み、3カ月で大学を辞めた。息子は行ったり行かなかったりを繰り返し、最終的にはバイトの先輩が起業する際に誘われ、2020年4月に退学。
蜂谷さんは仕送りを止め、「働いてお金を貯めて、自動車免許を取りなさい。5年後に楽しく生きていられるように考えて」とだけ伝えた。
息子は「やりたいことなんてない。(俺が)生きているだけマシだと思え」と言った。
「今までお金に困ったことが無い息子。1円を稼いで、それを貯金することがどれだけ大変かを、少しずつでもいいから学んでほしい。同じ年齢の男の子の事件がある度に息子に重ねてしまいます。どこで狂ったのでしょう。息子がどうしようもなく腐ってしまったのが、親の介護よりずっとずっとつらいですね……」
息子と彼女は3年前から同棲を始め、息子は2年半帰ってきていない。
「私は仕事と子育てを両立できるよう頑張ってきたつもりです。平日は両親に預け、土日祝日は夫に預けて生後3カ月から美容室で働き、3歳前から幼稚園。店が休みの日はお弁当を作って公園に行ったり、クッキーを作ったりと、できる限り子育てを頑張ったつもりです。でも、息子は腐ってしまった。でもどんなに腐っても私の息子です。育てた責任は取らなければと思います。いつか自立して、『生きてて良かった』と思えるようになってほしいですね……」
2020年後半、生みの父親が亡くなった。
蜂谷さんにとっての親は、育ての親だ。生みの父親が亡くなると、生みの母親が介護経験のある蜂谷さんを頼ってきたが、生みの両親には子供が3人いる。蜂谷さんは、3人のうちの誰かを頼るよう生みの母親に話した。
生みの両親が近くにいながら、養父母に育てられ、2人を介護の末、看取った蜂谷さん。両親の介護は終わったが、いまだ成人した息子の将来を見通すことができないでいる。


