タカツテツヤ blog 『My Back Pages』

シンガーソングライター高津哲也(ex.RUNT STAR)のブログです。

hallelujah / セルフライナーノーツ

2023-10-16 | information


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1stソロアルバム『PRISM』をリリースしたのが、14年半前の2009年4月。あれから今までの間には、思い返せばいろんなことがあった。僕は会社員になり、勤め人としてそれまでとは全く違う毎日を生きている。我が家は引っ越しをして、可愛い猫がやってきた。猫がこんなに可愛いなんて一緒に暮らすまで知らなかった。空気のように吸っていたタバコは13年前にやめ、酒も5-6年前にやめた。去年、車の免許をとり、今年の春には長年悩まされていた鼻詰まりを解消するために鼻中隔湾曲症の手術をした。

東日本大震災と原発事故。あんな悲劇はもうごめんだと思っていたが、コロナでは思いもよらぬ方向から世の中がすっかり変わってしまった。闘病中だった父親を、コロナ禍で面会も叶わぬまま看取ることにもなってしまった。友人たちとの悲しい別れもあった。長年敬愛してきたミュージシャンたちの訃報が届くことも増えてきた。今年、僕は50歳になった。

前作以降、しばらく音楽をやる頻度は少なくなっていたけど、コロナ禍をきっかけに始めた自宅からのオンラインライブが、アルバムを作ろうと思ったきっかけのひとつだった。

はじめは、これまでの棚卸しというつもりで、とりあえずオンラインで全曲歌ってみようかと始めたが、そのうち新曲をつくって歌おうという気になり、気づけば自分でも信じられないくらいの曲数ができていた。2年で100曲ほどできてしまったのだ。ギターを弾くたびに曲ができた。恐らく無意識下に溜まっていたものがあって、蛇口を緩めたら一気に出てきたような感じだったのだろう。自分でも大丈夫なのか、お迎えがくる前触れなんではなかろうか、と少し本気で思ったりもした。

以前はあまり気の進まなかった歌詞を書くことにも、時間がかからなくなった。今まではノートに書き殴っていたけど、出来たメロディを頭で歌いながらスマホのメモにどんどん書いていくというやり方にしたら、どこでも書くことができた。通勤のバスの中でもどこでも、曲ができたら歌詞を書いていった。

オンラインライブは、リアクションの声が聞けず、物足りなくはあるのだけど、次第にそれにも慣れてきて、遠方の方や久しぶりにみたという方たちからもリアルタイムで文字やメッセージで反応があり、新鮮で嬉しく、楽しんで歌うことができた。毎回ワンマンライブなわけだし、20数回やってみて結構鍛えられたんじゃないかと思う。

そして、このできてしまった曲たち。以前なら恐らく書けなかっただろうという感触のものもあり、このまま放置しておくのは忍びないということ。そして気づけば50歳になるということもあって、よしアルバムを作ろう!と思いたったのです。

制作は今年の年明け早々から。Macを新調し、音楽制作ソフト、音源、マイクなどの機材もリニューアルし、デモ作りを開始した。目標は秋にアルバムをリリースすること。オンラインライブは中断して、レコーディングだけに専念することにした。

ストックが100曲あれば、上手くいけばこれからアルバムを10枚くらい作れるだろうと思い、とりあえず取り掛かれそうなものを10曲単位で挙げていったら、アルバム8枚分ほどのリストになった。本格的な録音は15年ぶりだったのだけど、音楽ソフトや機材の進化に驚きつつ、思っていた以上に順調に進んでいった。週末はもちろん、平日の帰宅後もひたすら作業に没頭した。デモと言っても、昔と違って今は自宅でも録音フォーマットは録音スタジオと同じレベルにできるので、各パートを本番テイクに差し替えていけば、そのまま使えるものになる。だから下書きというイメージだ。

そんな下書きデモが20曲ほど揃ったところで、大学、バンド時代からの盟友、坂和也さんに声をかけ、鍵盤を弾いてもらうことにした。快くOKしてくれた坂さんとは、一度ZOOMでミーティングをしたあと、録音ファイルのやりとりとLINEだけで進めることができた。2、3曲分ずつのキャッチボール。戻ってくるテイクはどれも素晴らしく、興奮とともに後の作業に弾みがついた。そして、ついに非対面でのやり取りのまま、坂さんのパート終了。これはさすがに昔かからの付き合いがある坂さんとのやりとりだからできたことだ。他の人だったらこう上手くはいかなかっただろう。結局、今回のアルバムは、ゲストプレイヤーは坂さんのみということになった。

