つれづれのままに・・・WebLog

心に移り行くよしなしごとを不定期更新で書き留めます

沈みそうな船・沈む船

2006年06月28日 00時03分06秒 | 歴史・文化・思想
日本は海に囲まれた国で、陸地にも多くの川があります。
そのためか、昔から大小様々な船が使われていました。
しかし船の中には残念ながら沈んでしまうものもありました。

船が沈むか沈まないか、実際のところは出港してみないと判らないのでしょうが、中には見るからに“沈みそうな船”もあります。
ところが、その“沈みそうな船”があっても実際に沈む前から「その船は沈む」とはなかなか言い難いものです。
あまり不吉な事は言いたくないでしょうし、沈んだ船を作った事を棚に上げて「この船が沈む事を望んでいるのか?」とか「この船を沈めるつもりか?」或いは「そんな事を言うから沈んだ」と言い出だす人がいるかも知れません。

私もそうなのですが、多くの人は沈む船には乗りたくないでしょう。
自分自身だけでなく、自分が所属する組織(企業や国家)の責任ある立場の人が沈む船に乗られてもまた困ります。
沈む船の話題を耳にする度に、船に乗ってしまった人の不運を思うと同時に、沈む船を避けた人の判断の正確さや運の良さ・運の強さを感じます。

それにしても何度も繰り返し沈む船を造る人達は、何故沈むのかをしっかりと検証しているのでしょうか?
充分な検証もせずに、次から次へと“沈む船”を造ってそれに乗るように勧める人がいるのであれば困ったものです。

久しぶりのエントリー(2)

2006年06月27日 07時42分15秒 | 雑感・雑談・娯楽
今回も前回に続いて「ブログを書く気がしない」という話を。
書く気がしないと言いながら書いているのも変なものですが・・・。

日々起こる事件や北朝鮮問題・日中関係・日韓関係について書く気がしないのは前回書いた通りなので今回は他の件を。
とは言うものの、他の国々との関係は概ね良好なのでこれも改めて書く事がありません。

ところで、他のブログの皆さんも他国と良好な関係にある事等、不満の無い事をわざわざ書く事は少ないのでしょうか?
そうであれば不満だけが書かれる事となり、文字になった物だけを見ると不満の声が多いように煽る人達も出てくるのでしょうが、実際には私のように“声を挙げないけど現状に満足している人”もいます。
尤も、煽る人達の中には「現状の政策に満足している」等とわざわざ書こうものなら「騙されている」「翼賛だ」と言い出す人もいるのでしょうが。


更に、国内の政治や拉致事件を含む外交に対する我が国・日本政府の方針については、これら以上に書く気がしません。
何故なら昨年9月の総選挙に於いて、日本の主権者たる日本国民の意思(つまりは日本の国家としての意思)が明確に示されたからです。
日本政府・与党は選挙前・選挙中・選挙後と一貫した方針を掲げていて、それが支持されたからこそ選挙の結果があったのでしょう。
今後、日本政府や与党が選挙時と大きく異なる方針を掲げる事があればこのブログに書きたくなる事も出て来るのかも知れませんが、現在はそのような事はありません。

勿論、世の中には様々な考え方の人があって、選挙前・選挙後と一貫して日本政府・与党に反対の方もいらっしゃるようです。
それらの方の多くは選挙中は選挙結果について現実とは大きく異なる予想をしていらっしゃったようですが、それは、それらの方々が日本国民の意思・日本の国家としての意思とは大きく異なる意思を持っているからなのでしょう。
日本の国家としての意思と大きく異なる意思の持ち主だからこそ、現在でも政府に反対しているのでしょうが、それも改めて書く気がしません。

という訳でなかなか書く気が起こらない日が続きそうですが、気が向いたらまたエントリーします。

久しぶりのエントリー(1)

2006年06月26日 19時38分04秒 | 雑感・雑談・娯楽
ついついエントリーを怠る日が続き、久しぶりのエントリーとなりました。
元々毎日書くつもりは無かったものの、まさか半年も間が開いてしまうとは思っていませんでした。
中には心配して下さった方もいらっしゃいますが、元気な事は元気でした。