介護しながら進学「わかってもらえず」 親は若年認知症

2021-04-05 13:30:00 | 日記

下記の記事は朝日新聞デジタルからの借用(コピー)です

 進学や就職、結婚、不妊治療や子育てなど人生の節目と介護が重なる人たちがいる。大学生の男性(26)は、自身が中学生の時、父親が65歳未満で発症する若年認知症と診断された。経済的な不安を抱えながら、独学で進学するしかなかったという。
中学から父介護 先生の一言で「相談やめよう」
 通信制大学に通う東京都の大橋尚也さん(26)は、共働きの両親と3人暮らしの家庭で育った。
 中学2年の時、当時49歳の父がアルツハイマー型認知症と診断された。
 診断を受ける前に父は家族に相談せず仕事をやめ、家にこもるようになった。母が働き続けて家計を支えたが、生活費をまかなうだけで精いっぱいだった。大橋さんは高校受験で都立高校1校のみを受け、なんとか合格した。
 間違ったことは許さない厳しさと優しさを併せ持つ父だったが、発症後は急に怒ることが増えた。「母の胸ぐらをつかんだり、僕に手を上げたりしたこともあった。認知症によるものだとわかってはいても、父がなぜ感情的になるのか受け止めきれず、苦しかった」。父のことを友人に話しても、認知症の症状について知らない場合も多く、思いを理解してもらうことは難しかったという。
 忘れられない言葉がある。高校2年の時のことだ。進路の相談で先生に、学費の安さを優先して進学先を選びたいと話すと、先生から「やればもっとできるのに、勉強しないことを親のせいにするな」と言われた。
 「家に迷惑をかけたくないという思いからだったが、先生は生徒としての僕を見てくれても、家族のことまでは見なかった。もう周りに相談するのはやめようと思いました」
 予備校には行かず独学で受験し、2浪して今の大学に入った。浪人中からスーパーでアルバイトし、家計を助けた。
 父は少しずつ症状が進行し、言葉が出づらく、食事やトイレなどで介助が必要になった。デイケアに通えなくなるなど、介護サービスを利用しながら自宅で暮らすことが厳しくなり、大橋さんが大学2年の時、精神科病院に入院した。
 その後、父はがんも発病した。入院や治療で経済的負担が増え、生活費のためのバイトで授業を休んで単位がとれないこともあった。
 父は2018年に亡くなった。大橋さんは6年かけて、来年の大学卒業を目指している。
 体を洗うのを手伝うために一緒に風呂に入ったり、夜中までサッカーの試合を見たり、認知症になってからの父と過ごした思い出もたくさんある。「進行する病気なので、父が診断されてから、いつまで一緒にいられるかを考えて、父のことを優先してきました。だから、後悔はしていません。ただ、お金の心配や周りにわかってもらえないつらさはずっと抱えていました」
不妊治療と両立 「できるか不安」
 介護と不妊治療の両立に苦心する女性もいる。
 大阪府茨木市の里村智恵さん(42)は、8年前に若年認知症と診断された母、芳(かおり)さん(70)の介護をしながら不妊治療中だ。
 夫(38)とは7年前に結婚。これまでは近所に暮らす母の介護と、司会業の仕事で手いっぱいだった。施設に通う母の朝晩の食事や身支度など、主な介護者は自分だ。母のことはいつも気になり「24時間、気が休まらない日々」が続いている。
 そんな中、昨春から夫が単身赴任に。「不妊治療のタイムリミットが迫っている」と強く意識するきっかけになった。早速、治療を開始。いまは受精卵を子宮に移植するタイミングを計っている。
 子どもを授かることになったら、介護と育児の「ダブルケア」になる。介護だけでも大変なのに、両立は想像がつかないし自信もない。そのため母のグループホームへの入居を考えている。施設に入れることに抵抗があったが「母が安心して過ごせる場所を作ることが何より必要。そして、介護のために自分の人生を犠牲にしたとは思いたくない」と心を決めた。施設で暮らす生活に少しずつ慣れるため、昨年12月からデイサービスに代わり、宿泊もできる小規模多機能型居宅介護を利用し、グループホームの空きを待っている。
 いつになったらホームに入れるのか。暮らす場所が変わり、認知症が進行しないか。子どもを授かれるのか――。不安は尽きない。
 行き場のない悩みを語り合える、オンラインのグループに昨年から参加し始めた。「働きながら介護する世代は、どこかに出向く時間を作りづらい。支援制度の情報交換の場としても役立っている」と話す。
子ども世代 ネットで発信 広がる支え合い
 立教大助教の田中悠美子さんは、親が若年認知症になった時、「経済的な困難を抱えるなど、自立する途上にある子どもが抱える特有の課題がある。結婚や、子育てと介護が重なるダブルケアになる場合、自身の生活とバランスをとることに悩む人もいる」と話す。田中さんは、若年認知症の親を介護する子ども世代のピアサポートグループ「まりねっこ」を運営し、リアルやオンラインでこうした人たちの交流の場をつくってきた。
 母が若年認知症と診断された大分県の会社員の男性(35)は主にオンラインでまりねっこに参加し、「同じように悩みながら介護する人の話を聞いて、抱えすぎず、自分ができることをやればいいと思うようになった」。大橋尚也さんも参加し、「父がいたから知り合えた仲間から、介護への向き合い方を学んでいる」という。


眞子さまが結婚に一途なのはチャンスは二度とないと知っているから

2021-04-05 11:00:00 | 日記

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こじれにこじれてしまった秋篠宮家の眞子さま(29)と小室圭さん(29)の結婚問題。天皇陛下は誕生日会見で「多くの人が納得し喜んでくれる状況になることを願っております」と述べたが、とてもそんな状況にはなりそうにない。

 週刊誌やネットニュースでは相変わらず、小室さんと母親に対するバッシングがやまず、2人を擁護したり応援する声は皆無に近い。

 巷間でも、「眞子さまのことを思えば、小室さんは身を引くべきだ」「あんな男と結婚したら必ず離婚する」――などとかまびすしい。

 では、眞子さまと小室さんの結婚問題はどうなるのか。もし眞子内親王が婚約を破棄するとか、あるいは結婚しても離婚するとしたら、近代の皇室が始まって以来の出来事だろう。その意味でも、今の皇室は危機的な状況にある。

 秋篠宮さまが、昨年のお誕生日前の記者会見で、「結婚と婚約は違う」という付帯条件つきながら、「2人が結婚することを認める」と述べられた。結婚は自由だから親として認めざるを得ないが、今の状況では皇室の正式な婚約である納采の儀を執り行うのは難しいということらしい。どちらかといえば勘当も同然の結婚容認だが、少なくとも今後は秋篠宮家から「結婚を認めない」とは言えなくなった。意志が強固で頑固だといわれる眞子さまのことだから、小室さんとの結婚が成就するまで諦めないだろう。

