りゅーたろっく・ぶろぐ

ギタリストRYUTARO(葉狩 隆太郎)のblogデス!

愛。

2007年09月26日 00時48分20秒 | Weblog
今まで自分は長年、周りの方に対して“好き”か“嫌い”かだけで判断してきていたと思います。

でも、“好き”な中にも、例えば、惚れた女性に対して“恋してる”と“愛してる”は全く別のモノなのだなという深いところに最近気付けてきたような気がします。

そういう点に対する、あやふやな疑問はしばらく前から抱いていましたが、ハッキリ気付かせてくれたのは7月7日に出席した親友の結婚式での聖書からの一文でした。



以下、引用させていただきます。



コリント人への第一の手紙13章1節~13節

「たとい私が人々の言葉や、み使い達の言葉を語っても、もし愛がなければ、私はやかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。

たといまた私に予言する力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、私は無に等しい。

たといまた私が自分の全財産を人に施しても、また、自分の身体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。

愛は寛容であり、愛は情け深い、また妬むことをしない。

愛は高ぶらない、誇らない、無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みを抱かない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。

愛はいつまでも絶えることがない。

このようにいつまでも存続するものは、信仰と希望と愛である。

この三つの中で最も大いなるものは、愛である。」



深いなと思いました。

そして、自分は今まで誰のことも愛せてはなかったんだなと気付きました。



自分では凄く愛しているつもりでも、オレは寛容でなく、妬むし、いらだつし、信じないし、耐えないし・・・

って、全然あかんやんっっっ!(笑)



でも、ホントそんな感じでした。

相手を思いやれてなかったなと。

それは異性に対しても、一緒に音楽やっていたメンバーに対しても、応援してくれていたファンのみんなに対しても、です。



みんなゴメンなさい。



だから、これからは、まぁ、人間いきなりガラっと変わることは出来ないかもしれませんが、しっかりと相手を思いやる“真の愛”を心に置いて生きていきたいと思います。



そう考えるとホント気持ちが楽になりました。

“今”は長い愛の道程のほんの1ページに過ぎないんだから、そこに答えを求めるのは愚かなんだとね!



みんなアリガトウ!!!!!!!

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