何故書いていなかったかと言うと、忙しかった事もあるのですが、正直なところそれ以上に「書く気がしなかった」からです。
書く気がしないのはこのエントリーを書いている今現在も同じなのですが。

何故書く気がしないのかと考えてみましたが、これが自分でも「何故だろう?」と言うのもまた正直なところです。
日々陰惨な事件や恐ろしい事件が起こっており、それに対して思う事もあるのですが、事件の背景が複雑な場合が多いのです。
それら事件の背景をいろいろと予想をしていると、予想の中には“不謹慎な事”も出て来ますが、流石に人の死が絡んだ事件について確信もないままに不謹慎な事を書きたくはありません。
ところが捜査が進むと次々とその“不謹慎な予想”が“事実”として報じられているのです。
そうなっては私がこのブログなどに書くことは何もなくなってしまいます。

スポーツについても、オリンピックや野球WBC、サッカーWC等の大きな大会がありました。
何か書こうと思って調べているうちに、プロのスポーツ記者やライターの方の文章を読んで納得してしまい、これまた自分で書く気がなくなってしまいます。

他に、拉致事件等の北朝鮮問題についても、北朝鮮からの挑発の動きがあるようですが、どれも「またいつものように北朝鮮が何か言っている」程度の事です。
それらの挑発に一々過剰反応しない日本政府・アメリカ政府を頼もしく思う事はありますが、これもまたこのブログに書く気にはなりません。
マスコミや野党等が問題視している日中関係・日韓関係についても北朝鮮問題とほぼ同じ理由でなかなか書く気になりません。

長くなりそうなので次回に続きます。

安倍官房長官の発言・麻生外務大臣の発言・日本政府の方針

2005年12月03日 00時08分36秒 | 国際政治
以前のエントリー『タンタロス状態』でも触れた事ですが、内閣改造以来の安倍官房長官や麻生外務大臣は以前以上にはっきりとしたメッセージを発してくれています。
拉致事件に関するメッセージも以前以上に明確で、頼もしく思える事もあります。
具体的には安倍官房長官の「拉致問題が進まない中で過去の補償の問題がどんどん進んでいくことはありえない」との発言麻生外務大臣の「核・ミサイル問題が解決されても、拉致問題が解決されていない場合、国交正常化はできないし、本格的な経済協力もない」との発言等です。
しかし今まで政府を批判ばかりしてきた人達の事を考えると、少なからず不安もあります。

官房長官や外務大臣の発言は、表現は違うものの内容は「拉致解決の後に国交正常化」との順番を示しています。
しかし、これは新しい事では無く、これまで政府が言い続けてきた事を改めて表明しただけに過ぎません。

シーアイランド・サミット内外記者会見(要旨)
『この核廃棄の問題が解決せず、拉致の問題が解決しない限り、日本と北朝鮮との国交正常化はあり得ない、国交正常化なしに本格的な日本の経済支援はないと、はっきり申し上げている。』
第4回六者会合:日本代表冒頭挨拶
『我が国としては、日朝平壌宣言に基づいて、日朝国交正常化を図るという方針に一切変わりはありません。しかし、そのためには、核、ミサイル、拉致といった諸懸案が包括的に解決されなければなりません。』

これまで政府が何度も何度も明言しても、「国交正常化」しか目に入らないかのように日本政府を批判してきた人達に、安倍官房長官・麻生外務大臣の発言が正しく理解されるのか、心配です。
尤も理解されるのであれば理解されるに越した事はありません。
その場合は「これまで何を根拠に政府を批判してきたのだろうか?」との強い疑問は残りますが・・・。

また安倍官房長官は「平壌宣言にのっとった交渉をするという意味においては、正常化交渉を進めていくことになる」「経済制裁そのものが目的ではなく、結果を出さなければいけない。」とも発言していますが、これらも過去に政府が明言してきた事を改めて(表現を変えて)発言したものです。
これらの発言も曲解・歪曲される事なく、正しく理解される事を祈るばかりですが・・・。

