先日、お彼岸の墓まりの後、以前から行ってみたいと思っていたところに行ってきた。
桜並木の続く川沿いの遊歩道を歩くこと1時間。桜はまだ全然だったけど。
ここかあ、なるほど。
ばあちゃんが童謡が好きだって、いつごろ知ったんだったか?
うちは音楽というか、音が根付いていないうちだった(その代わり、じいさんの油絵具の匂いなんかはあったが)。小さい頃から、ステレオ(死語か? 今なんて言う?)はあったし、ラジオはもちろんあった。テレビは家に来たのを覚えている世代だ(笑)が、当然よく見ていた。
子供は、時代のはやりのもものテーマソングなんかはよく口ずさんでいた。
でも、従弟(昭和40年代はじめ、東京の田舎では男の子が楽器は珍しかったか?)はエレクトロン(?)教室に行ったのに、うちは行かなかった。そいつが終わるまで、教室の入り口で待っていた(笑)。
中学の時、音楽の授業でレコード鑑賞するから、家から聞きたいレコード持って来い、となった。これはと思い、じいさんが買ってきた「男はつらいよ」のレコードを持って行った。はじめの「ぱ~ん」ってとこで、先生に止められた。
これはやくざ映画で教育的にけしからん、という事だったらしい。確かに、「やくざな兄貴、わかっちゃいるんだ」もんな(笑)。
なんだったらよかったのか。優等生は、クラッシック。他は、なんだったか、その時の流行りだったんだろう。そのどちらも縁がなかったのが私だ。
とにかく渥美清の美声は教室に響かなかった。
家事ついでに鼻歌ぐらい歌ったかもしれないが、ばあちゃんが、歌謡曲でもちゃんと歌うのを聞いたことがない。大正琴はやっていたらしいが、琴はなかった。残っていたのは爪、ピック?なんて言うのか、子供にはちょっと気味悪かった。
じいさんも、歌はうたわなかったし、私が小学校3年生ぐらいの時に、突然ギターを買って来たが、半年やったかどうか(笑)。
中学ぐらいが分かれ道なのだろうが、私は楽器に興味を持たなかった。もちろん、楽譜なんて読めない。
要するに音楽の芯がない。ばあちゃんが若い頃から耳が悪るかったというのもあるんだろう。
それが、ばあちゃんの認知症が進んでくるに従い、素が出てきたのか、ばあちゃんの童謡好きがわかってきた。
じいさんは知っていたのか、NHKでやっていた「みんなの童謡」を録画してディスクにしていた。
私も、DVDで出ていた4巻を買って、よく見せた。自分も、初めて知った曲が多かった。
その中に、あの「どんどんひゃらら、ぴーひゃらら(本当は、どんひゃらら)」の「村祭」がある。これは特別だ。ほとんどが、ばあちゃんの田舎の阿伎留神社の祭礼で撮影されているからだ。認知症が進んでも、これを見せるたび、「阿伎留神社、阿伎留神社」と言うと、わかるのか、「え、阿伎留神社?どこ、どこ」嬉しそうにしていた。

2002年9月に撮ったもの。DVDと同じころ。
ほとんどがどこで撮ったか見当がつく場所だった。だが、一か所だけ、ばあちゃんが子供の頃よく遊んだと言っていた「小庄の田んぼ」と思われるところが、どうも違ったようで、本当の場所がよくわからない。それが去年、ストリートビューを見ていたらわかったのだ。
そこが、ここ。

小庄の田んぼと同じ、川沿いに、こういう地形が多いようだ。一部は宅地化されいるが、まだ畑(田んぼはないか)もおおく残っている。いい所だ。
畑の中のこの独特の建築物が決め手だったのだが、どうもラブホテルらしい。

もう桜は咲き始めているだろうか。

小庄の田んぼと同じ、川沿いに、こういう地形が多いようだ。一部は宅地化されいるが、まだ畑(田んぼはないか)もおおく残っている。いい所だ。
畑の中のこの独特の建築物が決め手だったのだが、どうもラブホテルらしい。

もう桜は咲き始めているだろうか。
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