録音素材が揃ったあとのミックス、マスタリング作業については、当初は外部のエンジニアにお任せしようと考えていた。さすがにそこまでやろうとすると、手に負えずドツボにハマって終わらなくなると思ったのだ。

しかし、試しで1曲、はじめてのところにお願いしてみたところ、全くもって期待したような仕上がりにならず…。リテイクを依頼したけど、理想に近づく見込みはなかった。他を探そうかとしばし悩んだが、、こうなったら、最後まで全部自分でやってやる!と覚悟を決めた。仕上がりがいびつだろうが何だろうが、自分のアルバムなのだ!やってやろうじゃんか、どっからでも来やがれ!と、ある春の朝方、落涙とともに無言で雄叫んだあと、日課の鼻うがいをして気を鎮めた。

つまり坂さんとのやりとり以外、ずっとひとりの作業だったけど、思えば昔、カセットテープ4トラックのMTRで曲を作り始めた頃から、やっていること自体は変わらずだ。その感覚が蘇り、出来ることは増えているので、レコーディングは喜びに満ちた楽しい作業だった。煮詰まって挫けそうなときには、プリンスがひとりで作り上げた名盤『Dirty Mind』や『Sign O’ The Times』などを聴いて気合いを入れ直したり、その凄さに目眩がし、今聴くんじゃなかったと思ったりもしたが、これも日課である壁逆立ちをして、落ち着きを取り戻すなどした。

秋のアルバムまでに、シングルをいくつかリリースしようと、7月から順次配信をはじめた。今やレーベルを通さなくても、自分だけで、自分の責任で作品を世に出しやすくなったというのも、14年前とは大きく変わったところ。今年アルバムを作ろうと思ったのは、フットワーク軽く音源をリリースできる世の中になったという事もある。良い悪いはあるが、作り手として良い側面に目を向けることにした。

そして今回、当初はCD盤は作らず、配信だけでリリースしようと考えていた。リスナーとしても今は音楽を聴くのはほとんどサブスクなので、抵抗はない。パッケージへの愛着ももちろんあるけど、それはいずれアナログ盤を作ることなどで解消できたらと。今はまず頻度をあげてリリースすることを優先しよう、少なくともあと90曲はあるのだ…、と思ったが、数少ないライブに来てくださる方向けに、やはりCDをシンプルなパッケージでつくることにした。ライブに来られる方は、ぜひ手にとってみてください。

と、思いつくままアルバム制作についての覚え書きでした。次はそれぞれの曲について書いていきます。

1、あなたはどこに?
この曲でアルバムを始めようと、デモが出来た段階で決めた。曲自体はひと筆書きのような感じで、ひっかかりもなくできてしまった。Bメロは他に聴いたことがない流れで、自分でも新鮮で手応えを感じた。歌詞もすぐに書けた。タイトルから思いつき、数分でできた。時間がかからず書けた曲は、だいたい良い曲なのだ。これもそうだと良いな。

2、星の影
久しぶりのリリースに当たって自分らしい曲かなと思い、今回の第一弾シングルに選んだ。曲想は70年代のR&Bのシンガーソングライター、サム・ディーズ、ボビー・ウーマックなんかのイメージ。こうしたビターなメジャー7thを感じさせる人たちがずっと好きで、その影響が出ている曲なんじゃないかと思う。

ポール・ウェラーの近作『Fat Pop』というアルバムのタイトルは「ぶっといポップソング」という意味のよう。自分が欲しいのもそれ!と思った。このアルバムは僕なりのFat Pop。シングル曲はどれもアルバム向けにミックスし直しています。

3、冷めたコーヒー
原曲は前回のアルバムより前、15年以上前からあったもの。当時ワンコーラスだけのデモを作っていたことを、曲の棚卸しをしているうちに思い出し、今回、中盤の展開部分を足して、歌詞を書いて形にした。昔の自分と共作したことになる。当時のひらめきに感心しつつ、できた曲は今までの自分にはない感じで新鮮だった。坂さんのエレクトリックピアノが実にクール!