ただ、眞子さまが結婚したとしても、性格が合わなかった、小室さんの収入が不安定とかで離婚することもあり得る。離婚となればどうなるのだろうか。

 眞子さまの身分は「皇統譜」に記載されている。皇統譜というのは皇室の戸籍のようなもので、皇族の身分を定めている。民間人と結婚が決まれば皇統譜から除籍される。小室さんと結婚すれば、眞子さまは「小室眞子」となって一般の戸籍に移るわけである。

 ただしこの逆コースはない。つまり、もし離婚となれば、二度と「秋篠宮家の眞子さま」には戻れない。さらに民間人は国有地である赤坂御用地に住むことも認められない。一般の女性が離婚して実家に出戻るのと訳が違うのである。

「小室眞子」のまま生きるか、あるいは母親の紀子さまの実家である川嶋家の養子になるかは分からないが、どちらにしても丸腰になって生きていくしかない。

では、その後に再婚の可能性はあるのだろうか。ある皇室記者はこう言った。

「再婚の可能性は否定できませんが、かなりハードルが高いですね。まず、太陽だの月だのと、小室さんに熱烈なラブコールを送ったことは全国の人が知っています。次に現れる男性には気分がよくないでしょう。それに育ちから言って、普通の家庭に収まるのは無理です。お相手探しはかなり難しくなります。従って、小室さんに問題はあっても、ここまできたら結婚し、添い遂げるしかないでしょうね。眞子さまも内心では、ここで破局になったら二度と結婚のチャンスは巡ってこないと思っていらっしゃるのではないですか」

 詰まるところ、そういうことだろう。眞子さまにとっては、巡ってきたチャンス、二度とないチャンスなのである。

 外野が「結婚するな」「別れろ」と安易に口を入れられるほど、単純な問題ではないのだ。皇族の結婚相手探しがどのくらい困難なことなのか。


長生きをしたければ「コロナが心配だから」と外出を控えてはいけない

2021-04-05 08:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

長尾クリニック院長の長尾和宏さんは「新型コロナより、自殺の増加や生活習慣病の悪化、がんの発見が遅れるなどのコロナ関連病のほうが100倍心配だ」という――。
※本稿は、長尾和宏『コロナ禍の9割は情報災害 withコロナを生き抜く36の知恵』(山と渓谷社)の一部を再編集したものです。

