Lime so-da !

K村家の下宿人Nの雑記帳。働きながら、脚本の勉強をしながら、遊びながらのながら生活。

For good

2012-03-26 11:34:02 | 日記
GLEE (Kurt/Rachel) - For Good: from Wicked (Video)




ここのところずっとglee2を観ていた。
どのキャラクターも大好きで、特に男の子はどの人もとてもセクシーで大好き。
みているこちらまで楽しくさせてくれるドラマ。
そしていつも音楽に魅せられる。
今回ミュージカル「ウィキッド」より「for good」という曲がとても素敵だった。

そういえば「ウィキッド」ってabeさんがおしえてくれてたやつだなぁ~なんてのもあって、とても興味深かった。
ミュージカルのすごさをおしえてくれたのはabeさんだ。
彼女は今もイギリスで翻訳の勉強をしている。
いつか再会した時、今度は「glee」について話そう。

そして私は、glee2をみながら元気をもらっている毎日だった。
音楽は人を励まし、癒す力がある。そう思う。

「for good」という曲を聞いたとき、ストーリーはわからないが、心の中に響くものがあった。
ミュージカルの歌にはいつも真実が歌われている。
心の中の真実。生きる希望が描かれている。
今の私には、これまでの日々と新しい毎日の間で揺れる心があった。
受け入れていけない時間があった。だけど今は、少しずつ前へ進もうと思い始めている。
そんな人生もあるのだと受け入れていける気がする。
自分の今までを否定するのは嫌だ。誰が何と言おうと、それが自分の選んだ生き方であり、自分の歩んできた道なのだ。
だから自分の今までを否定したりはしない。その「今まで」をこれからの自分に生かしていくのだから。

傷ついている時こそ、人は真実を探したがる。
前へ進みたいと願うときほど、人は自分の全てを受け入れていこうと努力し始める。

そんな時そっと後押しをしてくれる。そんな歌に出会えたら素敵だと思う。



昔聞いたよ
人との出会いには意味がある
学ぶべきことがあると 本当かはわからない
でも今の僕があるのは
君に出会えたおかげ

風に流され 沖を漂う船のように
鳥に運ばれ 森に落ちる種のように
いい結末になるかは
誰にもわからない

でもあなたに出会えた
君に出会えた
生まれ変わることができた

太陽にひかれ 軌道を外れる彗星のように
森の途中で岩にぶつかる小川のように
誰にもわからない
それがいい変化かどうか

でも
出会いが自分を変えてくれた




2012-03-20 20:19:13 | 日記
今日は法事のため兵庫の家まで行ってきた。
食事は子供のころよく連れてきてもらった浜辺の近くだった。
部屋からは海が見渡せた。今日はとても天気が良かったので海はキラキラときらめいてとてもきれいだった。
子供のころはとても広く見えた浜辺も、実はそんなに広くなかったのだなぁと思った。
瀬戸内海の海はいつも懐かしいものを感じさせてくれる。
そしていつも穏やかで優しい。

遠くに船が浮かび
子供たちは砂浜で山をつくっている
誰かが潮干狩りをしている
海鳥たちはぷかぷかと仲良く浮いている

あーこんな景色、今まで忘れてたなぁ…
播州の独特の雰囲気が懐かしい気持ちを呼び起こす。
温かな春の日差しと
まだ冷たい風のなかでもう少しゆっくりと眺めていたかったけど、バスがでるとのことだったので後にした。

うまくいかないことや
どうしようもないこと
いろいろあるけど
ないよりましなんかなぁ?
なーんて思う。

子供のころ海で潮干狩りに夢中だったこと
クラゲを見つけては喜んでたこと
魚を捕まえたくてしょうがなかったこと

あの頃は楽しくてしょうがなかったなぁ…なんて悲しいこと思ってしまった。
でも、子供のころにしか味わえない楽しみの感覚ってあると思う。
大人になるともう味わえないもの。

十数年ぶり?20年ぶり?わかんないけど子供のころに見た景色を
人生の迷子のようになった私が再び見ているのも不思議な気がした。

なんだか今日は古ぼけた映画をみているような感覚の一日だった。






遠くで汽笛を聞きながら

2012-03-18 21:59:52 | 日記
遠くで汽笛を聞きながら


職場がリニューアルオープンしたことや、覚えなきゃいけないことがたくさんあること。
毎日はあっという間に過ぎていくのに
ふと気付くと心はまた出口のない迷路をさまよいだす
あーもう、またかよ!

顔の調子は相変わらずで
こないだ先生に、「朝起きたらイメージしなさい。」といわれた。
朝起きたときやリラックスしている時は右脳を使っているらしく、自分のイメージを実現可能に向かわせるのに効果があるらしい。
私の脳みその中で、「麻痺した部分は動かないもの」とされているところを、「動く」ことをイメージすることで脳が刺激されるのだとか。

実際のところ「あともうすこしなんだけどなぁ」と思うときと「あんなにがんばったのにこれだけか…」と思うときがある。
ストレスなんていつ溜まっているのかも実はよくわからない。
今溜まってるのかな?って思うけどそういう時は意外と大丈夫で、気が付かないときに何かが少しずつ溜まっていく気がする。

顔は本当に治るのかどうかはわからないけど、まぁ、何もしないよかなんかしたほうがいいよなと思うようにしている。
しかし、2年連続医療費控除の申請をしたが、毎度自分の医療費に驚かされる。
実家暮らしでないと辛い額だ。

