今日午後14時42分、大分合同新聞の報道によれば、
「九州北部に停滞した梅雨前線に伴う豪雨で、1日午後6時半ごろ、由布市湯布院町の岳本川上流部分で土石流が発生し、川が氾濫した。市によると一時、6世帯8人が近くの公民館などに避難したがけが人はいない。2日早朝から市職員や消防団員が被害状況を確認し、金鱗湖周辺の旅館や土産店の関係者と一緒に駐車場や道路の泥をかき分けるなど復旧作業に追われた。
市災害対策本部によると、同川沿いの1棟が半壊、2棟が床上浸水、6棟が床下浸水した。2日午前11時現在、1世帯2人が公民館に避難。上流の由布岳山麓の山林が崩落しており、県道別府湯布院線付近の同川は上流から流れてきた石や木に流れをせき止められ、道路などに流れ込んだとみられる。大分地方気象台によると、同町の6月30日の降り始めから2日午前9時までの総雨量は120ミリ。土石流が発生する前後の1日午後5時からの2時間は71.5ミリを記録していた。
町内川上はあふれた水や土砂で覆われ、泥水はメーンストリート「湯の坪街道」の一部や金鱗湖まで達した。金鱗湖に向かう市道の一部は通行止めとなった。
浸水被害に遭ったレディースホテルプチ湯布院の原田明久代表(72)は「夕食を取ろうとしたら突然停電になり、一瞬のうちに腰の高さまで泥水が入ってきた。宿泊客は2階の部屋で一晩過ごしてもらったが、1階にはまだ水は残っていて、しばらく営業はできそうにない」と落胆した表情で話した。」とあります。
レディースホテルプチ湯布院さんの横の川は、幅1.5mにも満たないような水路だったのですが、水の勢いの凄さ、自然の力強さにただ驚かされてしまします。それにしてもけが人が一人も出なくて幸いでした。
ところで川北地区にある下の天満宮は、寛喜3年(1231年)に大友親秀により創建されたと石光天満神社由来沿革に記されています。
また、鳥居には「元禄六癸酉年」と刻まれています 。1693年ですから結構古い鳥居が現存していることになります。刻字もようやく読取れる程度にまで傷んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/6b/eb7edbc20ed77d88419ea6dca9c72804.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/40/9d24a51877cec66b0e2f96ed4eb8e634.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/b6/86b723776143148a3107f984034b7b39.jpg)
由布見通り「六所宮」鳥居近くにて。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/13/9fb58a94dc3b3d0a2ff10b09917587e2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/66/1c5ea1296ce7a295bdeb35d14835f8ef.jpg)
ザクロもこうして見るとグロテスクですね。
「九州北部に停滞した梅雨前線に伴う豪雨で、1日午後6時半ごろ、由布市湯布院町の岳本川上流部分で土石流が発生し、川が氾濫した。市によると一時、6世帯8人が近くの公民館などに避難したがけが人はいない。2日早朝から市職員や消防団員が被害状況を確認し、金鱗湖周辺の旅館や土産店の関係者と一緒に駐車場や道路の泥をかき分けるなど復旧作業に追われた。
市災害対策本部によると、同川沿いの1棟が半壊、2棟が床上浸水、6棟が床下浸水した。2日午前11時現在、1世帯2人が公民館に避難。上流の由布岳山麓の山林が崩落しており、県道別府湯布院線付近の同川は上流から流れてきた石や木に流れをせき止められ、道路などに流れ込んだとみられる。大分地方気象台によると、同町の6月30日の降り始めから2日午前9時までの総雨量は120ミリ。土石流が発生する前後の1日午後5時からの2時間は71.5ミリを記録していた。
町内川上はあふれた水や土砂で覆われ、泥水はメーンストリート「湯の坪街道」の一部や金鱗湖まで達した。金鱗湖に向かう市道の一部は通行止めとなった。
浸水被害に遭ったレディースホテルプチ湯布院の原田明久代表(72)は「夕食を取ろうとしたら突然停電になり、一瞬のうちに腰の高さまで泥水が入ってきた。宿泊客は2階の部屋で一晩過ごしてもらったが、1階にはまだ水は残っていて、しばらく営業はできそうにない」と落胆した表情で話した。」とあります。
レディースホテルプチ湯布院さんの横の川は、幅1.5mにも満たないような水路だったのですが、水の勢いの凄さ、自然の力強さにただ驚かされてしまします。それにしてもけが人が一人も出なくて幸いでした。
ところで川北地区にある下の天満宮は、寛喜3年(1231年)に大友親秀により創建されたと石光天満神社由来沿革に記されています。
また、鳥居には「元禄六癸酉年」と刻まれています 。1693年ですから結構古い鳥居が現存していることになります。刻字もようやく読取れる程度にまで傷んでいました。
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由布見通り「六所宮」鳥居近くにて。
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ザクロもこうして見るとグロテスクですね。