鹿児島市皇徳寺台のピアノ教室 坂井節子ピアノ教室            坂井節子のブログ

ピアノを弾いたり教えたりしている日常の中で感じたことを綴ります。

日本フィル2010

2009-10-29 10:40:32 | Weblog
コンサート情報です。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番:ソリストは小山実稚恵さん!
ご連絡いただければ、チケットを一緒に取りますので、遠慮なくご連絡下さい。
《日本フィルハーモニー交響楽団第35回九州公演》
●2010年2月17日(水)開演:19時(開場:18時15分)宝山ホール●
指揮:アレクサンドル・ラザレフ
ピアノ:小山実稚恵
曲目:チャイコフスキー
「戴冠式祝典行進曲」
「ピアノ協奏曲第1番」
「くるみ割り人形」ハイライト

チケット案内窓口(℡&Fax):099-814-4277

来年は、ショパン・シューマン生誕200年の年ですが、チャイコフスキー生誕170年の年でもあり、アルベニス生誕150年の年でもあります。
ピアノ協奏曲をまだ生で聴いたことのない生徒さん達にもお薦めです!

切手

2009-10-26 20:58:54 | Weblog
こういう切手は、つい沢山買い込んでしまいます。
“日本オーストリア交流年2009”
エリザベートやモーツァルトはもちろんですが、クリムト(1862~1918)と上村松園(1875~1949)が並んでいるところが、いいですね!

公開レッスン

2009-10-25 21:29:57 | Weblog
今日は、来月11月23日に行なわれる「ピアノ・オーディション」の課題曲による公開レッスンでした。
多美智子先生の熱心なレッスンを受けさせていただいた生徒さん、聴講した生徒さん、それぞれに沢山の気付きがあったことと思います。
どんな気持ちで弾きたい曲なのか考える。“心が動く”ことが大事。
どんな楽器のイメージなのか。どんな場面なのか。色合いを豊富に。
自分のイメージを人に伝えるには、語彙が豊富でなくては、きちんとした言葉でなくては伝わらない。本を読むこと、きちんとした日本語を大切にすることは大事。
拍を感じると音楽が生き生きしてくる。
デュナーミクは、自然な流れの中で。(音楽の流れを止めないで)・・・・・・等々。
さぁ、本番を迎えるまでにさらに完成度を上げることが出来るように頑張りましょう。
毎日の日常の中で育まれる感性とピアノを弾く技術との両輪あってこその素晴らしい演奏です、ご父兄の皆様のご理解とご協力がなくては順調なお子さんの成長はありません。ご家庭でのご協力をお願いしています。
いらして下さったご父兄の皆様、ありがとうございました。

ボクたちクラシックつながり

2009-10-18 22:06:55 | どこかで聴いたクラシック
来年度の企画の資料作りの為、図書館に出掛け、資料の為ではないのですが、たまたま目に止まった本●ボクたちクラシックつながり●青柳いづみこ著〈文春新書〉を読みました。
“のだめカンタービレ”に出てくるエピソードについて、著者がクラシックの世界の現状を踏まえて答えるという形式で書かれています。(“のだめ”は、TVで飛び飛びに見た位で、読んでいない私ですが、およそ推測出来ました。)
・・・音楽とどうしてもかかわり続けているのは、クラシックには離れがたい素晴らしさ・魅力があるから、おさえきれない音楽に対する愛情があるから・・・。
社会的なヒエラルキーは架空のものとなり、そういう意味での「上」は存在しない・・・クラシックっていいなという気持ちでつながることが出来るということが、ピアノを勉強する究極の目的・・・。
音楽でつながっているのは、一流の音楽家だけではない。多くの地元で活躍しているピアニスト達も、ピアノの先生達も、趣味でピアノを弾いている人達も、昔一生懸命練習していたけれど今はピアノから離れているけれどクラシックの名曲に心惹かれる人達も、みんな音楽でつながっている!・・・。

