OMKSRU's monologue

なにはともあれ、生かされているうちは頑張らねばと、思いつつも・・・。

H君

2010-01-12 17:25:37 | 飼い人の友達
 飼い人が外出したのでPCを使う。
今日は睡眠不足も甚だしい。
ここのところ毎晩、チープスリルが聞こえていたけれど、昨夜は、なんたらチューブでだみ声のこのおばさんが、メルセデスを買ってくれと神様に向かって大声で叫んでいた。


a href="http://www.youtube.com/watch?v=C-GFqhCq2HA">Janis Joplin - Mercedes Benz

安眠妨害だ、まったく。

これまでの経験から推し量ると、我飼い人は、気分の滅入った時に、自分自身を鼓舞する目的で、このおばさんの歌を聴く。
今度は何があったのかしらん。

昔、酒に酔った飼い人が、このおばさんのレコードについて語っていた事がある。本人は忘れてしまっているかも知れないが、私は良く覚えているので、ここに書いてしまおう。
ご心配なく、飼い人は犬語を理解しない。だからして、ここに書いても、彼には読めやしないのだから。


H 君

1970年、大学受験に失敗して、我飼い人は地元で浪人生活に入っていた。
この年の秋口、彼の親友から一通の長い手紙が届いた。
親友、小中高と同じ学校に通い、近所に住んでいたこの男も同様の一浪の身なのだが、この友人は(この先H君と呼ぶ)
はるか遠く東京の地で、上野の油を目指して勉強?していた、・・・筈だった。
高校三年の二学期を終えるとすぐに東京に昇り、そのまま卒業式にも帰らずに、木炭と食パンと羽根毛とを振りかざし、狂気の日々を過ごしていると誰もが疑わなかった。

H君は恋をした。
美しい言葉で書こう、H君は大人の恋をした。(吉田拓郎 / 青春の詩)青春の詩 吉田拓郎 歌詞情報 - goo 音楽そのものだった。
そして悪い事に初めての恋が、「大人の恋」だった。

長い手紙にはこうあった。

「この一年、女神(これは原文どうり)と過ごしてきた。めくるめく幸福感に包まれ、なぜもっと早く東京に来なかったのかと悔やまれた。冬の寒さも夏の暑さも、僕らには何者でもなかった。ラスト・タンゴ・イン・パリのように二人でお互いの存在を確かめあった。

(中略)-長々とのろけ話が続くのでー
    ー二十枚程の手紙の最後の一枚にー 

三日前、彼女がアパートを出て行った。理由は分からない。何故なのか、どうして。理由が知れず、頭は混乱して身体は震え続けている。もう一日も耐えられない。Sよ、世話になった。この手紙を投かんしたら、ウイスキーを飲んで、何か好きな曲を聞きながらホースをくわえることにした。悪いな、それでは。」

消印は二日前、速達だった。
飼い人は、東京在住の口の堅いもう一人の友人にすぐさま連絡を取り、彼自身も何とか金を工面して、東京へ向かった。彼の家族は、彼がどこに行ったのか知らなかったそうだ。
電話連絡は取れなかった。東京の友人がアパートを訪ねても、応答はなかった。人の気配も無かったという。

八重洲口で待ち合わせ、中央線に乗り換えて高円寺へと向かう。南口から商店街を抜け、歩いて十分位の所に、H君のアパートはあった。案の定返事はない。大家を探そうか、どうしようかと近くの喫茶店で思案し、一時間ほどして再度階段を上ってみると、二階中に響き渡るジャニス・ジョプリンの叫びが聞こえたそうだ。

そのときのジョプリンがこれ。「チープ・スリル」



H君は、郵便局からの帰り道、秋晴れの日差しに包まれた時、身体の中にふわふわとした癒しの啓示を感じたのだという。

結局、思い悩むよりも、大事は自ずと小事へと漸近する。

今となっては酒の肴の笑い話ではあるが、青春そのものの清々しくも切ない思い出である、との事。

それ以来「チープ・スリル」は彼らの癒しの定番となったらしい。
しかしその寿命も、一年足らずだった。

1972年、ジョプリンの遺作となる「パール」の出現とともに、その座は取って代わられた。

           

 最終的に、 二人の出した結論は、「こっち(パール)のほうが、なんかカッコいい、元気もでそうだし・・・」だったという。

このようにして彼らの間で抗鬱用には「パール」だ、というコンセンサスが成立したという。

微笑ましいというか、アホラシイというか、何ともはやなお話である。でも、若いとは良いなぁ、飼い人もH君も追憶の中にあの瞬間を惜しんでいる事だろう。

という事で、
今回はH君の話。次回は、そうJ君の話をしようか。

お楽しみに。

ところで、「チープ・スリル」にも「パール」にも(MOVE OVER)は入っていないよね?僕はあれが一番好きなんだけれど・・・。