受継がれる伝統・変わる伝統

2005年12月01日 07時09分23秒 | 歴史・文化・思想
最近、皇室典範改正案について、男性・男系・女性・女系等、賛成反対の様々な議論があるようです。
私も皇室の事は興味・関心はありましたが、積極的に論じたり取り上げたりするつもりはありませんでした。
今後も当ブログで取り上げる事はあまり無いと思います。
また私は皇族方のプライベートには興味はありません。

長い伝統がある皇室ですが、「開かれた皇室」「親しまれる皇室」と言われるようになった時から、それまでの過去をそのまま当てはめる事は出来なくなったように思えます。
また世の中も、個人の自由が制限されていた社会・女性の権利が制限されていた社会とは大きく異なったものになっています。
今更何を言っても過ぎてしまった時間を戻す事は出来ないのです。

皇室に限らず、伝統を変えずに受継ぐべきなのか、時代に合わせて変えるべきなのか、その判断は難しいものです。
変えずに受継ぐ事が出来るならば受継ぐのが望ましい事であっても、事情により次善の案が求められる場合も多々あります。
近いうち(例えばこの数年のうち)に変わる必要がなくとも、今後長く続いていく中で変わる事・変えざるを得ない事もあるでしょう。

“伝統ある存在”の在り方について、ある意見を否定すると(恐らくは皮肉な事に、それが強固であり理論的であればある程)、場合によっては(例えば、将来その“否定した形”に変わる場合)未来の“在り方”を否定する事にもなりかねません。
尤も否定している本人達はその事に気付いていないのかも知れませんが・・・。
伝統を受継ぐ存在であればこそ、目先の事ではなく、今後も長く受継いでいくことを念頭に考えるべきなのでしょう。

話を皇室典範改正に戻せば、全日本国民が一人残らず納得する選択肢は無いと思われます。
現在の皇室の在り方がそうであるように・・・。

外れる予想を繰り返す人達

2005年11月30日 00時18分13秒 | Web
以前のエントリー・「時節・政局を読む能力」の中で『本音を言えば、「時節・政局を読む能力」が無い人はその事を自覚して、予想を自粛して頂きたい』と書きました。
この思いは今も同じですが、それでもマスコミやインターネット上で、政局・人事・政策について「外れる予想」を繰り返す人は後を絶ちません。
氾濫する「外れる予想」及び「外れる予想に至るまでの分析(と称されるもの)」は雑音のようにしか思えません。

一度や二度ではなく、何度も何度も予想を外されると玄倉川さんが2005-11-01 18:59:26のコメントに書いていらっしゃるような「俺の予測は正しい、世間が間違っている」と考える事や、或いは「俺の予想は正しいのにその後の事実が間違っているのだ」と考える事には無理があるようにも思えますが、それは私が凡人に過ぎないが故なのでしょうか?
このような「予想を外す人」が外れる予想を繰り返し発表する事に対して、自身では何の疑問や羞恥心を持たないものなのかと、不思議でなりません。
『狼少年』の話で、「狼が出るぞ」と言い続けた少年の言葉が誰にも相手にされなくなった事を思い出します。

マスコミで発表している人はともかく、インターネットで「外れる予想」を書いている人は、“非公開サイトに書いているつもり”なのではないでしょうか?
冗談ではなく「外れる予想を書いているサイトが公開されてる事に気付いていないのでは・・・?」と考える事もあります。
そうとでも考えなければ、あれ程までに「外れる予想」を繰り返し公表する事が納得出来ないのです。

インターネット上で嘘等を書き込んで混乱させる事を目的とする「荒らし」と呼ばれる人がいます。
それと同様に世間に嘘や誤った情報を流して世論を混乱させる人は、世論を荒らす事を目的としている「世論荒らし」とでも呼ぶべきなのでしょうか。
「外れる予想」を繰り返す人が何を考えているのか、それを予想するのは「外れる予想」をするのと同様に難しいように思えます。

普段の行動と普段の発言

2005年11月29日 00時02分50秒 | 社会・事件・芸能
世の中、強気の発言をする人とそうでない人がいますが、発言の語気が強い人程(良い意味でも悪い意味でも)注目を集めるものです。
強気の発言をする人には「なんとなく頼もしい」と思ってしまうものなのでしょうか?