長引く自粛生活により日本中の生活習慣病が増えている現実
コロナ太りやコロナうつ、コロナ疲れ……といった言葉がささやかれるように、今、日本中で生活習慣病や心の病気が悪化しています。それは紛れもない事実です。
私のクリニックでも、しばらく顔を見ていなかった患者さんが、糖尿病や高血圧といった持病をずいぶん悪化させて来院されることが多々あります。
アルコール依存、ニコチン依存、ゲーム依存、スマホ依存といった依存症も増えています。コロナ禍で仕事を失い、昼間からお酒に手が出るようになって、アルコール依存症で歩けなくなり、在宅医療を受けることになった患者さんもいます。まだ40代のアルコール依存症の方を、在宅医療で診ることになるとは思ってもいませんでした。
また、年輩の方のフレイルも急速に進行しています。
フレイルとは、虚弱のこと。要介護、要支援の手前の状態です。「フレイルを予防して健康寿命を延ばそう!」と国も力を入れていましたが、残念ながらコロナ自粛で家にこもっているうちに、筋肉が落ちて、ヨボヨボになっていく人が増えているのです。
筋肉が落ちるのは、手足だけではありません。ステイホームで人に会う機会が減った上に、常にマスクをして口を動かさないので、口のまわりの筋肉も衰えがち。そのため、噛む・飲み込む・話す力が弱くなる「オーラルフレイル」も増えています。
「コロナが心配」と検査を控え、手遅れになる人が激増する恐れ
そしてもう一つ心配しているのが、認知機能の低下です。「認知症パンデミック」ともいわれているように、外に出ない、人に会わない、歩かない生活が続くなかで、高齢者の認知機能はものすごく落ちています。
これらはすべて新型コロナウイルス感染症(以下、新型コロナ)という病気そのものが引き起こしたことというより、ステイホームを強いられたこと、「新型コロナは怖い!」と煽るマスコミが恐怖を植えつけたことなどによる人災です。
また、緊急事態宣言中には、緊急ではない内視鏡検査(いわゆる胃カメラ、大腸カメラ)は延期することになりました。鼻や口、あるいは肛門から管を入れて検査する胃カメラ、大腸カメラはコロナ感染のリスクがあるとされ、「緊急性のある場合のみ、実施するように」というお達しが学会から出されたのです。
そのため、緊急事態宣言中の約1カ月半の間、日本人に多い大腸がんや胃がんの早期発見のための検査はほとんど行われませんでした。実は検査だけではありません。がんの手術も、前年に比べて3~4割減りました。
これまでは年々右肩上がりで増えていたがんの手術数がガクッと減るとは、かなりの驚きです。日本人の死因の1位で、3人に1人ががんで亡くなっているなか、がんの検査も手術も減ったことによる余波はどうなるのか……。
がんの検査や手術だけでなく、緊急事態宣言中は健康診断や人間ドックも行われていませんでした。また、持病があったり、ちょっと気になる症状があったりしても「コロナが心配だから」と受診を控える人がいまだに多く、受診抑制や健診・検診抑制によって手遅れになる人が激増しているのではないかと心配しています。
「コロナ禍の9割は情報災害」だ
中国の武漢市を中心に新型コロナが発生したのが2019年12月、そして日本で初めての患者さんが確認されたのが2020年1月のこと。それから1年以上が過ぎた2021年3月中旬現在、8500人超の方が、新型コロナによって国内で亡くなっています。
「8500人も!」と思うでしょうか。
でも、毎年2万人が自殺で亡くなっています。糖尿病や高血圧といった生活習慣病を悪化させた先に起こる心臓病で亡くなる人は20万人を超え、脳卒中などの脳血管疾患は10万人を超えています。日本人の死因ナンバーワンのがんに至っては37万人です。
そう考えると、コロナうつによって自殺が増えることや、「コロナが怖いから」と家に引きこもったり受診を抑制したりして生活習慣病を悪化させてしまうこと、がんの検査や手術が減って早期発見ができなくなってしまうことなどを背景にした“コロナ関連病”のほうが、100倍心配です。そう、「コロナ禍の9割は情報災害」です。
新型コロナについては、この半年でわかってきたことがたくさんあります。日本人にとってはそんなに怖い病気ではないこととか、どんな人が重症化しやすいのか、どんなところで感染しやすいのかといった、怖がるべきポイントもわかってきました。
EBMでもNBMでもなく、WBMの時代へ
新型コロナウイルスは「新型」とあるように、人類が初めて出合った未知のウイルスでした。今は「エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)」といって、エビデンス(科学的根拠)にもとづく医療が大事だといわれますが、初めて経験することにエビデンスなんてありません。さらに、「ナラティブ・ベースド・メディスン(NBM)」といって、患者さんのナラティブ(物語)を大事にすべきだ、ともいわれます。
EBMもNBMもたしかに大事です。
でも、私は、今必要なのは「WBM」だ、と思っています。
「WBMってなんやねん!」というツッコミが聞こえてきそうですが、「ウォーキング・ベースド・メディスン」です。つまり、歩くこと。
お金持ちになることよりも幸せになることが大事、お金よりも心の豊かさが大事――。そんなふうに世の中の価値観が変わってきています。今回の新型コロナ騒動は、そうした世の中の変化をさらに後押しするものとなりました。
医療のあり方もこれから変わっていくでしょう。
人生100年時代なんていわれて長生きする人が増えているなか、健康で長生きしようと思ったらセルフケアが欠かせません。セルフケアとは何かといえば、基本になるのが歩くことです。「そう思い5冊もの歩行本」を書きましたが、本書は6冊目になります。
歩くことは自然免疫を鍛える一番の方法
また、新型コロナのような新たな感染症は、今後も確実に出てきます。そのときに頼りになるのは自分自身の免疫力、もっといえば「自然免疫の力」です。
本書の中で詳しく紹介するように、歩くことは自然免疫を鍛える一番の方法です。そして、歩くことは、体の健康だけでなく、心も豊かにしてくれます。
長尾和宏『コロナ禍の9割は情報災害 withコロナを生き抜く36の知恵』(山と渓谷社)
さらにいえば、コロナ禍で収入が減った人も少なくないと思いますが(私のクリニックも、一時は患者さんが半分になりました)、歩くのにお金はかかりません。一切お金のかからない確実な健康法なのです。
ウォーキング・ベースド・メディスンという言葉を使っているのは私だけだと思いますが、「歩くことが大事」という考えは世界的な潮流で、歩行と健康の関係について研究する研究者は増えています。そして、この数年の間に論文もたくさん出ています。
歩くことがベースになければ、食事療法も薬物療法も成り立たない。私はそう思っています。
これからはWBMの時代です。自分で歩いて自然免疫を鍛え、新型コロナはもちろんのこと、これからも出てくる新たな感染症をはじめとしたさまざまな病気に負けない体をつくりましょう!