与国秀行
@yokuni77
今回、ご紹介する話は、とある黒人男性の臨死体験の話です。
人は必ず死にます。
そのために人は、死の下に平等です。
今日、100歳を迎えた老人も、今日、産声をあげた赤ん坊も必ず死にます。
そして人類の99.99%以上の歴史が、実は信仰の歴史であり、そして今も、人類の約7割以上が
何らかの信仰を持って霊の存在を信じいるように、霊は確実に存在しています。
未だ現代科学は、霊の存在を見つけられていませんが、だからと言って、「霊は存在しない」
という証明にはならないのです。
「霊は現実に存在している」、それはすなわち宗教の中で説かれている天国や地獄といった世界も、
おとぎ話ではなく、現実に存在しているということです。
肉体が滅んでも霊として生き続ける以上、人はこの世を去った、あの世の天国や地獄で生きていくのです。
つまり現代の科学者、特に数学者たちが、「この三次元世界を包み込むように、四次元、五次元、
六次元といった高次元世界は存在する」と述べておりますように、「この世を包み込むように、
あの世は確かに存在している、天国地獄は歴然としてある」、それが宗教家としての見解なわけです。
ですから地上を生きる人間が、天国や地獄の存在を否定して生きたとしても、確かに言えることとして、
天国的な心の持ち主は天国に、地獄的な心の持ち主は地獄に、それぞれ帰ることになる、という
法則は曲げられないのです。
だから自らの心が天国的か、それとも地獄的か、それをチェックする必要があるわけです。
そのチェックポイントが、神仏に対する信仰心であり、他者に対する与える愛の心なわけです。
信仰心無き、愛乏しき者は、たとえ自分では「私の心は天国的だ」と思い込んでいたとしても、
しかし肉体を去った時に、その地獄的な心に基づいて、必ず地獄に行くことになります。
だから信仰と愛が大切なわけです。
人生という一冊の問題集の中で、人の心は揺れ動き、どんな人にも試練は必ず訪れます。
そのために、昨日まで明るく元気であったのに、今日は心が暗くなり、重たくなり、ふさぎ込み、
心が地獄の方向に引っ張られていくことも、もしかしたらあるかもしれません。
しかしその時、その暗く重くなりかけた自らの心を、明るく、軽く、朗らかに天国的にしていく、
それが心の修行なのです。
今回、ご紹介する話は、とある黒人男性の臨死体験の話です。
— 与国秀行 (@yokuni77) April 18, 2023
人は必ず死にます。
そのために人は、死の下に平等です。
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