駆け出した結晶

城の先には無邪気な笑顔と忘れもしない過去と長くてあまり暗くないトンネルがあった。

蜜との囁きあい

2006年05月24日 14時07分09秒 | Weblog
鬼畜な人々よ 我はもう立ち上がることもできやしない

甘さに釣られて、生命の揺るがなさを肯定しようとするのは、致し方ないと思う影に身を包まれはしないかと恐れを抱くかよわい蝶。それは多くの巨大なモノが重なりあった世界で、常に彷徨い続ける。しかし、そうでもしなければ無理なんだ。探し物が見つからない。そう彷徨うことも、少なくとも前衛さを保つ結果ということだ。

浅はかさからの心の痺れがきつくなりかけたことから、羽ばたかせる勢いもどこか心もとのなさがおぞましく感じられる一刻前からの駆け落ちの案内状が急に届けられた。まるで腱がちぎれそうだった。そう発見をしたのだ。深く落ちそうな麓に、妖しく光る蜜。それは生命そのもの。彼らのためだったならば、なんだってしてやる。だって彼らは私の命なんだもの。

もう止まらない。神経が越えすぎた結果の、反動を気にすることなんか目にも留めない衝動さはあざとくすべてを蝕む。不安によって極度に押さえつけられていた自己への哀れみが、縄を喰うように刻み切る。何度も堅く忘れられるように結ばれていたはずなのに、幾重にも獰猛に喰いちぎられる。ついには動脈にさえ達し、おびただしい血が中を舞い踊った。

蝶は飲み込まれる。いや、飲み込まれたというよりも、飲み込まれに向かったのだった。不実の甘さだった。あらゆるすべての慈しみよりも、はるかに得られる歓喜と興奮。もっと包み込んで、そうしてすべてをいっぱいにしてちょうだい、そう願いをただただ叫んで、蝶は生を感じていた。





まるで耽った行為の後のどこかに置いていかれたあの感じのような気がただただした。

なんだか悲しい。それが生きることならば。

それでもそれも重要で、なにかしらの解決になるんじゃないかと思う。そうやって過ごしている。何故だか感情の統一さが一向に見られないのが情けなくて、しかし欲望にはどうしてもドアを開けてしまう。

日々の流れがもっとゆっくりだったならば、もっと変わったのか?

哀れにも思うがもう追随するだけの力が残ってないのかもしれない。それも認めていかなければいけない。限界さは常に訪れてしまうものだから。だから、こうも考える。限界の合間を縫ってやろうとも。そうして形作ってやろうとも考えてみたりしたんだ。

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