私の記憶と感性 そして 下書きのない日記 №52

多可が50 去れども半世紀の人生で この三百六十五段の湯けむり漂う
町に来てからの記憶と感性です

★語り伝える一分      史実を 伝える 人々 が・・・

2015-09-25 17:57:07 | 日記


戦後70年 日々失われていく今 私は あらゆる写真と話しを集めています

昭和20年8月6日 午前8時15分 広島上空にB‐29エノラゲイ号から原子爆弾リトルボ‐イが投下されました
    8月9日 午前11時02分 長崎に原子爆弾ファットマンが投下されて15万人が虐殺されました

被爆当時 広島には約35万人の市民や軍人がいたと考えられています
これは 住民、軍関係者、建物疎開作業に動員された周辺町村からの人々などを合わせた数字です 
朝鮮、台湾や中国大陸からの人々が含まれ その中には強制的に徴用された人々もいました
また 少数の中国や東南アジアからの留学生やアメリカ軍捕虜などの外国人も含まれていました
原爆によって死亡した人の数については、現在も正確にはつかめていません
しかし 放射線による急性障害が一応おさまった 昭和20年(1945年)12月末までに約14万人が死亡したと推計されています
爆心地から1.2キロメートルでは その日のうちにほぼ50%が死亡しました
それよりも爆心地に近い地域では80~100%が死亡したと推定されています
また 即死あるいは 即日死をまぬがれた人でも近距離で被爆し傷害の重い人ほどその後の死亡率が高かったようです



原爆投下直後の広島市と原爆ド‐ム



私がこの作品を書こうと思った一枚の写真です



原爆の高熱で住宅の外壁に焼き付いた人影



爆心地が400m離れた所のカボチャとトウゴマ



昭和34年の広島市と原爆ド‐ム

今もアメリカの市民は 広島、長崎の原爆投下を半数近くの人が当然の作戦であり正当な行為だと言っています

当時の原爆より数百倍の核ミサイルを日本に何発も向けている中国が日本の玄関を抉じ開け土足で入り込もうとしている
今 沖縄 北は北海道を欲しくて仕方のない火事場泥棒ソ連の現状を知り 憲法9条改正は 憲法違反だ何て言っている
左巻きの日本人 日本の政治をしない馬鹿な党 政治家たちに言いたい
憲法9条を大事に大事にした不利をして国を亡ぼすのかい・・・
憲法9条は 第一次世界大戦終決直後にフランスで特区に用いられて第二次世界大戦でフランスは 
ドイツに速 無条件降伏をして居ます憲法9条は 世界で昔から使われている 大義名分憲法です・・・
憲法9条で戦後70年日本に平和が有ったなんて誰に聞いたのですか
何所の国の夢物語ですか

s10683726@ybb.ne.jp

★この作品は 観覧人数三位から二位に成りまして 難う御座いました
 





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