ショパンは、マズルカを60曲近く作曲しています。ショパンの生まれた国であるポーランドの歴史を知り、ショパンの生涯を辿り、「ポーランドは、まだ滅びていない」で始まるポーランド国歌を聴いた時、何故ショパンが10代の頃から最後の時に至るまでマズルカを作曲し続けたか、理解出来た気がしたものでした。(ポーランド国歌はマズルカです。) ドイツ人であったけれども当時フランスでグランド・オペラの代表的作曲家だっマイヤベーアが、ショパンの弾く作品33-3のマズルカを4分の2拍子だと言った為に大喧嘩になったことや、ショパンも大変好意を持っていたピアニストであるモシュレスが、ショパンのレッスンを受けている娘が弾くマズルカが4分の2拍子に聞こえたと言ったということからも、ポーランド民族音楽の持つテンポ・ルバートによるマズルカの4分の3拍子は、当時のフランスの人々にとっても解りやすいものではなかったことが解ります。 ショパンは、間違ったテンポ・ルバートで演奏されることを避ける為に、作品24以後(1836
年以後)、楽譜にrubatoの指示を記すのをやめてしまいました。(作品67-3にrubatoとあるのは、この作品が作曲されたのは1835年だからです。)
マズルカではアクセントが2拍目あるいは3拍目に移動することが多く、独特のリズムに加えて、2拍目にアクセントがくる時音価をわずかに拡張したり、3拍目にアクセントがくる時2拍目との間にわずかに間合いを取ることが多いのです。
DVDなどで民族舞踊を見ると、跳躍や着地・ステップの変化・振り付けの変化がテンポ・ルバートと関連していることが解ります。 勿論、演奏するとなると、一曲一曲入念に紐解いていくことになりますが、これらの本やCD・DVDは、作品を理解し作品に近づくことを手助けしてくれる大切な資料です。
年以後)、楽譜にrubatoの指示を記すのをやめてしまいました。(作品67-3にrubatoとあるのは、この作品が作曲されたのは1835年だからです。)
マズルカではアクセントが2拍目あるいは3拍目に移動することが多く、独特のリズムに加えて、2拍目にアクセントがくる時音価をわずかに拡張したり、3拍目にアクセントがくる時2拍目との間にわずかに間合いを取ることが多いのです。
DVDなどで民族舞踊を見ると、跳躍や着地・ステップの変化・振り付けの変化がテンポ・ルバートと関連していることが解ります。 勿論、演奏するとなると、一曲一曲入念に紐解いていくことになりますが、これらの本やCD・DVDは、作品を理解し作品に近づくことを手助けしてくれる大切な資料です。