大川隆法総裁法話「罪を許す力」より抜粋
よくよく考えてみるならばですね、自分自身で完全な人、完璧な人なんていないんですね。
また自分がそうでないように、他の人もまた完全でもないし完璧でもないんですね。
自分に求めることもできないし人に求めることもできないものですね。
その求めることができないものを求めて不完全な生き方をしていく人が、跡を絶たないんですね。
ですから「人間神の子、仏の子」という考え方はもちろん大事ですけど、
その反対においてですね、「不完全な生き物でもある」ということをある
程度認めなければいけません。
この世に生きている以上ですね、不完全さがあるんだと。
肉体を持って生きている人間としての不完全さはやはり残るんだというところですね。
霊的に完璧な存在としては生きることはできない。
この世においては数多くの抵抗の中を生きなければならない。
不完全にしか生きられないのだと。
不完全にしか生きられないからこそ、そこで失敗もあり挫折もあるけれども
反省もあり、学びもまたあるのであると。
他の人も同じように失敗もし挫折もしているけれども、また新しい気づきを得て立ち直り、
よりよい人生を生きようとしているんだと。
大事なことは完璧な人生を生きることではなくて、よりよい人生を生きることなんだと。
そういうふうに心に言い聞かさなければいけませんね。
「勉強や仕事がいい加減でいい」ということを勧めているわけではないんです。
魂的に霊的に自分を非常に責め苦しめてですね、夜も眠れないで苦しんでいる方が
いらっしゃいましたらですね、そういう「完璧な自分のみを求めてはいけない」と
いうことを申し上げたいんですね。
80パーセント主義でいいですから、とにかくとにかく生き抜きなさいと。
そして、よりよい人生を選びとることが大事ですよと。
完全な人生ではない。完璧な人生ではない。
欠点のない人生ではない。傷のない人生ではない。
また人格ではない。人間は神様ではない。
神様を目指している、仏様を目指しているが、神様仏様ではない。
この世に生きている以上苦しみながら、毎日毎日失敗を重ねながら生きているのである。
ですから「よりよく生きることを目指すべきである」ということを知らなければならないですね。
神仏の子であると同時にですね、またこの世においては不完全に生きている
不器用な生き物であることも知らなければいけない。
その不器用に生きている自分というものをまた認めなきゃいけない。
それも魂の修行、学校で学んでいるということにおいて許されているんですね。
そういうことが許されているわけですから、それに耐え忍び、
許す心が大事であるというふうに思うんですね。
完璧主義に苦しんでいる人へ【大川隆法説法集 Vol.3】
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