ありがとう、の言葉も、感謝の気持ちも「心の底から」のものしか響かないし、届かないのかも知れない。
派手さなんかいらなくて、、ただ、心を込める、ただそれだけが大事なことで、、。それ(心を込める)をすることで、どんな(目に見えるもの、見えないもの、全て)ものも、本来持つべき力、を持つ事になるのではないかな。 、、と今朝の行で、いつもの大好きな木を見て感じました。、、木に感謝、、杜にありがとう、空の美しさに感動、、など、自然がワタシタチに下さっているものの大きさを思えば、、本来人間が、当然持つべき心、であるはずなのだけれど、、アルキハジメルマデその心を忘れていた。全く気にも止めることもなく、当たり前のように、、。気づかせてくれた全てのものに、心から、感謝しながら、毎日の行きを続けている。
派手さなんかいらなくて、、ただ、心を込める、ただそれだけが大事なことで、、。それ(心を込める)をすることで、どんな(目に見えるもの、見えないもの、全て)ものも、本来持つべき力、を持つ事になるのではないかな。 、、と今朝の行で、いつもの大好きな木を見て感じました。、、木に感謝、、杜にありがとう、空の美しさに感動、、など、自然がワタシタチに下さっているものの大きさを思えば、、本来人間が、当然持つべき心、であるはずなのだけれど、、アルキハジメルマデその心を忘れていた。全く気にも止めることもなく、当たり前のように、、。気づかせてくれた全てのものに、心から、感謝しながら、毎日の行きを続けている。
前置きが長くなりました。記憶に由れば5年生頃だったと思います。夜の9~10時頃の時間帯に森重久弥の番組恐らく20分間ぐらいのもの)に続いてセント・パウロ教会の放送が有りました。これも短い15分位のものでしたが、思い出したのは、その番組の最後の部分で流れて来る言葉です。
『心に愛が無ければ、どんなに美しい言葉でも、相手の胸に響かない』
と云う一節。これを言いたくて長々と書いてしまいました。私は完全無宗教ですので、この言葉はキリスト教と結び付けるという事は有りませんが、わずか11~12歳の頃から人生の中に取り入れていました。一つのものの見方をラジオから学びました。
そんな事を改めて思い出させてくれたのが、今日の記事だったのです。私の見の周りには直接自然に触れるという環境は有りませんでしたけれど、TVやラジオなどと云ったものから、(勿論音楽からは多大な影響が有りました)人生を学んでいた様です。
まあ、その後紆余曲折しながら、現在の私が存在しているのですけどネ。旅(旅行では有りませんよ)の暮らしを通した今、出来れば自然の中で幼少期を過ごしたかった・・・と、どうしようもない運命の様な事を、考える事も有ります。
あらら、今夜の私は少し、大分変。
まあ、たまにはこんな日も有ります。
「杜の精」に憑り付かれたかな?
四行目 森重久弥⇒森繁久弥
ウム、、そのradio番組、わかります!覚えていますとも!そして、その言葉、、。ほぼ毎日放送されていたので、無意識のうちに、心に入り込んでいたのです、わたしも。離れた場所で同じ番組を同じ空の下で聞いていたのですね。
たしか、心の灯火、という番組でしたよね。、、ああ、何だかわたしも、junneさんからのお手紙で、様々なことを、思い出してきました。テレビより、断然radioっ子だった私、、。当時は、特に気に止めることもなく、聞き流していたようでも、意外に心に刻まれている言葉がありますね、、。
わたしの、何気ない、でも、心は込めて書いているブログを読んでくださり、そのようなことを思ってくださるなんて、、本当に嬉しくありがたく、、、。これからも、よろしくお願いいたします。
それながらも、、やはり、私はjunneさん御自身の今昔、がとても 気になります。
どうして「心の灯火」を聴いていたの~? まさか、まさかの驚きですよ。あんな半世紀以上も前のラジオ放送を聴いていた人が出現するなんて、「三丁目の夕日」をそっくりそのまま目の前に突き付けられた思いです。まさに Oh My God そのもの。
ラジオっ子でしたのなら、ちょっと私も記憶の糸を手繰ってみましょう。当時の番組を。
L盤アワー、S盤アワー、9.500万人のポピュラー・リクエスト、土井勝の「真夜中のリクエスト・コーナー」、ロイ・ジェームスの音楽番組、電話リクエスト(後のハロー・ポップス)、FEN(Far East Net-Work=立川基地の駐留軍放送)・・・などが音楽関係でこう云ったものが中心だったみたい。他では「月光仮面」、「赤胴鈴の助」なんて言ったらウソっぽくなるね。「1丁目1番地」、何故かこの番組の主題歌は今でも覚えています。
♪ ちょっと失礼、お尋ねします
ここらは何丁目何番地
あちらの角のポストから こちらの橋のたもと迄
みんなの町です、楽しい町です
1丁目一番地
昨日も今日も また明日も
ニコニコ笑って明け暮れる
ここは1丁目、1丁目1番地 ♪
でした。 この当時は子供向けの番組が余りなかった様に記憶しています。もっとも私の場合、音楽番組ばかりを聴いていたので、他に有っても聴かなかったか、記憶に浮かんで来ないのかもしれませんが・・・。
私の今昔(こんにゃく)⇐ここ、笑うとこネ、に付いての何が気になるのかなあ? いたって平々凡々な生活でしたよ。んんん、でもないのかなあ !?
一つ紹介させて頂くと・・・こんな事が有りました。
「無口で口下手」で内気だった・・・のは確かで、それが全ての始まりだったのだと思います。
例えば簡単な小噺し、『隣の家に囲いが出来たね、へ~(塀)』と云ったもの。これを誰かが言うと笑が出るけれど、私が言っても誰も笑わない。一事が万事、そんな調子だったのです。幼な心はとても傷付いた・・・のだったと思います。そこで私は「それならそれでいい、もう何も言わないから」と云う風になって行きました。しかしですねえ、そんな幼少期に有っても、「何かを言いたい。精神に浮かんだ感情は隠せはしない」と云う思いのはけ口を無意識に探していたのでしょうね。いつしか気が付いたら私は音楽の世界の中に取り込まれ、思った事を『書きとめる』と云う生き方を見つけていたのです。その二つの事は全くの無関係ではなく、起こるべくして起きた事でした。「書く」事は音楽と結びつき、『詩・詞』の世界へと私を導き、自己表現を可能にさせてくれたのでした。言葉とメロディー(音楽)が私の基礎となって行ったのです。そこには当然の事として「初恋」から始まる秘めたる想いの具現化が大きな要素として加わって来ます。
書く事に付いて付加しておくなら、中一(13歳)になってすぐに始めた文通が挙げられます。二十歳の夏迄の凡そ7年4か月同じ人(北海道・比布の女の娘)と続けていたのですから。
う~ん、どうしても私のコメントは長文になってしまいますねえ。他の人達の様に4~5行で終らせようとは思っているのですけれどもね~。
まあ、とりあえず、「こんにゃく物語り」は、こんなところです。 誤字を発見したら、温かな心で「改字」をして読んで下さいね。
オシマイ。