育児版 黒野コーチのテニスDEポン

ストライダーは子育ての縮図!!
パラリンピアンを育てたテニスコーチが子供をCEOにするまでの必要なこと発信してます。

僕はコーチングを極めるしか道がなかった。

2020-07-01 23:16:00 | 日記


(彼が進む道は彼が決める。僕は素晴らしい応援としてコーチングします)

小学生の頃、ソフトボール部と陸上部と水泳部を季節で兼任していた。
中学生の頃、科学部に入部後数ヶ月で陸上部に引き抜かれ。
高校生の頃、ソフトテニス部に入部するも、柔道部に入部して黒帯を取得すると受験のために美術部に鞍替え。
大学生の頃、軽音楽部でサザンオールスターズをコピーして歌っていた。
大学を中退、鈴鹿サーキットを24歳までバイクで走っていた。
24歳の頃から、独学でテニスを始め市民大会に出場し、サークル活動を楽しみながらテニスが大好きになっていった。
30歳の頃から、父親の会社を再建しつつ大きな負債を5年で完済する。
35歳の頃から、テニスコーチを天職としてプロコーチに転身する。

かっこよく自分の事書くとこんな感じです。

テニスコーチを職業とする時に何が武器になるかといえば、実績も大したものはないので、世界一のテニスコーチを目指すとしたら「コーチング」を極めるしかありませんでした。

いろいろな勉強をしました。(詳細はまた記事にしましょう)

コーチングには、心理学や技術論や話術、そしてサービス論。今でこそ脳科学が世間に氾濫していない時です。僕の先生は「自分自身」と「テニス雑誌」と「お客様」、「ディズニー」でした(詳細にしたらそれだけじゃないですけどね)。テニスコーチのライセンスは肩書き欲しさに取得しましたが、実戦で目の前にしたお客様をテニス好きにさせることが僕のコーチングでした。

自信はかなりあります。世界一だと思っています。目の前にしたお客様に命をかけていました。

「人に気持ちに入り込むとたいへんだよ」って言われたことがあります。
その方の意見は受け止めましたが、僕にはそれができなきゃ「コーチング」とは言えないと言いました。

今でも僕はそれを忘れていません。僕のコーチングにはこんな深い意味があります。

黒野龍太





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