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ギタリストRYUTARO(葉狩 隆太郎)のblogデス!

僧職系ギタリスト!?

2015年04月18日 16時40分18秒 | Weblog
Hey!!

ずっと公にはしてなかったのですが、とはいえ隠してるワケでもなかったのですが、このままだと一生ずっと知る人ぞ知るという状態になってしまうので(笑)、今回、良い機会なので書きます。

4/8から10日間、京都に行ってきました。
そして浄土真宗 本願寺派の教師という資格を戴いてまいりました。

僧侶としての僧籍は2年前に得度をし頂いておりましたので、今回は僧侶としての活動の場をさらに広げるための知識と教養を学ばせて頂いてきました。

いやー、ハードすぎる10日間でした(笑)。
しかし、人生の中で非常に貴重な10日間でありました。



お釈迦様が説かれた仏教のみ教えと、それをさらに深くお広げ下さった浄土真宗の御開祖である親鸞聖人のみ教えは、現代社会の様々な苦の中でこそ光り輝くものであると強く信じております。

誰もが抱える苦悩を、誰をも平等な智慧と慈悲の光でお救いくださる阿弥陀様。
ワタシも救われた1人であり、そしてその救いの光りに気付かずにいる人たちにしっかりお取り次ぎができるよう、信念と自覚を持って歩んでいく所存であります。

親鸞聖人は800年前に、お念仏の教えを貫くために非僧非俗という当時の社会の枠組みから超えた立場を取られ、仏道を歩まれました。

立場的にも思想的にも、「枠組みを外す」というコトは仏教の重要なポイントであります。
その親鸞聖人の御人生を範として、ギタリスト僧侶として頑張って歩んでいきます!



仏教って、「難しそう」とか「暗そう」ってイメージがありますけど、全然そんなことないんですよね。
あと、「亡くなった方のための供養のもの」とか「死後のこと」とか、まあ、確かにそういう側面もあるわけですけど、仏教は「いま生きているワタシ」のためのものです。

特に浄土真宗は根拠のない迷信(日の善し悪しやら占いなど)やご祈祷などの御利益を求める行為をバッサリぶった切ってます。
そんな、今風に言うと心に対してストイックなトコロがまた大好きなのでありますが。

宗教というと「危ない」とか「金儲け」とか、そんな印象が強くなってしまっている現代ですけども、生まれてきた限り必ず死ぬのは間違いないワタシたち人間と宗教(宗教観)は切っても切り離せない関係です。
まっすぐ純粋な信仰というものをお伝えしていくコトも自分の使命と思っております。



今まで、神も仏も信じないし関係ないと思い、また自分だけ良ければ良いと乱暴な生き方をしてきてしまったワタシですが、こんなワタシであるからこそ仏さまはお救いくださったのだと領解しております。
この仏縁を喜び、平和な社会の実現に向けて仏道を歩ませて頂きます。

ワタシは音楽をするうえで「自分の音楽を通じて勇気を感じてもらいたい」と、誰かの力になりたいという想いを一番にしておりました。
その「誰かの力になりたい」という意味では音楽を創り奏でるコトも、僧侶として仏法を拡めるコトも全く同じでございます。

ですから、コレを読んで下さっている方で、何かお困りのコトや悩みなんかがありましたら、ワタシでよろしければ聞かせて頂きますのでなんでもぶつけてくださいね!



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罪障 功徳の体となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さはりおほきに徳おほし

親鸞聖人『高僧和讃』
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この和讃、一番好きです。
「氷が大きければ、その氷が溶けたときの水も多いように、ワタシたちも煩い悩む心が大きければ大きいほど、お救い頂けた歓びも大きくなるのである」という内容でしょう。

同じ意味では『正信偈』にも
「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」
とありますね。

今までもがき苦しんできたワタシの人生は全て無駄ではなく、ココに至る大切な糧だったのですね!



以上、御報告でございましたm(_ _)m

これまで通りのギタリスト葉狩 隆太郎としてに加え、僧侶 釈巧弦(しゃく ぎょうげん)としても何卒宜しくお願い致します。



さぁーて。
10日間も音楽から離れていたので作業いーっぱい溜まってます!
ギターも練習しなくては!!

でも、今日だけはのーんびり過ごさせてもらいますぅー★



なお、写真は浄土真宗 本願寺派の本山である本願寺です!



ではでは!!
ばいびー!!

なもあみだぶつ♪

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