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深刻な脅威である と書かれています

2012年03月06日 00時55分10秒 | 世界情勢他
 


 「櫻井よしこの今週のオピニオン」
中国 北朝鮮へのコメ支援の見返りに日本海沿岸の港を確保
NEWS ポストセブン 3月2日(金)16時6分配信
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120302-00000022-pseven-int


日本の運命を決する最大の課題は、
中国と正しい関係を結べるか否かの一点に尽きる。

即ち、中国の脅威に正しく対処出来るか否かである。

中国は全方位で影響力を強め、広げているが、
二月上旬に明らかになった北朝鮮への接近はとりわけ巧みである。

北朝鮮事情に詳しい人物の情報によると、
中国は北朝鮮に百万トンのコメ支援を約束し、二月十日までに届けたという。

そして見返りに、北朝鮮の日本海側の最北の港、
羅津に新たな埠頭を建設し始め、租借する契約も結んだという。

韓国の聯合ニュースは二月十五日、
中国が羅津の四~六号埠頭の建設権と五〇年間の租借権を取得したことに加えて、
投資規模は三〇億ドル(二三五六億円)だと報じた。

この記事は、中国が北朝鮮と東北三省(遼寧、吉林、黒龍江)と羅津を擁する
羅先地域の共同発展に向けた羅先特区基盤施設建設契約を、
金正日総書記死去の前後に結んでいたと報じている。

契約は二〇二〇年までに第一段階として羅津港に七万トン規模の四号埠頭、
旅客機と貨物機の離着陸が可能な飛行場、
吉林省図們と羅先を結ぶ鉄道を建設するという内容だとも報じた。

羅津港の五、六号埠頭の建設は第一段階の工事終了後に始める計画だという。

一方、日本の「朝日新聞」は二月十七日、
中国は、コメに加えて重油五〇万トンの支援も約束した旨、報じた。

羅津港は一九三〇年代初期に日本が作った港である。
そこに中国はすでに〇五年に手を延ばし、同港の埠頭を六〇年間、租借した。

租借は普通の賃貸ではない。
租借権を得た国は、その土地、港、建物などを主権に基づいて活用出来る。

中国は羅津の埠頭で統治権を行使出来るのであり、
事実上、羅津港はこれから少なくとも半世紀の間、中国領同様に、
中国によって活用されるという意味だ。

〇五年時点で中国は史上初めて日本海への
直接アクセスを手に入れたのであり、そのアクセスはさらに強化されつつある。

眼前で進行中の事実は日本にとって、このうえなく深刻な脅威であるが、
日本政府も私たち国民もこうしたことを明確に認識しているだろうか。


中国のコメ百万トン支援は、金正恩体制の下で北朝鮮が
さらに中国側に吸引されつつあることを示している。

羅津港で中国が新たに得る三つの埠頭の租借権は、
日本海への中国進出が拡大していることを示している。

さらにいえば、羅津港を出てすぐ目の前にある佐渡島と新潟の双方に
中国がより深く踏み込み、地歩を固めつつあるということだ。





日本にとって、このうえなく深刻な脅威である
と 書かれていますが

この事実、ご存じでしたか?

日本の どのマスコミが 報道しましたか?

国会において、問題に なっていますか?




もう、いいかげんに 大改革しなければ
手遅れに なりますよ。

やっぱり 脅威だった
という事態に なってからでは 遅いです。




それから、東日本大震災から 間もなく一年ですが

今年は、去年の震災よりも もっと酷い年になるかもしれない
という声を 何度も聞きます。




私は、マイナス思考ではないですが

実際に、この一年 日本のあちこちで
何度も 震度5クラスの地震があり

状況を冷静に 考えても
もう何が起こっても おかしくないのでは と思います。




何か 起こるかも?と 過敏すぎるのも よくないですが

情報や知識があれば、被害や混乱を 少なくできますし
備えあれば憂いなし です。




3月4日に 下記の記事を 読みました。




 コンビニ生活に警鐘 非常食、使いながら備蓄する習慣を
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120304-00000507-san-soci


仙台市青葉区に住む、ベターホーム協会の料理教室講師、今野敬子さん(63)は、
混乱が収まるまでの間、あるもので食をつないだ一人だ。

「自宅にあった食材をチェックし、日持ちのしないものから順番に使うようにしました。
買い物をするため、長蛇の列に並ぶことはありませんでした」

直後は水や熱がいらない、そのまま食べられるクラッカーやチーズなどを口にした。
ショックで、食欲も湧かなかったという。

3月16日に電気が復旧し、普通に調理ができるようになると、
買い置きしておいた乾物や乾麺、真空パックのお餅などが役立った。

冷凍庫で保存してあった手作りの料理にも助けられた。
今野さんは、ミートソースやラタトゥイユなど、一度にたっぷり作って、
冷凍しておく習慣があった。

「ミートソースはパスタだけでなく、ゆでたジャガイモにのせたりして、
いろいろと活用できた。日頃から、時間やエネルギーの節約にと、
やっていたことは結果的に非常時にも役立ちましたね」

震災後、首都圏でもスーパーやコンビニに買いだめに走る人が増え、
次々と食品や食材が消えた。

東京都江東区在住の管理栄養士、新生暁子(しんじょうときこ)さん(40)は、
そんな様子を尻目に「特にあわてることはなかった」という。

自宅に「備蓄棚」があったからだ。
幅約70センチ、高さ約2メートルの棚には、震災から1年がたとうとしている現在も、
レトルト食品、缶詰・瓶詰、粉類などがびっしりと詰まっている。

神戸市出身の新生さんは17年前、阪神大震災を経験。
結婚を機に上京してから、この備蓄の食料を切らしたことがない。

《自分の身は自分で守る。誰かにしてもらおうとすると不平・不満が出てくる》。
阪神大震災を通して得た教訓だ。

ただ、備蓄して安心しているわけでなく、普段から活用している。

「蓋を開ければ食べられる缶詰や瓶詰は火は通っているし、味も決まっている。
料理に使う際も味付けは楽だし、時短につながる。
普段の食卓であと一品欲しいときに便利なんです」と、新生さんは説明する。

日常使いすることで、いざというときに賞味期限が切れていた、
という失敗も防ぐことができる。

2人の食のプロは「使いながら備蓄する習慣が役立った」と口をそろえる。
半面、スーパーやコンビニを冷蔵庫代わりにする生活に警鐘を鳴らす。



 



私も 一応、使いながら 備蓄しています。

ご飯は、一度に 五合炊いて
あたたかいうちに 一食分ずつ ラップして
冷めたら 冷凍とか

おかずを 大目に作って、小分けにして 冷凍
お好み焼きとかは、一度に 3~4枚焼いて 冷凍保存

ワカメや 大豆、その他
生だけでなく、乾物を併用して おかずを作るとか




一人分を 一日三回

朝・昼・夜と その都度
少量ずつ作るのは 大変なので

工夫をしていたら、自然に そのように~




私のこと
料理も作れない お嬢に見える という友達からは
ちゃんと 食べてるの? と聞かれるのですが

はい!
このように、ちゃんと 自分で作って 食べています。




皆様のお宅では、いかがでしょうか?




 

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