
事実、俺の人生にとって政治学は何の役にも立たず、専攻とは何の関係もない仕事に従事して数年前に還暦を迎えたのだが、あの頃学んだはずの政治思想史をまったく理解していないまま馬齢を重ねたことは、ちょっとした心の棘になっていた。だからこの本を本屋で見かけたときは迷わず購入してしまった。
「日本左翼史」は、戦後から現在までの日本の左翼の歴史を時系列に俯瞰する対談もの。三冊で構成されており、それぞれの内容は以下の通り。
「真説 日本左翼史」戦後左派の漂流 1945-1960 (2021年6月刊行)
序章 「左翼史」を学ぶ意義
第一章 戦後左派の巨人たち
第二章 左派の躍進を指示した占領統治下の日本
第三章 社会党の拡大・分裂と「スターリン批判」の衝撃
第四章 「新左翼」誕生までの道程
「激動 日本左翼史」学生運動と過激派 1960-1972 (2021年12月刊行)
序章 「六〇年代」前史
第一章 六〇年安保と社会党・共産党の対立
第二章 学生運動の高揚
第三章 新左翼の理論家たち
第四章 過激化する新左翼
「漂流 日本左翼史」理想なき左派の混迷 1972-2022 (2022年7月刊行)
序章 左翼「漂流」のはじまり
第一章 「あさま山荘」以後
第二章 「労働運動」の時代
第三章 労働運動の退潮と社会党の凋落
第四章 「国鉄解体」とソ連崩壊
終章 ポスト冷戦時代の左翼
池上彰はテレビでおなじみの有名人だし、佐藤優はかつて「外務省のラスプーチン」と呼ばれた博識の怪人物なので、この両者の対談ならば、複雑怪奇な戦後日本の左翼の歴史を、きっと俺のような人間でも理解できる程度にわかりやすく解説してくれるだろう。しかも池上彰は全共闘世代としてその時代のうねりの中にいた人だし、俺とほぼ同年代の佐藤優は社会党の下部組織である社青同に在籍していたというから、期待を持って読み始めた。
第一巻(真説)は、戦後のGHQの統治下で合法政党として活動を再開した日本共産党の話から始まる。ソ連の影響を強く受けて教条主義的な共産党に対して、労農派らが大同団結して結成されたのが日本社会党。フルシチョフによるスターリン批判でソ連に対する幻想が揺らいで共産党が失速したのに対して、寄り合い所帯だった社会党は左派と右派に分裂したりしながらも、東アジアの不安定化を背景に党勢を拡大して55年体制が出来上がる。そして三池争議や60年安保闘争によって政治の季節を迎えるところまでが描かれている。
第二巻(激動)は以下のような歴史が語られている。60年安保闘争を契機に学生運動が盛り上がったが、共産党の前衛思想への失望から新左翼が生まれ、かたや社会党が学生運動に対して友好的な関係を持ったために、結果として社会党の下部組織から新左翼の人材の多くが輩出された。60年代後半に大学紛争が始まって学生運動は隆盛をきわめたものの結局挫折して終息していったが、一方で新左翼は過激化して、よど号ハイジャックや連合赤軍事件・あさま山荘事件を起こし、とうとう一般市民から見捨てられて自滅した。
第三巻(漂流)は新左翼が自滅してから現在までの歴史を駆け足で振り返っている。学生運動は衰退したが、国鉄に代表される労働組合によるストライキが頻繁に行なわれ、学生に代わって労働組合による活動が盛んになった。だが70年代から80年代にかけて日本が豊かな消費社会になるにしたがって労働運動も衰退し、社会党も失速し始めた。そしてソ連の崩壊によって左翼はトドメを刺される。冷戦終結後の歴史についてはかなり端折っているが、そもそも語るべき出来事自体があまりないので当然と言えば当然か。
三冊に亘る書物を読み通すのはなかなかヘビーだったが、これだけの複雑な左翼の歴史を考えるとコンパクトに総括できており、当初の期待を裏切らない内容だったと言える。
それにしても、戦後から現在に至るまでの日本の左翼の情けないこと。ソ連を理想的な国家と夢想してコミンテルンを絶対視していた時代があったことは致し方ないとするにしても、その後にスターリン主義の実態が見えて化けの皮が剥がれてもなお無謬性を疑わない無邪気さは罪だろう。結局、共産主義とは観念の世界であって宗教と同じだから、信者になってしまうと現実が見えなくなるのだろうか。しかも理念先行型の人間ほど自分と異なる考えに対して排他的になりがちだから、内輪揉めを繰り返し結果として敵を利することばかりやってきたのではないか。
現実の共産主義・社会主義国家で共産社会を実現した国はひとつもない。それどころかどの国も独裁国家になってしまったのは、マルクスが唱えた共産社会へのプロセスの過程でプロレタリアート独裁を認めているから。未だにプロレタリアート独裁の先のステップに進めた国はないのだ。共産社会が決して実現しない架空のものであることはソ連という壮大な実験が失敗に終わったことで明らかだよな。
佐藤優はまだ左翼思想に一縷の希望を持っているようだが、俺はそうは思わないな。共産主義は20世紀に賞味期限を終えてしまった思想だと思う。もちろんまったく無意味だったとは言っているのではなくて、少なくとも強欲な資本主義を修正させたという意義はあったし、社会民主主義的な考え方は今でもまだ有効なのではないかと思うが、とにかく暴力革命や一時的にせよ独裁を容認する思想は駄目だろう。一度権力を握ったら手放さないのは人間の本性なのだから。
俺はノンポリ学生だったけれど、子供の頃に見聞きした学生運動、およびそれに付随した反体制的なカルチャーにはちょっとした憧れみたいなものを感じていたので、左翼に漠然としたシンパシーを持っていた。その気持ちは次第に幻滅に変わっていったのだが、このように整理されたかたちで左翼の歴史を通読したことで、若い頃の垢を少し落とすことができたような気分になれた。
尚、少し前にこのシリーズの第四弾となる「黎明 日本左翼史 左派の誕生と弾圧・転向 1867ー1945」が刊行されたが、俺の目的は最初の三冊で果たされたので読んでいない。
(かみ)
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