
当ブログは1年目に、阪神・淡路大震災から10年目の節目を迎えました。
■ あしたで10年。(2005年1月16日エントリ)
そして明日、15年目の1.17を迎えようとしています。
当時のエントリをあげてから5年が経過しましたが、私の基本的な思いは変わりません。
ただ、それに加えて思うこともあります。
阪神・淡路大震災は、それを経験した者にとっては、大きな、どうしようもない断絶でした。震災によって断ち切られたものは、帰ってくることはありません。
また、震災からの月日は、そのような断絶の記憶、当時の感覚を、否応なしに奪っていきます。
「風化」というと陳腐な言葉になってしまいますが、月日の経過は、ある面では恐ろしく、かつ哀しいものです。1.17を迎えるたび、あの日が遠ざかることに、言いようのない不安を覚えます。
ですが、覚えておかなければいけないことがある。
それは、1.17から積み重ねられてきた日々は、それ自体に価値がある、ということ。
あの日から積み重ねてきたいろいろな喜び、悲しみ、さまざまな経験……それらを得られたこと自体に価値があるということ。
それが、あの日からも生き続けているわれわれが、あの日断ち切られたものに対してできる、せめてもの誠なのかも知れない、ふとそんなことを思ったのでした。
ただ、それはそれとして、皆さん、災害への備えはどうぞ怠りませんように。
ほかならぬ、今このエントリをお読みのあなたが、ご自身や大事な人々を守るために。
■ あしたで10年。(2005年1月16日エントリ)
そして明日、15年目の1.17を迎えようとしています。
当時のエントリをあげてから5年が経過しましたが、私の基本的な思いは変わりません。
ただ、それに加えて思うこともあります。
阪神・淡路大震災は、それを経験した者にとっては、大きな、どうしようもない断絶でした。震災によって断ち切られたものは、帰ってくることはありません。
また、震災からの月日は、そのような断絶の記憶、当時の感覚を、否応なしに奪っていきます。
「風化」というと陳腐な言葉になってしまいますが、月日の経過は、ある面では恐ろしく、かつ哀しいものです。1.17を迎えるたび、あの日が遠ざかることに、言いようのない不安を覚えます。
ですが、覚えておかなければいけないことがある。
それは、1.17から積み重ねられてきた日々は、それ自体に価値がある、ということ。
あの日から積み重ねてきたいろいろな喜び、悲しみ、さまざまな経験……それらを得られたこと自体に価値があるということ。
それが、あの日からも生き続けているわれわれが、あの日断ち切られたものに対してできる、せめてもの誠なのかも知れない、ふとそんなことを思ったのでした。
ただ、それはそれとして、皆さん、災害への備えはどうぞ怠りませんように。
ほかならぬ、今このエントリをお読みのあなたが、ご自身や大事な人々を守るために。
毎年のことになりますが、お読みいただいた皆さんにお願いしたいことがあります。
このエントリの上に、写真だけで本文が何もないエントリを作成しております。
投稿日時は、15年前、阪神・淡路大震災が発生した時刻に合わせております。
このエントリは、震災の記憶を改めて心に留めるためのものであります。
この時間には、私も震災で犠牲となった方々に黙祷を捧げることにしております。
ですので、もし皆さんの中でご賛同いただける方がいらっしゃいましたら、
エントリに刻まれた時、5時46分に黙祷を捧げていただければ幸いです。
また、明日1月17日は震災の被害に思いを馳せるため、
スパム削除等最低限のものを除き、ブログ上での活動を控えさせていただきます。
そのため、エントリにコメント・トラックバックを頂きましても、
レスが大幅に遅れる場合があります。
それ以降は、普段通り皆さんに楽しい話題を提供していきたいと思っておりますので、
ご理解のほどお願い申し上げます<[_ _]>