かみかみの徒然草

たっぷりの笑いにちょっぴりの涙と怒りをスパイスに、毎日を心豊かに生きよう~

本日ハ欠勤ナリ

2006-02-07 16:06:30 | 健康
昨日、無理がたたったせいか、今朝方お腹を壊してしまい、会社に行ける状態じゃなかったので本日は欠勤です。
熱は下がったものの、お腹は完全復活とは行かず、吐き気は相変わらず・・・・
おととい夜間診療所で貰った薬が残っていたモノの、風邪自体は治ってる気がするので、薬飲むのをやめ、以前別の病院で貰っていた腹痛の特効薬に切り替えた。
案の定、効果テキメン!!
会社にも診療所があるものの、契約社員は正社員ではないため、ここの診察が受けられず、ちょっと具合悪いくらいでは何もしてもらえない・・・・
そんな契約社員たちが密かに頼りにしている病院が会社の近くにある。
会社からちょっと歩くと、老舗船会社のクラシックなビルがあるが、その中の一室にその病院がある。
病院というにはあまりにも小さく、どちらかと言えば、会社の保健室みたいにも思える。いつ来ても、患者さんがしょっちゅう来てるわけではないので、採算取れてるのか余計な心配をしてしまう・・・
待合室のソファはソファと言うにはあまりにも小さすぎて座るのもままならないくらいである。(モチロン、他のイスもきちんと用意されている)
そして、診察室に通されるとそこにはおじいちゃん先生がいて、診察室にはなぜか文庫本と小さな水槽が置かれている
病院というには何とも不思議である。

でも、具合が悪くなると、何はともあれ、ここの病院に行くことにしている。
去年、一番大事な時に高熱を出してしまい、どうしても仕事に行かなければ行けなかったとき、早く診察してくれるところということで、地元の駅前病院はソッコーパスして、初めてここの病院に行った。
地元の病院は朝一番で行っても待たされるため、職場の近くであれば、待たされることはないだろうと思って行ったのだが、思った以上に良かった。
オフィス街の中なので、患者さんはほとんど居ず、私とあと一人くらいだった。
診療受付を済まして10分以内で診察室に通された。
最初、おじいちゃん先生だったので、ちょっとぶったまげましたが、病状を詳しく話したら「季節外れのインフルエンザですね」と即答。
「本当は検査も必要だと思いますが、明らかにその症状が出ています。お金もかかるし時間もかかるので検査は省略します。」と・・・・
曖昧な診察で終わるのが当たり前のような地元とは違い、
ここのおじいちゃん先生の診察は何ともキッパリしていてほぼ正確(だと思う)。
そして、腹痛の時も、効果的な薬をくれる。
「しかるべき薬を飲んで、悪い菌を殺して出してしまわないと治るものも治りませんよ」と。
インフルにかかった数日後、年度変わって私は部署の異動を余儀なくされたが、ここの係長(大恩人です!)が気さくな人で、焼き肉に誘ってくれた。
その二日前にお腹を壊してしまってさあ大変!焼き肉が食べられなくなることに危機感を抱いた私はまたここの病院のお世話になった。
四日分の薬を貰ったが、一日で完治。無事に焼き肉も完食しました(←オイ!)
風邪でお腹を壊すことは時々あったのですが、薬がなくなるかなくならないかの微妙なところでようやく治ることが多かったので、ここの薬の効果の高さはかなりのものです。
ベトナム行ったときも、この薬のおかげで、食中毒も最小限に食い止めることが出来ました。でも、残りわずかだったので、まだ保険が使えるということもあり、予備の薬を貰いに行きました。
「東南アジアはどうしても食中毒は避けて通れないからね・・・何度か行けば免疫は出来ますよ」と笑っておりました。

それにしても、ここの病院は不思議である。
お世辞にも患者さんは多いとは言えないのに、薬はしっかりしたものが常備されていて、案外しっかりしたところであったりする。
だが、船会社の福利厚生施設と考えれば納得出来るところもある。
おじいちゃん先生は昔、ここの船会社の客船の船医をしていたのだろう。
医者というには変に偉ぶってるところもなく、変なしがらみに縛られることもなく、飄々としている。ダンディズムすら漂っている。そして、オシャレである。
ブラック・ジャックの影響かもしれないが、船医とは、変な組織に縛られず、目の前の問題に純粋に取り組むことを許された自由人という認識がある。そして、仕事上、外国を渡り歩くので、粋なところもあったりする。
甲板の上を走り回る姿が想像出来る。若い頃は粋な美男子であったことが容易に想像出来る。

船の上だと、場所も限られており、時には検査器具も足りないこともあったりするのだろう。その場で判断をしていかなければいけないことも沢山あったのだと思う。
おじいちゃん先生から、悠長に「様子見ましょう~」というセリフが出ることはない。
その場その場で的確な診断をし、その病状にあった薬をしっかり出す。
年をとり、海から陸の生活を余儀なくされたが、船医としての職人魂と誇りは今もなお、健在である。