4、夢の中に逢いにきて
前作以降に、バンドセットでライブをやっていた時期に書いた曲。弾き語りのライブでもたまにやっていたけど、書いた当時よりも、弾き語りでやるうちにイメージが固まってきた感じで、次第に良いんじゃないかと思えてきた。ドラムとベースは、70年代のカーティス・メイフィールドのイメージでアレンジし、メロディに弾力を与えた。面白くてずっとやっていられる感覚だった。

5、神様のいたずら
これもすぐできてしまったので、書いたという感覚がない。歌い出しから終わりまで、すっと流れで出来た。歌詞もタイトルが浮かんだらすぐ書けた。アレンジは極力音数を少なくしたかったので、ドラム、ベース、ピアノのみ。実はいろいろ試したんだけど、自分内ミーティングの結果、何もないのが1番良いということになり、ほぼデモのままで落ち着いた。

6、ムーンライト・セレナーデ
ここからレコードでいうとB面。3/4拍子のバラードがストックにいくつかあった中から、今回はこの曲を選んだ。優先順があった訳でなく、選曲のときにぱっと浮かんだのがこの曲だった。シンガーソングライターらしく、自分らしい曲かなと思う。そういえば、この曲で初めてエレキギターが登場。あまり決めすぎずに、少人数のセッションのようにしたかったので、弾きなおさずにデモで録ったものをそのまま残した。

7、レイニー・デイ
曲が出来たときに手応えがあった。いつもは曲のあと、歌詞を書くのを後回しにして、そのまま放置し忘れられるということが多かったので、これはすぐに書いてしまい、候補の一軍に昇格させた。コードが多めなので、リズムは思い切りシンプルに、リズムボックスのキックとスネアだけにした。オンラインライブでの収穫は、ギターと歌だけでも自分の曲は成り立つもんだと実感できたこと。複数案がある場合は、シンプルにいこうと思えた。ここまでの中盤3曲は、演奏もひとりで仕上げたものになった。

8、My Mind’s Eye
ひとつバンドっぽいものが欲しくて、この曲を選んだ。タイトルはスモール・フェイセズの曲からいたただいたもの。バンドが目の前でプレイしているような、ビートルズが解散直前の最後のセッションでプレイしているイメージで仕上げた。今日をなんとかやっていくために、年をとってもロックンロールは必要なのだと実感する日々。自分はシンガーソングライターで、バンドマンでもあるのだ!

9、冬の蜃気楼
シンプルで印象的なメロディができたという感触があった。子供の頃に好きだった80年代の歌謡曲/ニューミュージックの雰囲気もあると思う。昔ベストテンや夜のヒットスタジオなどの歌番組で聴いた曲たちは、大きな自分のルーツだ。曲名は書いたときに読んでいた山田太一さんの小説からいただいた。歌詞の多くは曲名から書いていく。しっくりくる曲名に当たると、歌詞は半分くらいできたようなものという感じになる。この曲は映画のようなシーンが立ち上がってくる曲になっていたらいいなと思う。

10、ハレルヤ
この曲をアルバムのラストにして秋にリリースするというのが、今回最初に決めたことだった。実はメロディの段階ではまあまあかなと思っていたのだけど、歌詞ができたときに、手応えを感じた曲になった。過不足なく自分が思ってたことが書けて、曲が立体的になったように感じた。こういうのはごく稀なこと。坂さんがアレンジしてくれたストリングスがさらに奥行きと広がりをもたらしてくれた。アルバムバージョンのエンディングでは、鎮魂の想いでギターソロを弾いた。

僕は今まで、アルバムのタイトルに収録曲の曲名を使うことはなかったんだけど、今回はアルバム全体で「ハレルヤ」としか表しようがなく、アルファベットで『hallelujah』にした。

以上、全曲コメントでした。しばらく音源を作ることから離れていたけど、またアルバムを作ることができて良かった。今までは作り終えるとどっと疲れて呆けていたけど、今回は何だか清々しい気持ちです。

ちなみに、ジャケットで持っているのは、19歳のときに買ったGibsonのES-335というギター。もう長年弾いていなくて、ずっとケースに入れたままクローゼットの中だったので、去年売りに出すことにした。これは、売る前に写真に収めておこうと自宅で撮ったうちの一枚。アルバムを作ろうと思い立つ前の写真だけど、今回はギターを持ったジャケにしたかったのでちょうどよかった。着ているのはローリング・ストーンズのTシャツ。偶然、18年ぶりにオリジナルアルバムをリリースするストーンズと同じタイミングで自分もリリースできたことに、勝手に盛り上がっています。

このアルバムは、14年半ぶりの僕からの便りでもあります。どうか聴いてくれたあなたのお気に入りのアルバムになりますように。そして、末永く聴いてもらえることを願っています。

2023年10月7日
高津哲也
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