【三ヵ月の間、地上から姿を消された話】
仏陀が摩耶夫人のために3ヶ月間 帰天された際の仏伝



『仏昇忉利天為母説法経』について
釈尊が母である摩耶夫人のために忉利天に昇って説法をされた際の仏伝
【背景および内容】 あるとき、釈尊が周囲に告げることなく、忽然と祇園精舎から消えてしまわれ、三 ヵ月の間、天上界に行って説法されていたというもの。
その理由としては、当時、 「衆生が怠けていること」を知った釈尊が天界へと昇り、 「地上から姿を消すことで、 人々に対し、釈尊と法に対する渇望を起こさせよう」とするためだったという。 その三ヵ月間におこなわれた「天上説法」で釈尊は、摩耶夫人や神々に対し、「施 論・戒論・生天論」や「離欲」「四諦」などを説いたとされている。 この天上説法のあいだ、人間世界では「仏がいなくなった」と大変な騒ぎとなって いた。
侍者のアーナンダにも仏陀の行方がわからない。そのため、波斯匿王など各国 の王たちは、 「黄金でできた仏像」をつくり始めたほどだった。 一方で、弟子たちは、突如姿を消してしまわれた釈尊を渇仰しつつ、捜索にかかり 切っていた。しかし、天眼第一のアヌルッダであっても、仏陀の所在はわからなかっ た。かくして、三ヵ月の後、仏陀は天から降ることを決定され、神足の力を捨てられ た時、初めてアヌルッダの天眼にも、「仏陀が忉利天(三十三天)におられること」 が映ったという。それまでは、アーナンダですら「仏陀は、もはや涅槃に入った」と 憂慮していたが、この消息を聞いて、祇園精舎は一時に色めき立った。 その後、神足第一とされた目連が、衆生を代表して釈尊にお会いしに出かけると、 仏陀は目連に対し、 「今から七日の後に、サンカッサという都市の大池のそばに降る であろう」とおおせられた。この報告を聞いて、下界では、大勢の民衆が釈尊をお迎 えするために集い、諸王も兵を連れてやって来たため、地上は大混雑となった。 ちなみに、釈尊が忉利天から降ってこられる時に使われた天界と地上を結ぶ三種 の宝から成る階段は「三道宝階」と呼ばれ、その様子は「三道宝階降下」( 従三十三 天降下、従忉利天降下ともいう)として図像化もされている。
〈参考〉 『國譯一切 経―経集部 12 仏 昇忉利天為母説法 経』 、 「『従三十三天 降下』図の図像」 (肥塚隆 著)、 「DhammapadaAṭ ṭ hakathā におけ る『三道宝階降 下』について」 (岡 本健資 著)等
仏が三ヶ月後に戻る話:仏昇忉利天為母説法経(ぶっしょう・とうりてん・いも・せっぽうきょう)
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