強い発言は言葉だけで良いのでしょうが、“強い国家”になる為には争いが始まってからの用兵・作戦では無く、普段から国を安定させ“国力”を蓄えておく事が必要です。
争いが始まってから強力な兵器を用いる為には、普段からその兵器を装備しておく必要があり、その為にはその兵器を購入(または製造)・維持・管理・する為の国力(資金等)が必要なのです。
だからこそ、強い国家になる為には計画性を持った適切な政治が求められます。
同様に、争いの中に身を置く人には、強気の発言よりも普段からの行いが求められるように感じます。

法治主義の下で「法律があるからそれが抑止力となって犯罪を起こさない」という面は当然あるでしょうが、それだけだと「バレなければ犯罪を起こしても良い」「犯罪を起こしても隠したり言い逃れしたりすれば良い」との風潮を生みかねません。
刑罰だけでなく普段から善悪を念頭に置く事が必要となるのでしょうが、この善悪の感覚が欠落しては言動も不適切なものになる事でしょう。
強く印象に残る発言をする人が不適切な事をしていては、その人の発言も説得力を失われてしまいます。

発言の印象が強ければ強い程、その発言が説得力を失う事も強く印象付けられます。
また、発言に一貫性が無い人であればその説得力は更に失われる事でしょう。
意見や考え方が大きく異なっても部分的に主張が同じと言う事はよくあります。
しかし、同じ主張をする人の不適切な言動によってその主張の説得力が損なわれるのであれば、それも迷惑な話でしょう。

「横田滋・早紀江ご夫妻を招いての講演集会イン富山」

2005年11月28日 08時06分08秒 | 拉致事件
掲示板にも書いた事ですが、昨日27日、富山県の東の端・新潟県との県境の町である朝日町で、「横田滋・早紀江ご夫妻を招いての講演集会イン富山」があり、行って来ました。
空港からも富山県の中心部からも交通の便が悪い朝日町ですが、特定失踪者・水島慎一さんの出身地である事から水島さんの友人達が中心となって実行委員会を作り、同町での講演集会が実現したようです。

横田さん御夫妻の他、救う会全国協議会の島田副会長、特定失踪者問題調査会の真鍋専務理事、救う会新潟の馬場会長の講演があり、他に地元(富山県2区)選出の衆議院議員・宮腰光寛農林水産副大臣や富山県出身の参議院議員・広野ただし「北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会」委員長らが来賓として出席していました。

講演の内容については、これまでの講演で御話された事や報道されている事が中心ですので(同じ人が同じ問題について語るのですから当然ですが)詳しくは書きません。
それでも横田めぐみさんが13歳で拉致された当時母親の早紀江さんは41歳で、今ではめぐみさんがその41歳になったとの話に改めて時の長さを感じました。
また、横田滋さんや馬場会長が救出運動を始めてから拉致事件が広く知られるようになる迄の事を時折声を詰まらせながらも振り返る様子には、以前に聞いた話ではあるものの、拉致事件が“疑惑”と呼ばれていた頃の日本中の関心の低さを感じました。

