駆け出した結晶

城の先には無邪気な笑顔と忘れもしない過去と長くてあまり暗くないトンネルがあった。

朝はまだしも夜なんだ。

2006年09月06日 12時20分51秒 | Weblog
降り続く雨はまるで全てを夜に、僕を舞い戻らせたように、ニヒリズムを隠すことのできない笑みで豪華な椅子に座ってい続ける。まだまだこれは休まることはないだろう。しかし僕はこれを望んでいるようだ。

まだ明るみに我が身を曝すのは、時期尚早に、つまりは納得がゆきそうもない。それは自分が内的に、右であることのためだ。不愉快にも自己の衝動は、知らぬ間に恍惚感に歩み寄ってしまい、それによって、内乱を不自然とも言われる形に常に収束させていっていた。しかしこれはどうにも抑えようがない。これは性癖なのだ。

だがこの性癖に赴くままの現実は、放っておくと外的にも、立派な右と成らざる得ないだろう。確かに、今でさえも、思想の体系的な左のやつらにある種の絶望感を強制的にねじ込んでやろうとしているのだから。

しかし、こういう風な先を僕は望んでいない。僕は外的にも右となることを決して望んでいない。左になることを渇望する。内的には右のまま、外的には左に転ずる。いや、むしろ左を構築するのだ。僕が持つそれぞれの関係において、独立し、それぞれが特異である、空間を。左としての空間を。

でも現時点では、それは不可能に近い、奇跡のような夢のようなものだ。何故なら、今の自分は、やはり自己同一視できない他を殺しに、いやむしろ自己同一視できない他の死を望んでいるからだ。つまりはそれが右そのものなのだ。だから結局のところ、無関心の態度も他を認めないとういう点において、限りなく右なのだ。そういう意味でいえば、ほとんどは左を装っていながら、意識はしない右をあからさまにやっていやがるのだ。僕はそれに非情な嫌気がさしている。

だから今はある試みをやろうと試みている。それは、自己の中に様々なものを乱立させるということだ。それぞれが独立性を許された空間。そう独立しているのだ。他に駆逐されるのではなく、常に生存が保持されている状態。そして、そのおのおのがそれぞれに関係を持つように、深く入り乱れた、平衡な世界。今、自分はそれを構築するシステムを自己の中に持ち込みたいんだ。一つの力が強靭なモンスターを心の中に産み落としてしまうような、立派な右には成りたくはない。モンスターはとても恐ろしいのだ。それは、他も自己も喰ってしまうものなのだ。そうしてやがてはモンスターの獰猛な刃で、自己は友を喰いちぎってしまうだろう。おびただしい血と何十年にも渡る不可解な生活と癒されることのない憎しみがあきれるほどつまったスープを、俺は飲み干したくはない。けれど、モンスターはそれを渇望するのだ。だからモンスターを産み落としてはいけないんだ。

ここから先は、未だ先の見えない状態が続いている。果たして自分がこの試みに成功を収めるのかどうかは自信がない。けれど、今やらないとモンスターはまた生まれてきてしまう。だから、朝はまだ夜なんだ。降っている雨はまだ止まない。

いや、まだ夜であってくれ。雨よ降り続いてくれ。

まだモンスターがすぐそこにいるんだ。

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