小さな佐渡に書いたコメント
田切須のバラ園に行ってみようと思ったのですが、たどり着けませんでした。農作業をしている方に聞いたら、バラの時期になると案内がでるそうです。4回目のバラの時期にその立て札がでるかどうかはわからないとのこと^^;
医王寺って、母親の実家がやっぱり「イオウジ」だった(格式だけが高かったので、檀家がいなかったとかで、もうとっくにない)ので、聞いてみると母の実家のお寺(といっても、もちろん寺の住職さんとは血のつながりは無い)は医の字が難しい字だったそうです。
そういえば、親王とかが書いた12巻の巻物を上野の寛永寺に渡しにいったことがありましたねぇ。母が父親から「何かで手放さなければいけないときがあったら、寛永寺に引き取ってもらうように話がついているのだから、くれぐれも他のところに流れるようなことがあってはいけない」とかいうようなことを言い聞かされていたそうです。寺跡なんで、いろんなものがあったそうなんですが、あの巻物だけはそうしろって。私はその寺跡を継いでるわけじゃないので、しょっちゅうそんなことを言われても困るわけなんですが、こりゃ、寛永寺に渡さないまま母が亡くなってしまったら、祖父と母の無念が残りそうだと思ってイヤでしたねぇ。渡してきてホッとしました^^;
こんなこともあったそうです。埼玉に住む方が、いく晩も続けて夢を見ると連絡があったそうです。それで、私の祖父にあたる人が床板をめくったら縁の下から聖徳太子の像がでてきたそうな。そこで、箱を作って納め鹿伏の観音寺に預かってもらっているそうです。ちなみにその像、聖徳太子が彫ったんじゃないかと言われているそうです。不思議なこともあるもんですね~・・・