ショパンの命日

2009-10-17 22:47:34 | どこかで聴いたクラシック
金木犀のほのかな香りが何処からともなく漂い、秋の深まりを感じるこの頃です。
今日はショパンの160回目の命日。来年はショパン生誕200年。
内容の濃い本を見付けました。●レギナ・スメンジャンカ著“ショパンをどのように弾きますか? その答えを探してみましょう”●〈ヤマハミュージックメディア〉です。
まだ霧島国際ホール(みやまコンセール)がない頃の霧島国際音楽祭で、レギナ・スメンジャンカのリサイタルを聴いたことを思い出します。
“気高く高潔な精神”なくしてショパンは語れないとひしひしと感じたものでした。
勉強すればする程さらなる奥の深さを知り、愕然としたり、喜びが増したり・・・、さぁどんな発見があるでしょう!さぁどんな境地に立てるでしょう!
ショパン生誕200年は、再考の年。
時空を超えて愛され続けるショパンに感謝。

デュフィ(1877~1953)

2009-10-04 21:19:04 | Weblog
京都駅ビルの伊勢丹の中にある“美術館「えき」KYOTO”で、「デュフィ展」を観て来たと、姉から電話がありました。
「デュフィ」と言えば、“ブルー”。帆船と様々な色合いのブルーの海!
「デュフィ」と言えば、“プーランク(1899~1963)”。リズミカルで軽妙(フランスのエスプリの真髄!)なタッチと「色彩の魔術師」と言われた明るい画面から、私には、プーランクが聴こえて来ます!
デュフィは、フランス北西部セーヌ川右岸の河口に位置する“ル・アーヴル”(美しい港という意味)に、音楽愛好家の父母と9人の兄弟のうち2人が後に音楽家になるという音楽好きの一家に生まれますが、生計が苦しく、奨学金を得てパリの国立美術学校エコール・デ・ボザールへ入学したのは23歳の時でした。
その後、マティスなどのフォーヴィズムの影響を受けると共にキュビスムからも学び、明るい色彩感覚と躍動感溢れる独自のスタイルを確立していきます。
デュフィは、多くの芸術家や作家達と関わり、何千もの油絵・水彩画の制作に加えて文学作品の挿し絵も手掛け、1912年から1928年の間にビアンシニ=フェリエ社との仕事によって、ドレス生地やインテリア・ファブリックなどの数百点にも及ぶテキスタル・デザインの作品を手掛け、ポール・ポワレにも絶賛されています。
1942年頃から、スペインの偉大なチェリスト(1939年:フランスへ亡命)、パブロ・カザルス(1876~1973)との交流によって、“音楽”をテーマにした作品を多く描きました。「バッハへのオマージュ」「オーケストラ」「モーツァルトに捧ぐ」「赤いヴァイオリン」」「ドビュッシー頌」「コンサート」「黄色いコンソール」等々。
パブロ・カザルスは、「デュフィの作品を見ていると、その曲名までは解らないが、何調で演奏されているかは、一目で解る。」と言ったそうです。
人生半ばまでなかなか画業が認められず、生活も苦しかったデュフィですが、その作風から明るさが消えることはありませんでした。第二次世界大戦中の1943年から44年にかけては、ナチス・ドイツが、パリを占領し芸術家を迫害したため、スペイン国境近くの村に逃れて友人と暮らすのですが、そこでも戦争のことなど忘れたかのように、のどかな村の風景や友人たちとの語らいをデッサンに収めています。
やっとデュフィの芸術性が認められた頃には、リューマチを発病し、絵筆を握ることもままならない日々が続き、南仏やアメリカへの治療・療養を繰り返していました。
決して平坦とは言えない人生・・・、一見美しい色彩を使った平明な具象画に見えながら、語りかけてくるようなみずみずしい“花々”が、音楽が聴こえてくるような“色彩”と“線”が、私達に“生きる喜び”を伝えてくれる秘密はそこにあるのかもしれません。
(もう、使いきってしまいましたが、デュフィの“アネモネ”の便箋も好きでした。)
デュフィの言葉:「私の目は、醜いものを消し去るように出来ている。」:

来年度の企画

2009-10-01 23:03:15 | どこかで聴いたクラシック
10月に入りました。桜島の活動が例年よりも活発なことと風向きのため、灰が降る日が続いたり、いつまでも暑い日が続き、なんだか秋という実感が湧かないまま、9月が通り過ぎて行ってしまったような気がします。
10月は、来年度の企画決定の月。
2010年は、ショパンの生誕200年。続く2011年は、リストの生誕200年。メモリアルイヤーが続きますので、“ショパンとリスト”をメインに据えつつ、馴染みのある名曲をお聴きいただけるようにしたいと思っています。
ご要望やリクエスト、素敵なアイデアがあれば、お寄せ下さい。