島田副会長の講演の中で特に印象に残ったのが2点、「北朝鮮は時間が経つ事で拉致問題が“風化”する事を狙っているが、ならば逆に時間が経つ毎に拉致事件が広がり・話が大きくなる事で北朝鮮の狙いは外れ、事件解決に向かう。」との事と「ある人が北朝鮮に拉致された可能性が高くなり調査が始まれば北朝鮮も将来的に表に出す事を考え、すぐに帰国とはならないものの北朝鮮での扱い・待遇が良くなり、それが奪還運動の第一歩となる。」との事でした。
「北朝鮮は時間が経つ事で拉致問題が“風化”する事を狙っているが、ならば逆に時間が経つ毎に拉致事件が広がり・話が大きくなる事で北朝鮮の狙いは外れ、事件解決に向かう。」と言うのは『謀を討つ(相手の意図を封じる)』と言う点からも有効な話であると感じましたが、その為には粘り強い交渉と国民・国際社会の高い関心が維持される事が必要となるでしょう。
また、「ある人が北朝鮮に拉致された可能性が高いとして問題になれば、北朝鮮も将来的に表に出す事を考え、すぐに帰国とはならないものの北朝鮮での扱い・待遇が良くなり、それが奪還運動の第一歩となる。」として寺越武志さんが北朝鮮にいる事が明らかになった時に「北朝鮮の事を悪く言わないように・あまり痩せていて待遇が悪い事が明らかになると問題が大きくなる」との北朝鮮の“配慮”で急に待遇が良くなった事を例に挙げていらっしゃいましたが、最近では蓮池さん・地村さん・曽我ひとみさんの家族が小泉首相の訪朝が決まった頃から良い家に移された事や、横田めぐみさんの娘・キムヘギョンさんが日本向けのTVに出演した際に「以前と違い栄養状態が良くなっているのでは?」と指摘された事を思い出しました。
これらが「無言の圧力」として北朝鮮に掛けられているのであれば、それだけ北朝鮮が国際社会の眼を気にしていると言う事なのでしょう。

真鍋理事の講演は、富山県の特定失踪者問題等を中心としたものでした。
富山県では水島さんの他に屋木しのぶさん山田建治さんが拉致の可能性が高いと言われており、他にも蓮池さん地村さん拉致と同時期にアベック拉致未遂事件が起きていたり北朝鮮の工作員が使ったとされる水中スクーターが発見されたりと、拉致事件と関連する事が多いと指摘されました。
その理由として剱岳(つるぎだけ)を挙げられましたが、この剱岳は海から見ても目立つ山で工作員上陸の“目印”になっているのでは、との事でした。
他にも大きな山の麓で拉致事件や拉致の可能性が高いとされる失踪が多発しているようです。
民間団体である特定失踪者問題調査会に問い合わせがあった失踪者の数は460人、そのうち少なくとも100人以上は北朝鮮に拉致されているとの事です。
その根拠として、安明進氏が北朝鮮で目撃したとされる日本人のうち身元が明らかになっておらず調査会が持つ写真とも違うとされているのが5人いる事、有本恵子さんを拉致した八尾恵証人がヨーロッパで拉致したと証言している20人の日本人うち3人しか明らかにされていない事等を挙げていました。

講演した皆さんが共通して仰っていたのは「更なる御支持・御支援・御協力を御願いします」「関心を持ち続けて下さい」との事でした。
島田副会長の講演にあったように、日本国民・世界中が拉致事件に関心を持ち続ける事が北朝鮮への圧力になる事を改めて感じました。

「喧嘩上手」と「危機回避能力」

2005年11月27日 00時58分47秒 | 国内政治
先日他のブログを見学中『かみぽこぽこ。』さんの中で『嗚呼、野田聖子!:政治家における危機回避能力の大切さ (前編)』と題して小泉首相の「危機回避能力」が述べられていました。
政治家の事ですから単なる喧嘩ではなく、「けんか」=「政局・政争」と置き換えて考えると解り易いかも知れません。
つまり、政治家・小泉純一郎とは、
「稀代のけんか上手」であるが、
それと同時に、いやそれ以上に
そのけんかを仕掛けるまでは、
相手を確実に仕留められるようになるまで、
じっと機が熟するのを待つことができる、
概ね同意なのですが、かみぽこさんが「けんか上手」と「危機回避能力」とを並べていらっしゃるのに対して、私は高い「危機回避能力」を備えている事が「けんか上手」の必要条件ではないかと思っています。
「勝てない戦いはしない。」「算なきは戦わず」を貫ける人こそが政争・政局に強く、「喧嘩上手」と呼ばれる事になるのではないでしょうか。
「危機回避能力」が高ければ、敵(政敵)が無理をして逆に足元を掬われる・・・、といったケースも増え、より「喧嘩上手」が際立って見える事もあります。

政治家である以上は政争は避けられない事でしょうし、地位・権限が強くなる程政争の機会も増えるかと思われます。
ならば必要な政策を実現する為には、相手が国内であろうと無かろうと、政治家は政争に強い事が望まれます。
逆に、「危機回避能力」の無い人・脇の甘い人・争いの下手な人には国の大事は任せられません。