最近、この病気についてふと気が付いたことがある。
要するにこの病気は私に「たくさん笑え」ってことなのかもしれないと思うようになった。
高校生の時、先生に「K村はもっと笑え。」といわれたことがあった。
「君は笑ったほうが素敵だよ。」といってもらったことをいつも心にとめていたのに、ふと気がつくと私は笑ってないことが多い。
それどころか、笑うことを忘れているなぁ、と思うことすらある。
つまりこの病気は「笑顔忘れてますよ。」っていう心と体のサインで、忘れてたぶんを取り戻すまで完全には治らないんじゃないだろうか…なーんて考える今日この頃。

とりあえず、暮らして行こう。
そして今、この曲うたいたい。




一年

2012-03-11 22:29:12 | 日記
かりゆし58「このまちと」


今日は職場で黙祷をした。
黙祷をするとき、ふと祖母のことを思い出した。
8月6日の朝、広島の祖母は1人静かに黙祷をする。
子供のころ、何をしているのかと尋ねたら黙祷だとおしえてくれた。

震災から一年。
いろいろ考える…。

昨日は東本願寺で行われたイベントにいってきた。
かりゆし58のライブ、良かった!

東北からは仙台教区の仏教青年会の人たちが自分たちでデザインしたTシャツや缶バッチを販売していた。
私は缶バッチが好きなので4個ほど購入。
4個購入したら1個おまけでくれた。

同い年くらいの人たちがいたので「みなさんは東北からですか?」と聞くと
岩手や福島、宮城といった被災地からだった。

Tシャツや缶バッチの収益は原発の被害にあっている人たちにあてられるのだとか。
デザインもかっこいい。
面白いことやってる人たちと会うと嬉しくなる。

震災から一年。
もっともっと自分の世界を広げていきたい。だれかとつながっていきたい。
そして自分の世界を自分の手で切り開いてみたい。
そう思う自分がいる。


仙台教区の仏教青年会(真宗大谷派)の「立ち上がれ自分!」サイト
→http://namaste.digick.jp/tatiagare/index.html


父と行く上海旅行~その2~

2012-03-02 10:44:09 | 旅行
上海に着くと空港で添乗員がお出迎え。
同じツアー客を待って車でホテルへ。
その間父は運転にびっくりしたらしく、ホテルに着いたころには「あーこわかった。」とつぶやいた。
上海の運転は本当にある意味素晴らしいドライビングテクニックだと思う。
私の父は結構運転が荒く、スピードを出す傾向があるのだが、その父が「怖かった。」というのだから相当だ。
ちなみにこの上海では移動がほとんどタクシーなので父はそのたびにドキドキしたらしい。

私はといえば、少々驚いたものの、タイでもこんな感じだったし、エディンバラでも交通事情は結構驚いたのでまぁ、こんなもんではないだろうかと思っている。日本が一番安全だ。
なにより、道路を横断する上海人たちの根性には驚かされた。無謀横断もいいところだ。
車がブンブン走っている間を縫って、すれすれのところで立ち止まり、次の車の川を渡ろうとしているのだ。
信号機もあってないようなものだった。
なので車にのっている最中、窓に人の姿が至近距離で映るので驚いたことが何度かある。
見慣れないところに人が立っているのでドキッとしてしまう。
しかも本人は別に困っている様子でもなく突っ立っているのだ。
それも含めてある意味、なにかのアトラクションを体験していると思えば割り切れるだろう。後は事故にあわないことを祈るだけだ。

ホテルはオークラに泊まる。
本当はリョーさんが滞在しているアパートに部屋をとってもらう予定だったが、父が見つけたのはホテルオークラのプランだった。
中国人スタッフが日本語を話すので、最初は違和感があったが、すぐになれた。
あとあと、これは初上海の私と父にとっては大変ありがたかったと思う。

ホテルにチェックインし、部屋に荷物をおいた後はりょーさんがロビーまで来てくれた。
一緒に夕飯を食べに行く。
私は父の食事が心配だった。父は食事の幅が狭く、好き嫌いが多い。
そのくせリョーさんが「どんなもの食べたいですか?」と聞いたら「なんでも食べれます。」とかいうので
心の中で「うそつけー」と叫び、「父は香草とか辛いものとかが無理です。最初なので体に優しそうなものでお願いします。」というとリョーさんは「火鍋にしましょう。」といった。
タクシーに乗って、下町の「火鍋」料理を食べに行った。

店は大繁盛。
店内はかなりにぎやかだった。
また、驚いたのは客が来店しても反応が薄いことだ。
しかも店員さんの見分けがつかない。みんな普段着で働いており、たばこを吸っていたりするのでお盆ややかんを持っている人が
おそらく店員さん。
「服務員!」
とリョーさんが声をかけると席に案内され、乱雑に食器などが用意された。
食器はコップやお椀やお皿がパッキングされて出てくる。
「このパックを破った時点で料金が発生するからな~。」とのこと。

火鍋とは日本でいうしゃぶしゃぶを想像してもらえばいいと思うのだが、まさにそれの上海バージョンだ。
マトンやら野菜やらを鍋に入れて超濃厚なごまだれで食べる。
父はマトンとか食べれるのだろうか…
とドキドキしていたら気にいったらしく、「おいしい。」といって食べていた。

食事中、パリーンという音とともに店がちょっとだけ緊迫した雰囲気に包まれた。
振り返ると喧嘩が始まっている。
やがて男が1人羽交い絞めにされ店の外に出されていくのが見えた。
大した喧嘩ではないらしく店はまたすぐににぎやかになったのだが、数分後、公安が事情聴取に来ていたのでびっくり。
まぁ、そんなこともありながら上海到着の夜は過ぎていった。