ちょっと仕事ありました。
まァそれは良いんですが。
地元の図書館前の風景です。スゲー綺麗なイチョウの木。
ん?イチョウでいいんだよね?
植物には疎い。
しっかし、この母校の中学校から、大きな公園と図書館が並んで専門学校へと続くこのルートは中学校のときの帰宅路(なぜかよく帰りはこっちを通った。行きは違う道なのに)。
あの頃と大して景色は変わってないのに、当時はこういう綺麗な景色について、なんとも思ってませんでしたね。
たぶん皆そうでしょう。
ところで、中学のとき、松尾芭蕉の「奥の細道」を習って、それを自分で書くような事をやらされたよな。急に思い出した。
「修学旅行で見てきた景色をひとつ取り上げて、自分流『奥の細道』を完成させなさい」と。
しかも、「綺麗な景色を表現するのに、ストレートに『綺麗』という言葉は使ってはいけない」なんていう、意味不明な制約まであったのを覚えている。
いや、確かに「綺麗」以外の言葉で「綺麗」と表現するのは、表現力が試されるかもしれん。
でも、それって自由じゃね?
綺麗だと、素直に思ったことについて、なんで制約の中で表現しなくちゃいけないんだ?とか思ったものです。
しかも、中坊にしてみれば、十和田湖と奥入瀬渓流を見せられても、支笏湖+千歳川との差を見出せないし(今でも別に大した差はないと思う、まァどっちも綺麗だけど)、三内丸山遺跡を見せられても、どこまでが工事現場でどこからが発掘現場なのかもわからん。
そんな状況で、奥の細道を書けなんていうこと自体に無理があったよなァ、なんて思った。
そのくらい、風景とか季節とか、そういうものには鈍感だったんだなぁ
まァそれは良いんですが。
地元の図書館前の風景です。スゲー綺麗なイチョウの木。
ん?イチョウでいいんだよね?
植物には疎い。
しっかし、この母校の中学校から、大きな公園と図書館が並んで専門学校へと続くこのルートは中学校のときの帰宅路(なぜかよく帰りはこっちを通った。行きは違う道なのに)。
あの頃と大して景色は変わってないのに、当時はこういう綺麗な景色について、なんとも思ってませんでしたね。
たぶん皆そうでしょう。
ところで、中学のとき、松尾芭蕉の「奥の細道」を習って、それを自分で書くような事をやらされたよな。急に思い出した。
「修学旅行で見てきた景色をひとつ取り上げて、自分流『奥の細道』を完成させなさい」と。
しかも、「綺麗な景色を表現するのに、ストレートに『綺麗』という言葉は使ってはいけない」なんていう、意味不明な制約まであったのを覚えている。
いや、確かに「綺麗」以外の言葉で「綺麗」と表現するのは、表現力が試されるかもしれん。
でも、それって自由じゃね?
綺麗だと、素直に思ったことについて、なんで制約の中で表現しなくちゃいけないんだ?とか思ったものです。
しかも、中坊にしてみれば、十和田湖と奥入瀬渓流を見せられても、支笏湖+千歳川との差を見出せないし(今でも別に大した差はないと思う、まァどっちも綺麗だけど)、三内丸山遺跡を見せられても、どこまでが工事現場でどこからが発掘現場なのかもわからん。
そんな状況で、奥の細道を書けなんていうこと自体に無理があったよなァ、なんて思った。
そのくらい、風景とか季節とか、そういうものには鈍感だったんだなぁ