goo blog サービス終了のお知らせ 

17年間のボッチ自宅介護を振り返る

1人で自宅で認知症の母親を介護、その間、父親も6年間の介護のすえ、どちらも家で看取る。その17年間はなんだったのか? 

ばあちゃんの「村祭」

2025-03-24 11:33:04 | 散策
先日、お彼岸の墓まりの後、以前から行ってみたいと思っていたところに行ってきた。

桜並木の続く川沿いの遊歩道を歩くこと1時間。桜はまだ全然だったけど。

ここかあ、なるほど。

ばあちゃんが童謡が好きだって、いつごろ知ったんだったか?

うちは音楽というか、音が根付いていないうちだった(その代わり、じいさんの油絵具の匂いなんかはあったが)。小さい頃から、ステレオ(死語か? 今なんて言う?)はあったし、ラジオはもちろんあった。テレビは家に来たのを覚えている世代だ(笑)が、当然よく見ていた。

子供は、時代のはやりのもものテーマソングなんかはよく口ずさんでいた。

でも、従弟(昭和40年代はじめ、東京の田舎では男の子が楽器は珍しかったか?)はエレクトロン(?)教室に行ったのに、うちは行かなかった。そいつが終わるまで、教室の入り口で待っていた(笑)。

中学の時、音楽の授業でレコード鑑賞するから、家から聞きたいレコード持って来い、となった。これはと思い、じいさんが買ってきた「男はつらいよ」のレコードを持って行った。はじめの「ぱ~ん」ってとこで、先生に止められた。

これはやくざ映画で教育的にけしからん、という事だったらしい。確かに、「やくざな兄貴、わかっちゃいるんだ」もんな(笑)。

なんだったらよかったのか。優等生は、クラッシック。他は、なんだったか、その時の流行りだったんだろう。そのどちらも縁がなかったのが私だ。

とにかく渥美清の美声は教室に響かなかった。

家事ついでに鼻歌ぐらい歌ったかもしれないが、ばあちゃんが、歌謡曲でもちゃんと歌うのを聞いたことがない。大正琴はやっていたらしいが、琴はなかった。残っていたのは爪、ピック?なんて言うのか、子供にはちょっと気味悪かった。

じいさんも、歌はうたわなかったし、私が小学校3年生ぐらいの時に、突然ギターを買って来たが、半年やったかどうか(笑)。

中学ぐらいが分かれ道なのだろうが、私は楽器に興味を持たなかった。もちろん、楽譜なんて読めない。

要するに音楽の芯がない。ばあちゃんが若い頃から耳が悪るかったというのもあるんだろう。

それが、ばあちゃんの認知症が進んでくるに従い、素が出てきたのか、ばあちゃんの童謡好きがわかってきた。

じいさんは知っていたのか、NHKでやっていた「みんなの童謡」を録画してディスクにしていた。

私も、DVDで出ていた4巻を買って、よく見せた。自分も、初めて知った曲が多かった。

その中に、あの「どんどんひゃらら、ぴーひゃらら(本当は、どんひゃらら)」の「村祭」がある。これは特別だ。ほとんどが、ばあちゃんの田舎の阿伎留神社の祭礼で撮影されているからだ。認知症が進んでも、これを見せるたび、「阿伎留神社、阿伎留神社」と言うと、わかるのか、「え、阿伎留神社?どこ、どこ」嬉しそうにしていた。

2002年9月に撮ったもの。DVDと同じころ。

ほとんどがどこで撮ったか見当がつく場所だった。だが、一か所だけ、ばあちゃんが子供の頃よく遊んだと言っていた「小庄の田んぼ」と思われるところが、どうも違ったようで、本当の場所がよくわからない。それが去年、ストリートビューを見ていたらわかったのだ。

そこが、ここ。


小庄の田んぼと同じ、川沿いに、こういう地形が多いようだ。一部は宅地化されいるが、まだ畑(田んぼはないか)もおおく残っている。いい所だ。

畑の中のこの独特の建築物が決め手だったのだが、どうもラブホテルらしい。


もう桜は咲き始めているだろうか。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。