当然ながら首相には「喧嘩上手」だけでなく、政策に誤りが無い事も求められます。
その点でも小泉首相の就任以来「退陣を」と叫ぶ人はいたようですが、実際に「退陣すべき時」は一度も無いままに現在に至っているようです。
だからこそ、就任四年半を過ぎても尚、高い支持を得ているのでしょう。

自民党立党50年

2005年11月26日 00時38分36秒 | 国内政治
22日に、自民党立党五十年記念党大会がありました。
この立党50年に先立って東京新聞に特報「自民結党50年 追われた2人は」として亀井静香衆議院議員・平沼赳夫衆議院議員のコメントがありました。
これについては私も、『Irregular Expression』さんに書かれているように「聞くほうも聞くほうだが答えるほうも答えるほう」と言うのが正直な感想です。
■亀井静香氏
 ――それでも小泉内閣の支持率は高い。
 国民がアホなんだよ。思い上がっていると言われるかもしれないが、あえて言わせてもらう。大人たちの60%が、権力者が目的を達するためには、民主主義のルールを破っても、何をやってもいいということを支持しているとすれば、日本もおしまいだ。
 ――国民新党は議席も少なく、影響力は限られている。そういう政治・社会状況をどう正していくのか。
 二百九十六議席も持っている自民党だって(小泉政治に)影響力はないじゃないか。数が多い、少ないなんて論議はナンセンス。私は数を増やすことはしない。鮮烈な旗を立てる。場合によっては、国民を叱責(しっせき)する。国民が唾(つば)をかけるか、卵をぶつけるか知らんけど、それは構わない。国民におもねることはしない。

■平沼赳夫氏
 ――処分は除名ではなく、離党勧告だった。
 除名は当然だと思っていたので、意外だった。法案に反対を貫いて、激励のメールがすごく来ている。これは憶測だが、党本部はここで平沼を除名にすると、あいつを一躍、悲劇のヒーローみたいにしてしまうと考えたのではないか。そこで野田聖子氏らと一緒に離党勧告にした。
 ――離党した今、自民党をどう見ているか。
 特別国会では、小泉首相が本会議場のひな壇に入ってくると、かつてのソ連共産党か中国共産党と同じように、自民党から熱烈な拍手が沸く。二十五年間、衆院議員でいるが、初めて目にする光景ですね。従来の自民党から随分変質してしまった。ある意味では小泉独裁体制だ。こういう中で結党五十周年を迎えたのは非常に恐ろしい。

亀井静香氏は「国民があほ」等と言っていますが、他人と価値観・意見が違うのは当然の事で、それを「あほ」と言っていては議論は成り立ちません。
政治家であれば一般国民が知りえない情報を知る事もあり、それで一般国民と意見が異なる事もあるでしょう。
その場合は“正しい方向”へと国・国民を導くのが情報を知る者の仕事であり、それが出来ていないのであれば情報に触れながらその仕事をしていない事になります。
ましてや選挙が終わった後になって何を言っているのやら・・・。

平沼赳夫氏は先日まで自分がいた党に対して「かつてのソ連共産党か中国共産党と同じよう」「小泉独裁体制」等と言っていますが、その小泉首相に首班指名で投票した事は忘れてしまったのでしょうか?
他党が支持を得られなかった結果として自民党の議席が増えたのですから、自民党からの拍手が以前よりも大きいのは当然の事です。
全ては民主主義の下で行われた選挙の結果なのです。

「悲劇のヒーローみたいにしない為に除名にしなかった」と、陰謀論や愚民論等次から次へといろいろと出て来るものですが、これらが選挙が終わった後に出て来る事が不思議です。
そもそも、先の総選挙で勝てると思って戦いながらその結果が予想と大きく違っていた人に対しては、「いったいどちらがあほなのか?」と問いたくもなります。
この辺りの事も、所詮は解散するか否か・選挙戦の帰趨・自らの処遇まで読めなかった人の意見なのでしょうが、『敗軍の将は勇を語らず』との言葉が虚しく感じられます。