オカズ釣師の戯言

自らの行動を考える。

眠りに落ちるのが恐怖

2006-12-27 00:58:17 | 不整脈
病気の続き,,,(9)


もうずいぶんと過去のように思える。この夏、死ぬかも知れないと恐れた7月のことが,,,。

大学病院で告知された翌日、東京出張だった。
東京で、友人に「大丈夫!頑張れ!!元気になって神津に来いや!!!」と励まされた。嬉しかった。

テノーミンを飲み始めたら、不整脈はほとんど出なくなった。
まぁ、勤めてゆっくりしていたのもあるが,,,。
このまま薬で抑えていけば、アブレーションなど受けなくて良いのでは?とも考えた。
ちょっと落ち着いたので、WebでICD、不整脈、心室細動を調べる。
かなりショックだった。特にICDに関する治療について。
「手術室で、何度も心停止したとか、辛さに気を失うと医師にたたき起こされるとか」
見てると不整脈が起こる。
心臓は、心の臓器なのだなと改めて思った。
それ以来、見ることはしなくなった。

それでも仕事は行ってたよ。薬が良く効いてたから。
電車が怖かった。
今、心室細動が起これば死ぬなっとそんな考えが過ぎる。
それと家族が寝て夜1人になるのが怖かった。
眠りに付くまで、色々と考える。良くない事ばかりが浮かぶ。
だから、本当に眠くなるまで床に付くのが嫌だった。
少しのビールで眠気を誘うことも良くやった。

そんな7月3日の深夜。
AM2時でも眠れない。
Wサッカーを見てたら、不整脈が始まった。
緊張しながら、収まるのを待つ。
ドドッ、ド、ドドッ、ドっていうリズムが乱れる期外収縮だ。

今ならあれほどパニックにもならないだろうが、当時は、「自分の不整脈は突然死する」と思っていただけに恐怖との戦いだった。

それまで続いていても5分だった不整脈がこの日は止まらない。
1時間、2時間、3時間経っても。
発狂しそうだった。
薬が飲みたい。朝に飲んでから、何時間経つ?
もう飲んでもいいだろうか?

AM5時、堪らず救急車を呼んだ。
待っている間に、テノーミンを服用。
5分後、サイレンが鳴り響き、救急車到着。
自力で乗り込み心電図を取る。嫁さんが付いてきてくれる。

当然のように不整脈は起こっている。
脈拍42。
隊員曰く、PVCで突然死の危険性がある不整脈ですとのこと。
万が一に備えて、ACD(電気ショッカー)が用意され、病院が検索される。
幸い掛かっていた大学病院が受けてくれた。
それまでの時間の長いこと。

病院に着き、硬い緊急治療台に乗ると、安心と薬で収まった。
収まると特にやることが無いのが不整脈。
そのまま外来を予約して、自宅に戻った。
仕事を休ませていただき、外来で診察を受ける。
掛かっていた不整脈の先生は、当番ではなかったが、心臓内科の先生に診てもらう。
「気絶してないなら大丈夫。アブレーションまで持つと思うよ!」こんな説明だった。
気休めにもならない。

翌日、主治医に見てもらう。
説明は同じ。
アブレーションを出来る限り早くしてくれと懇願し、緊急用の薬を貰い、自宅に戻った。
それまで、セカンドオピニオンを取るつもりだったが、不整脈が止まらないとあっては、そんな余裕ない。
「頼みますから、お願いしますから」からと言う気持ちだった。

その日の深夜、再び不整脈が起こる。
1時間しても止まらない。
AM2時、即効性(インデラル)の薬を飲む。
収まる。
寝不足でフラッフラッなので、布団に入る。
眠りに落ちる瞬間,,,“ウワッ”と飛び起きる。
眠りに落ちるのが怖いのだ。
何度も「気絶したことは?」と聞かれているもんだから、「気絶したらヤバイ」と思ってしまっている。

そうこうする内に薬の効き目が切れたのか、再び不整脈が起きる。
もうパニックである。
薬は、脈を下げすぎるから連続して飲むなと言われている。
でも不整脈は止まらない。
再び救急車を呼んだ。
救急車の中のやり取りは、前回同様。
ACDを用意され、大学病院までの道のりは長い。

今回は、処置室でも不整脈は起こっていた。
しかし、そのまま様子を見ることに。
病院にいて安心したのと朝になったので、不整脈は治まった。

医師との相談の上、経過入院することになった。
病院の中でなら、安心して夜眠れるだろうか!?


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