たまゆら夢見し。

気ままに思ったこと。少しだけ言葉に。

我が背子 大津皇子19

2019-01-03 15:30:55 | 日記
日々参政していく中で本当に民の役に立てているのだろうかと大津は思うようになった。

時に民の服装で、時に皇太子として民の暮らしを見ていくこととした。

建前と本音さまざまな事情が人々の心の背景を写し、それはまるで自分の行動ひとつに跳ね返っているようで自信を得たり、民の心に実情が届いていないと悲しみを覚えたりもした。

親を亡くし、親戚にも頼るあてもない稚児らも目にした。

満足な食べものも与えられず道端にうずくまって死を待つしかない児たち。

「腹が減っているのか」と民の格好をした大津が眠っている児に聴くとその他のある児が「そいつはもう死んでいるんだ。」と言い「ただ一人でいるのも寂しいと思って。」と悲しそうに言った。その後には数十人以上の児らが立っていた。

大津は礪杵道作に命じそこにいた児らをひきとり自邸の近くに住まわせた。
まず汚い身なりが病気の原因と身体をきれいに洗えるようにと山辺皇女や宮仕えのものは率先として手伝った。
力のないものには施しを与え元気のあるものには稲作の手伝い、新しい寺院の建立などがあれば進んで手伝わせいつでも暖かい寝床、食事も摂れるようにした。山辺皇女も嬉しそうに手伝い、とくに女児には機織りを教え飛鳥に来て初めて見せる顔でもあった。

大津も仏門に興味があるものには自身の師や顔見知りのものを頼り帰依させたり、武術に興味があるものには礪杵道作の部下に指導させた。

食事、洗濯、掃除、病人の看取り…ここにはいろんな学びや仕事があった。

「ここにいる児たちはこの国でほんの一握りであるのだろうなぁ。」と大津は思っていた。

大津…あの芳しき声でかの人が語りかけてきた。
会いたい…大津は「え。」と思わず声を立ててしまった。何かあったのですか、姉上…